第80話 黒衣は裂けて




 山のように大きな怪物が、キィクに襲い掛かろうとして……。



《ジュバッ!》


「ごぉおおおっ」



 しかしその前に水の壁が現れ、怪物は水に触れると悶えて仰け反る。



「無事かキィクっ!」


「タズマ、ありがとう!」


「こっちのセリフ…… 【精神安定魔法マインドケア】!」



 キィクはタズマを回復し、タズマはキィクを助け。

 そして、体勢を立て直すために全員へと回復を施す。



「ウザイなぁ!」



 しかし黒衣の女が腕を振るって、影のような鞭がタズマを襲う。



斬舞臥撃爪メテオールダイバー』あっ!」


《ガキンッ》



 硬質な音を立てて、ユルギの爪が影を断ち切った。

しかし、その爪が一本弾け飛ぶ。



「ユルギっ!?」


「ううう、痛いっ、でもあるじが無事ッ!」


「邪魔な鳥女ぁ……」


「へへーん、だ」



 そう言ってまた元気に羽ばたいて空へと舞い上がる。

 ユルギへの追撃は、キィクが石の散弾で防いでいる。



「お前は後でこの子のエサにしてやろうなぁ……」



 魔力が足りなくなったのか、黒衣の女は怪物の背中に乗って、その表面に満ちていた粘液を吸い上げる。

 粘液まみれで恍惚とした女の顔に、男性陣はそれぞれ微妙な表情をしたが…… 黒衣の女はため息をつくと、未だに無事なタズマを見下ろし、苛立ちをあらわに呟いた。



「しかし面倒だ…… 全部終わらせてやるよ」



 そして女が手にしたのは。

 それは『』の素材…… 銀の遺物。


 タズマたちも思い出す…… 世界の異界溢れパンデミックの前に見られていた黒衣の女が、何をしていたのか。



「ここで『異界溢れパンデミックを起こす』つもりかっ!?」


「そうはさせんっ」



 今までへルートの妹ということに二の足を踏んでいた剣星だったが、これには加減を忘れ飛び込んだ。



《バヂィッ!!》


「ぬがぁあっ!?」



 間合いに入る寸前、剣星が雷に撃たれて身体が止まる。

 そして先程の影の鞭が、ゴミでも払うかのように弾き飛ばした。



《ドゴッ!》


「ぐふぁっ」


「剣星さまぁっ!?」


「【流砂防壁サンドウォール】ッ!」



 その身体は瓦礫に突っ込む寸前、砂の壁を作ったキィクに受け止められ、女の右手側で意識を失っていた。



「強い剣士がいるなら、防御に念を入れるのは…… あったりまえだろぉが」


「今の、雷撃結界?」


「いや、カウンターのスキルだと思う……!」



 へルートが飛び出さないよう庇いながら、タズマはキィクに答える。

 魔法の気配や、操作した流れが見えなかったからだが、それはほぼ正解していた。



「魔術には、起こしてしまえば流れ続けるようなモノもあるんだよぉ…… くっくっくっ。一気に楽しくなってきた。酒でも喉に流し込みたいね」



 怪物の力を吸い取ったのか、強い眼光に、女の身体の中からの圧力に、肌から刺激されるようで皆が後退あとずさる。

 しかし、鼻腔をも刺激する気配…… 香りと言うにはあまりにも『くさい』それに、空を仰ぐ。



「死のとばり……!」



 紫色に変色した空からは、生き物が朽ち果て腐り、虫がたかるような腐敗臭が広がり、空気が重く、肌寒さを感じてみんな知らずに動きが止まってしまった。



「ご主人様っ!」


《バチュンッ、ベトベトベトッ》


「うっ、く、う」



 そこを死角、知覚外から粘液の塊に襲われ、シーヴァと、庇われたタズマ以外は拘束されてしまう。

 ご丁寧に、空高く飛んでいたユルギはクモの巣状に広げた粘膜糸に絡め取られている。



「むぐぅ、ううっ!」



 さらに魔法使いのキィクは、口を塞がれた。



