酒呑の見る世界

マツムシ サトシ

酒呑と影

 今日も仕事が終わり、いつもの居酒屋にお酒を飲みに来た。暖簾のれんをくぐり引き戸を開け、顔なじみの大将と言葉を交わす。

 席について少しすると、お通しとしてタコワサが目の前に置かれた。今日はむせ返るような暑い日だった。これをあてとして飲むとすれば冷酒だろう。迷うことなく大将に注文する。


 ほどなくして升に入ったグラスに冷酒が注がれる。グラスからこぼれる流麗な垂水は升に流れ込み、それを満たしていく。

 タコワサを口に頬張り、冷酒で流し込む。口の中をすっと流れていく涼しさと、日本酒の香りを目を閉じながら堪能する。格別の時間だ。


 半合ほど呑み、ほろ酔いになったところで周りを見渡す。


 いつ頃だったか……お酒を飲んでしばらくすると、人型の煙のような、うっすらとした"影"が見えるようになった。その"影"は顔に目と口があるが、それ以外は煙のような"影"に包まれて何も見えない。


 そう、会社の新人歓迎会でお酒を初めて飲んだ時からだ。それらの"影"が見えるようになった。その時は酔うとそうなるものだと思っていた。

 ただ、周りの人間も話を聞いてみると、お酒を飲んでもそれらの"影"は見えないようだった。


 いつしか、お酒を飲みながら私にしか見えない"影"を眺めることが日課となった。

 しばらく眺めていると、どうやらその"影"たちも営みがあるように見えたので興味深く観察するようになった。


 カウンターに配膳をするもの、カウンターに向かって手をあげるもの、テーブルに運ばれた何かを口に運ぶもの、厨房で何かをしているもの。それらの"影"は人間に干渉することなく行動している。


 そんな様子をしばらく眺めていると、カウンターの向こう側にいる大将と重なっている"影"と目が合ったような気がした。親指を立ててそれに応える。"影"と大将は笑い、両者は同じく親指を立てて私に応えた。

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