第69話 うちの嫁が口説かれていた件

 校内のパン屋「粉クリ」でお昼ご飯を買っていたときのことだった。

 お目当てのパンを買って外で待っている百合が何やら困惑した表情だ。


 百合に話しかけているのは同期の男子で名前は崎山さきやま

 履修する講義が被ってるのか時折教室で見かける。

 おとなしい奴って印象だったけど……心配だな。


池波いけなみさんはここのだとどういうパンが好き?」

「……割となんでも好きだよ」

「だよね。ここのパン美味しいもんね」


 少し近くに寄ってみると、困っている理由がわかった。

 接点の無い男子にいきなりこんな会話を振られても困るだろう。


「そ、そうだね。崎山君は?」

「僕はやっぱりハムカツサンドかな」

「う、うん。ハムカツサンドもいいよね」


 ぶっちゃけ明らかに口説こうとしている。

 旦那としては正直気分は微妙だ。

 しかし、強引なことしてるわけでもないしな。


「そうそう。ところで、最近出来た美味しいパン屋があるんだけど知ってる?」

「う、うん。確かクローンヌだったっけ?」


 あからさまに百合は戸惑ってるんだけど、相手は気づいた様子もない。

 ナンパ野郎だったら割って入るんだけど、悪気もなさそうなのが困りものだ。


「実はクローンヌで今度開店記念イベントやるんだ。知ってる?」

「う、ううん。それは知らなかったけど。開店記念ってどんなことやるの?」

「なんか知り合いのアーティスト呼んでライブとかやるんだって。面白いよね」


 見ていて少し痛々しくなってくる。


「そっかー。ちょっと後で調べてみるね」

「もし興味があったら池波さんも行ってみるといいよ」

「うん。教えてくれてありがとう」

「ところでさ。せっかくだし、LINEとかでもこう……」


 たぶん崎山は百合が既婚者なことを知らないんだろうけど。

 さすがにムカついて来たな。


「百合。お待たせ」


 崎山との間に割って入る。


「修ちゃん、ちょっと遅いよ」

「悪い悪い。どれにするか迷ってたんだよ」

「いいけどね……って、ごめん。崎山君」


 どうにも気まずいな。


「えーと……二人はその……」

「ああ。百合は俺の嫁さんなんだよ」

「そうそう。早いけど学生結婚っていう感じ」


 嫁さん。学生結婚。

 その言葉を聞いた瞬間、崎山が押し黙る。


「そ、そっか。じゃあ、また後でね!」


 きっといたたまれなくなったんだろう。

 LINE交換を切り出すまでもなくトボトボと去って行った。


「はー。びっくりした」


 ほっと胸をなでおろしたうちの嫁。


「大学に入ってから露骨に口説かれたの初めてだよな」

「うん。でも、さすがに私でもわかっちゃった」

「なんていうか。俺たちの関係知らなかったんだろうけど……」

「あの流れだとちょっと言いづらいよね」


 あくまで構内で会った同期と雑談するという体だ。

 あからさまにお近づきになりたいというのはわかる。

 ただ、デートに誘われたとかでもない。

 そこで、相手が居ますからというのも言いづらかったに違いない。


「気にしない奴だったら、ズバッと会話打ち切れるだろうけどな」

「悪い人じゃなさそうだし、いきなり打ち切るのも悪い気がするんだよね」


 結構お人好しの部分もある百合だからなおさらだろう。


「ま、さっきので俺たちの関係もわかったっぽいし、今後は大丈夫だろ」

「そだね。高校の時だと皆私達のこと知ってから、あんまり無かったけど……」

「大学だと同期でもよく知らんやつ多いしな。百合はなんだかんだ可愛いし」

「可愛い、は嬉しいけど、なんだかんだ、はどういう意味?」


 じー、と少し不服そうな目で見つめられる。


「だって、お前突飛な行動するし、フリーダムだし」

「否定できない……」


 少しガクッと凹む俺の嫁さん。


「ま、そんなとこも含めて好きになったんだからさ」

「も、もう。嬉しいこと言ってくれちゃってー!」


 気がつくと身体を預けられていた。

 秋の涼しい空気に温かさが伝わって、なんだか落ち着く。


「温かい……」

「こういうのもたまにはいいもんだな」


 なんて、大学構内であることを忘れて抱き合っていた俺たちだけど。

 後日、どうなったかといえば。


「あんたたちが、粉クリの前で抱き合ってたって噂になってるわよ」


 冷たい視線で見据えるもう一人の幼馴染のゆう


「いくら大学だって言っても、状況は考えた方がいいと思うぞ?」


 そして、その彼氏である宗吾そうご


「百合だけならともかく、修二君までもなんて」

「いや、悪い。ちょっと今回は色々とな」


 口説いてる同期を見て胸がムカムカしたというのは少しはずい。


「ほんと、ますますバカ夫婦っぷりが加速してくわね」

「……」


 何も言えず縮こまった俺たち二人だった。

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