第9章 受験とプロポーズ

第28話 受験前日

「雪だー」


 寒さを感じて目を薄く開けて見たら、何やらびゅうびゅうと音がする。

 夏は暑く冬は寒い盆地気候のこの地域。 

 冬になるとこういう風に吹雪くことも時折ある。

 今日は雪、既に積もってるだろうなあ。


(もうちょっと寝よ。修ちゃんが迎えに来るまで)


 ふかふかの布団を被って、冬の朝の一時を楽しむのもいい。

 この布団から出たくない感は冬ならではだ。

 でも寝ないようにしないと。

 迎えに来た修ちゃんとのちょっとしたやり取りが楽しめない。

 そう思っているのに瞼がとろんと落ちてくる。

 あー……。


百合ゆりー。修二しゅうじ君が来たわよー」


 階下からお母さんの声がする。

 いけない、いけない。完全に意識が落ちてた。


「んーと。上がってもらっといてー?」

「今はいいけど大学入ったらもう少ししっかりしなさいよ?」


 受験シーズンを迎えて、時々お母さんがお小言を言うようになった。

 既に滑り止めの私立には受かったし、その先を意識してるんだろうか。


「その時は頑張ってみるー」


 正直、大学に入ってしっかりしているかわからないけど。


「もう。相手が修二君で良かったわね」

「それは今更だよ」

「本当に孫ができちゃう日も近いわね」


 なんて言う声色は本気だ。

 数ヶ月前はからかうような、そんな言い方だったけど。

 でも、エッチな事をもう何度もして。

 避妊はちゃんとしてるけど、そんな事もありえるかもしれない。


 もし、赤ちゃんが出来ちゃったらどうなるんだろう。

 眠い頭でそんなことをぼーっと考える。

 お正月に家族会議をした時は、確か。


「一つだけ言っておくけど。赤ちゃん出来ると結構大変よ」

「なんかすっごい実感籠もってるね」

「百合を妊娠した時は大変だったもの」

「君が既成事実作るために、コンドーム破ったのを忘れてないからね」

「それはそれ。これはこれよ」


 お母さんは大学在学中に既にお父さんと付き合っていたらしい。

 結婚を迫るたびにまだ早いと言われて、赤ちゃんを作っちゃったとか。

 お母さんが異様に私に寛容だった理由をその時に悟ったのだった。

 お父さんも苦労したんだろうなあ。


 お母さんたちには私の結婚の意思が本当であることは既に伝えてある。

 血は争えないわねとか言ってたけど。

 既成事実作ろうとするよりマシだと言いたい。


 なんて事を考えている内に聞き慣れた足音がする。

 カツン、コツン。カツン、コツン。

 この足音を聞くたび、少しだけワクワクする。


「百合ー。起きてるかー?」

「私はまだ寝てるので、起こしてくれることを希望します」

「もうすっかり開き直ってるな」

「とにかく、それまで寝てるから」


 布団にくるまりながら、その時を待つ。


「百合ー。起きろー」

「それより、修ちゃんもちょっとだけねよー」


 掛け布団をまくりあげて、ポンポンと敷布団を叩く。

 寒い冬はちょっと一緒に寝たくなることがあるのだ。


「しょうがないな。10分だけだぞ」

「それでもいいから」

「じゃあ……」


 目を少し開けて見ると、ごそごそと布団に入ってくる修ちゃん。


「んー。ハグー」

「はいはい。お姫様」


 二人布団の中で抱き合う。

 布団の暖かさと違う修ちゃんの体温の暖かさは違う良さがある。

 10分だけと言われたけどこのままもう一度寝てしまいたい。


「はい。もう10分な」

「もう少しいいじゃない?」

「おばさんにまたからかわれるぞ?」

「私はもう開き直ったから」


 変わったのはお母さんが私を産んだ経緯を知ったから。

 今までお母さんはまともだと思っていたけど。

 私と同じくまともじゃなかったのでどうでも良くなったのかもしれない。


「お前、自堕落度がどんどん増してないか?」

「修ちゃんの前でだけ」

「とりあえず、起きろ。一応受験前日だし」


 そういえば、最後の確認に少し復習しようと約束したのだった。

 もう授業も終わって、滑り止めの前期日程も終わって。

 本命の国立大の前期日程を明日に残すのみ。

 どっちも地元だし最悪滑り止めでいいやというのがどうしようもない。


「ん。わかった。起きる」


 とはいえ、本命に受かるに越したことはない。

 最後の追い込みをしてもいいだろう。


「じゃあ、下で待ってるから」


 布団を出て下に降りていくのが少しだけ寂しい。

 ま、いっか。ちょっとだけ気合いを入れよう。


◇◇◇◇


「あれ?お父さんは、今日休み?」


 ダイニングに出るとお父さんが座って待っていた。

 この時間なら出社してる事も多いのに。


「今日はね。テレワーク実験日なんだよ」

「テレワークって……。家に居ながらお仕事する奴だよね」


 最近たまに聞くから一応知ってはいる。


「そうそう。色々あって、週一のテレワークを解禁しようってなったんだ」

「ふーん。でも、家に居ながらお仕事とか夢みたいだね」


 会社に出勤せず、家でだらだらお仕事。

 私にとっては夢のような生活だ。


「テレワークも色々あるけどね。俺みたいな職種だとありがたいのは確かだな」

「そっかー。将来はテレワーク出来る職場目指そっかなー」