「よしよし、これで実力差もわかったろ。その犬女と鎧を置いて逃げるなら、見逃してもいいぞ? ん?」


「誰がそんなことをするもんか……!!」


「ご主人っ…… あぐぅ、うう……」


「タズマっ」


「タズマ君…… マイラ……」


「犬女のそれさぁ…… 可愛い格好じゃん。良い趣味だよ。好みが似ている相手は、殺すのがためらわれるんだよ」



 一言一句に悪意が溶けているようで、タズマは返答を口にすることはしなかった。

 代わりに、詠唱を始めていく。



「すぅ…… 【水に満ちよ、壁をなせ、渦巻くを業と、逆巻くを性と、ただ唯一波打ち轟く、深きを深きと示す場所へ……】」


「護衛一人で、魔法使いに何ができるかなぁ?」


《ジュバ、バシュウゥウ……》


「な、なに?」



 粘液の飛礫が、タズマとシーヴァの前ではぜる。

 それまで鎧として黙っていたマニルの各部に、水の魔法が蓄積されていると黒衣の女は気付けなかった。


 中でも、胴の部分には大量の魔力が籠められていて、それを使いタズマは渾身の魔法を練り上げていく。


 集中を乱さぬよう、マニルは今までタズマが放った魔法をコピーし、水の塊を操作して防御を固めていたのだ。



「霧の魔法にも反応してくれるなんて、ホントに水に弱いんですね…… 黒い粘液相手ならわたし、強いですよっ」


「威張らないで。ご主人様を、しっかり守って……!」



 シーヴァは大剣を構え、タズマのための時間を稼ぐことだけを考えていた。

 低く、腰を落として、瞬間に全力を放てるように。



「邪魔をすんなってぇ!!」



 黒衣の女から影の鞭が二本、空気を切り裂きタズマとシーヴァを狙う。

 足元には粘液が忍び寄っていた。


 シーヴァは飛びすさり、またタズマを狙った影を切り落とす。

 彼女の称号"月詠牙ルーンナイト"は全力を尽くした攻撃に『会心の一撃クリティカル』を付与する。



「旋回、疾風…… 月刃ルナバール!!」


《カァッ……》



 そしてこの回転二連撃は、指示方向に光線を放つ。

 もちろん、光線にもクリティカル判定は乗っている。



《キュドッ》


「ごあっ……!」


「まだ…… 月刃ルナバールっ!」


《キュバッ》



 黒衣の女に、光線が当たってその服を切り裂いていく。

 足元には布が散らばって…… それは、身代わりになるという術式の織り込まれた装備だったのだ。


 相手の攻撃のスキを突いてシーヴァは攻撃を当てて、そこから一方的に攻めていく。

 ただ、光線はどんどん細くなっていく。


 全力ではあっても、蓄積していた気力が尽きてきたのだ。



「噛みつく犬は、可愛くないんだよっ!」



 女の背後で渦を巻いていた影の中から、槍のように三本の影が伸びて襲い掛かる。

 シーヴァの気力は、もう残っていない。



鬼力解放斬舞ソウルフルダンスッ!」


《バチバチィッ!》


「くぅ、私だって、守られてばかりじゃないのよっ!」


《ガキィッ!》



 マニルの振り撒いた【雨滴散烈スプラッシュボム】で、仲間の束縛は解けて。

 プチ、続いてへルートがシーヴァのカバーに入っていた。

 唯一、マニルの射程外のユルギだけはまだもがいていたのだが。



「ぺっ、ぺっ。ふぅ。タズマはマニルさんを装備してからずっと、魔力だけは蓄積していたからね。水が弱点だとわかった時からは、水の系統へ切り替えていたみたいだけど」



 キィクが仲間に説明をしながら、砂を操り剣星の身体を引き寄せていく。


 へルートは飛び跳ねて剣星に駆け寄り、その拍子につまずいて抱き付いていた…… どうやら剣星に対してのみドジっ娘らしい。



