第68話 猫みたいらしい

 優ちゃんの家で秋刀魚さんまパーティーがあった夜。

 私は寝転んで高校の数学の教科書をぱらぱらと眺めていた。

 家庭教師をすることになった雪ちゃんだけど、特に数学が苦手だということで、重点的に教えることになっている。


「そういえば、複素数とか微積とかやったよねー」


 隣に居る修ちゃんになんとなく話を振ってみる。


「あったあった。ていうか、大学の微積に比べれば簡単だったよな」

「大学の微積も今のところはそんなに難しくないけど」


 高校の頃とはちょっと発想を変える必要があったけど。

 全称量化子∀と存在量化子∃をきっちりと理解すれば、

 色々な人がつまづくらしいε-Δも難しくはなかった。


「百合とは地頭が違うんだよ。ま、教えてもらってるのは感謝だけど」


 なんて言いながら何やら紙束をぺらぺらめくっている修ちゃん。


「なに見てるの?」

「バイト先からもらったマニュアルみたいなもん」

「確か研究所のアシスタントだったよね?どんなの?」


 研究には割と興味がある私だ。


「色々。室長が調べるのに忙しいあれこれを代わりに調べてレポートにまとめたり、実験の手伝いとか。あとは実験についてコメントがあったら言って欲しいんだと」


 コメント?


「研究者じゃない人に実験のアドバイスってして欲しいものなのかな?」


 修ちゃんを侮るわけじゃないけど、私も含めてまだ一年生だ。

 少し不思議に思える。


「実験はどうしても研究者の先入観があるから、素人からのコメントもせっかくだから聞きたいんだってさ。まあ、こっちの方はおまけっぽい感じで、メインは室長の代わりの調べ物だな」


 おまけなら納得。


「確かに、研究所の偉い人ってなんだか忙しそうなイメージ」


 といっても詳しいことは知らないんだけど、

 でも、大学でも偉い先生ほどいつも何か忙しそうなのはよく見る。


「というわけ。ま、あくまでお手伝いだからそんなに難しくはないな」


 なんていいつつも、きっちり書類に一通り目を通してる辺り、

 旦那様なりにバイトをこなせるか不安があったんだろう。

 とにかく直感と勢いで動く私に比べてやっぱり真面目だ。


「やっぱり旦那様はかっこいいな……」


 紙束を真剣に捲りながらあれこれ考えている様に見とれてしまう。

 

「きゅ、急に何言い出すんだよ。照れるだろ!」

「だって、かっこいいって思ったんだもん」

「いや、バイト先の仕事内容きっちり把握するくらい当然だろ」


 そんなところを褒められても困ると照れ照れだ。


「やっぱり照れてるところ可愛い……」


 仕事をしている男の人はカッコいい。

 成人女性が言うらしい話を唐突に思い出した。

 私のもそういうこと?


「百合は気分で褒めるから恥ずかしいんだよ。お世辞がないのわかるし」

「もー。そんなに照れなくてもいいのに」


 そっぽを向いた修ちゃんを後ろからきゅっと抱きしめる。

 最近の私のお気に入りの姿勢。


「百合だって、いきなり照れることあるだろ」

「そ、それは……嬉しいこといっぱい言ってくれるから」


 かぁっと顔が熱くなるのを感じる。

 私達、新婚さんしてるなあ。


「俺は未だに百合のことがよくわからない」

「どういうところが?」

「猫みたいに気まぐれなところが」

「猫……かなあ?どっちかというと犬だと思うんだけど」


 小学校から今まで、

 「ちょっと変わった子」「天然」というのはよく言われてきた。

 でも、猫みたいというのは初めてだ。

 そんなに気まぐれに見えてた?


「こないだ薬局にトイレットペーパーとか買い出しに行っただろ」

「あったねー。それが?」

「目を離したら百合が居なくなってたわけだけど、どこに居たっけ?」


 あ。あの時は、コンドームの薄さで感触が違うというのを調べた後だったので、実地で見てみようと思い立ったのだった。


「あれは……ちょっとした社会勉強に?」


 さすがに私もちょっと恥ずかしかったので、ぱっと見て戻るつもりだったのだけど、薄さのバリエーションとか味がついているとか色々あるのが面白くて、すっかり見入ってしまったのだ。


「そこで恥ずかしがるくらいなら、コンドームのコーナー凝視するなよ」

「でも……もうちょっと薄くしたらどうかとか考えちゃったんだもん」


 私はそういう好奇心には抗えない。


「思いついて即行動する辺りが猫みたいなんだよ」

「む……否定できないかも」


 犬なら、修ちゃんの周りにぴったりで離れないイメージ。

 思いつきでそういうことをやらかすのは確かに猫かもしれない。


「でも、猫かー」


 猫ならこういう時、どんな行動をするだろうか?


「なんかやな予感がするんだけど」


 与助だと朝起きたら私のお腹に乗っかっていることが時折ある。

 

「修ちゃん、修ちゃん。ちょっと仰向けになって」

「いいけど。何するつもりだよ」

「いいから!」

「わかったって」


 紙束を置いてあっさり仰向けになってくれる旦那様。


「えいっ」


 上からぽふっと旦那様の胸元に飛び込んでみる。


「ちょ、近いって」


 慌てている修ちゃんを見てちょっとした悪戯心が湧いた。


「んむ……」


 目を閉じて、感情の赴くままに唇を奪う。

 ちょっと押し倒している感じがして、変な気分。


「キスするにしてもいきなり過ぎだろ」

「だって猫みたいなんでしょ?」


 このまま流れでこの間みたいに……と思っていたら。

 そっと引き剥がされたとおもったら、逆に押し倒されていた。


「え、え。ちょっと……?どうしたの?」


 顔が近い。熱い、熱い。


「さすがにこの間みたいにお前にされるがままってのもな」


 どうやら、根に持っていたらしい。


「ど、どっちでも、いい、と思うんだけど」


 いきなりの逆襲に、声がちょっと上ずってしまう。


「じゃあ、今日はこっちからでもいいよな?」


 悪い笑顔だ。

 ちょっと悔しいけど……でも、いいか。


「うん。それじゃあ、お願い」


 修ちゃんが乗り気なのは嬉しいものだし。


「こういうのもWin-Winだよね?」

「変にオチをつけようとするの止めてくれ」

「漫才っぽくて良くない?」

「はぁ……まあいいか」


 なんて、いつもより色々おしゃべりしながら事に及んだ私達だった。


 いつもの睦事のあとのひととき。


「ところでさ。百合も今度から家庭教師だろ。釘差しておきたいんだけど」

「雪ちゃんのこと?」

「俺たちのこと、根堀り葉掘り聞いてくるだろうけど、ほどほどにしてくれよ」

「大丈夫だって」


 秋刀魚パーティの時は、追求を躱すためにああ言った私だけど。

 さすがにそのくらいの分別はある。


「……あの子も彼氏との間で悩みあるかもだから、相談に乗るついでに少しくらいは言ってもいいけどさ」


 もっと嫌がってもおかしくないのに、修ちゃんは私にとても甘い。

 そんな人が旦那様になってくれたことがとても幸せで。


「うん。ありがとね、修ちゃん」


 自然と感謝の言葉が口をついて出ていた。


「別にお礼言われることじゃないけど。まあ、サンキュ」


 少し苦笑いの旦那様だった。

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