 自堕落に過ごしたい私にとっては実に夢のある話だ。


「百合がテレワークOKのところ就職したら、絶対、始業まで寝てるな」


 出されたお茶を啜りながら、修ちゃんが意地悪を言う。 


「ひどい!私だって少しはちゃんとするよ!」

「具体的には?」

「始業10分前には起きてる……と思う」

「おじさん。これどう思いますか?」


 自堕落な私を見かねてだろう。

 お母さんじゃなくてお父さんに話を振ってきた。


「娘をよろしく頼むよ。修二君もよく知ってるだろう?」


 お父さんももう私を矯正する気はないらしい。


「色々、先が思いやられます……」


 なんて言いつつも嫌そうじゃないのはとっても嬉しい。


「そうそう。ちょっと修二君に確認したかったのだけど」


 何やらお母さんが会話に割って入って来た。

 どういうつもりだろう。


「はい」

「百合はこの通り、すっかり修二君と本気で結婚するつもりなのよね」

「え、ええ」


 唐突な話の流れに戸惑っているらしい。

 ああ、そうか。修ちゃんは、まだお母さんが知ってる事を知らないから。


「修二君はどうなのかしら?うちの子と結婚したいっていうのは本気?」


 なんて言いつつも声色がとても楽しそうだ。

 お母さんにはプロポーズ予定の件伝えちゃってるから。

 将来の義理の息子からちょっとした言葉を引き出したいんだろう。


「今、聞かれるとは思ってなかったですけど……本気のつもりです」


 修ちゃんも全く意図がわからないわけじゃないだろうに。

 とても真面目な声で答えてくれた。


「安心したわ。うちの娘をよろしく頼むわね」

「俺からもよろしく頼むよ。自堕落な娘だが」


 揃って頭を下げる両親を見て噴き出しそうになる。

 出来レースというか、お母さんも遊び心満載だ。


「はい……ちなみに、百合から色々聞いてますよね」


 鋭い。


「一応、少しはね」

「そうそう。少しは聞いてるよ」


 全部聞いてるくせにお父さんたちはそう誤魔化したのだった。

 これも外堀を埋めるというやつだろうか。


◇◇◇◇


 シャープペンシルがノートを擦る音だけがただ響く。

 ちゃぶ台で向かい合って、明日のための最終チェックだ。

 といってももうやることはほとんどなくて。

 文章問題をいくつか解くだけだ。

 今更選択式問題を解いても仕方ないし。


「よし!終わり!」


 元々、勉強の空白期間を作らないためだけだ。

 一時間だけ過去問を解いて、それで終わり。


「百合は……まあ、完璧だろうな」

「選択問題は満点取れる自信あるよ」

「お前の能力ならそうだろうな」


 そう。元々、私の生来の頭の作りの問題というか。

 暗記問題には異様なまでに強い。

 自分で言うのもなんだけど、数学の一部問題以外は不安なし。


「修ちゃんも、今日はもう羽根を伸ばさない?」

「朝、思いっきり布団に誘ってきた奴がそれいうか」

「だって、どっちにしてももう明日だよ?」

「まあ、それもそうだな。最悪滑り止めがあると思えばいいか」

「そうそう。一日で出来ることなんて知れてるし」


 そんなわけで。


「なんか、このまま寝ちゃいそう……」


 再度、お布団の中で私達は抱き合っていたのだった。


「ツッコミたいが……確かに、冬の布団は格別だよな」

「そうそう。修ちゃん、わかってる!」


 明日が受験なのに、それを忘れたかのようなお気楽さ。

 模試A判定とはいえ、ちょっと受験を舐め腐っている気もする。


「ところでー。彼女としては、もうちょっとイチャイチャしたいのだけど」

「既に十分いちゃついてるだろ。何をご所望で?」

「こないだの復讐」


 チュッと首筋に吸い付いてみる。


「ちょ、おま。いきなりやめろ」

「やめない。修ちゃんが新しい感覚に目覚めるまで!」


 前に一方的に首筋を責められた事を忘れてはいない。

 くすぐったいだけ、とか言って彼はいつも逃げるけど。

 私みたいに、くすぐったい先の感覚を味あわせてあげる。

 と意気込んだのだったけど。


 ふなー。気がつくと部屋に与助が入ってきていた。

 この子のために少しだけ扉は開きっぱなしにしてあって。

 器用にもするすると入ってくるのだ。


 とことこと枕元に寄って来たかと思うと。

 ぴょんと掛け布団の上にジャンプ。


「イチャイチャはまた今度にしよっか」


 するすると私達の間に入り込んで来る与助を見て気が削がれてしまった。


「与助に感謝だな」

「私は忘れてないからね」

「なんでそこまで根に持つんだよ」

「首筋が感じるとか、すっごい恥ずかしかったんだから」


 確かにあのゾクッとする感覚は好きだけど。

 何か大切なものを失った気がしたのだった。


「あー、うん。ちょっとやり過ぎたかも」

「女性誌で見たんだけど、「開発」って言うんだって」

「エッチな漫画で見たことあるけど。実際に言うんだな」

「とにかく。今度は私がお返しする番なの!」

「わかった。お手柔らかに」


 受験前日なのに、緊張感のかけらもない私達だった。 

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