「僕らで、タズマをサポートしよう」


「はいっ」



 返事はしたが、へルートは剣星に張り付いていたし、シーヴァは気力が尽きかけて、ここからの戦闘は難しそうだ。


 間違いなく、厳しい戦いになる…… そう考えて女を睨んだ瞬間。



「ぴゃあっ!?」



 その姿に、キィクは真っ赤になって目を逸らした。


 女はシーヴァの攻撃を受けた結果、もう下着しか残っていなかったのだ―― しかも黒い、セクシー系統のランジェリー。


 スタイルの良い身体を晒し、しかし彼女は恥じらいもなく。

 そんな気持ちを持つよりも、目についた面白い存在…… シーヴァやマニルへと興味が傾いていた。



「くらぇえっ!」



 黒衣の女は、背後に纏めていた影の渦をそのまま送り出してくる。


 それは、今にも地面をえぐりそうな"ドリル"を模しているようで、圧縮された竜巻だ。



《ギャリギャリギャリギャリギャリ……》


「ここが、使い時だっ……」



 キィクは気を取り直し、意識を集中し、能力を解放した。

 転生して、その身に宿した超常チート



「開けページを……『箱庭の大工ルール・オブ・カーペンター』」



 キィクを中心にした周囲に、特殊な世界が生まれた。


 それが彼の能力。

 この結界の中では彼の意思が優先されるが、しかし個人の能力には影響を持たない。



「でも、こんなことが出来るのさ」



 迫っていた影の塊…… 黒い竜巻が、地面に空いた穴へと落ちていく。

 地面に空いた穴は、出現時と同じくフッと消えてしまった。



「なんだ今の…… 原因は、お前か魔法使い!」


「どうかな、自分の修行不足じゃない?」



 輕口かるぐちを女へと向けても、キィクの内心は怯えていた。

 みんなが頑張っているから、それだけのモチベーションではないが、言語化の難しい使命感が彼を突き動かしていた。



「異能か…… クソが。転移か、転生か? 与えられた力だけで調子に乗ってヒーローごっこしてんじゃねぇ!!」


「ごっこ……? ただの転生チーレムヒャッハーなんて、タズマはしてない…… 俺も、出来なかった…… しっかりと生活して、生きているんだ。テキは、お前だけじゃない。お前なんかに、負けねぇんだ……!」



 キィクは上に視線を上げて、一番得意な砂と岩の系統魔力を能力に混ぜていく。



「うぅおぉっ!」



 唸り、拳を突き上げて、強く握った。



「【砂塵掌握ザントギガントス】うぅっ……!」



 女が何度も打ち出してくる影の鞭は、プチが防ぎきってみせた。

 キィクの魔力が瓦礫を砂へと換えて、ざざざ、と空へ駆け昇る。

 死のとばりを、掻き消していく。



「ば、バカな!?」



 ただの魔法では、阻害も出来なかっただろう。

 しかしキィクの『空間に変化を及ぼす』という能力の特性は、紫色の空から色をこそぎ、洗い流してしまった。



「おのれ、おのれ、この邪魔者ども、がぁっ!!」



 その言葉を待たず、タズマの大魔法は完成した。



「【水の魔境ウォータールーム】」


《ザボォンッ》



 水、水の満ちた箱。

 キィクの支配空間に比べれば小さな、しかし圧倒的な密度で、黒衣の女を怪物ごと捕まえていた。

 水の結界の中は、高い水圧と激流によって生き物の生存を拒む。


 女の表情に胸が痛くなるが、タズマは堪えて魔法を維持した。



「やめ、やめっ……」



 へルートの口から制止の声が溢れ出そうとするのを、自分で抑えて、堪えて、見守るしかない。


 そして、激流が収まると…… 気絶した女の姿があった。


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