第8章 冬のはじめ頃に

第23話 たまには私から

 ピピピ。ピピピ。ピピピ。


「ふわぁー」


 薄目を開けて枕元の時計を見るとまだ朝6時。

 うー、寒っ。

 反射的に布団を被ってしまう。

 もう11月に入ってだいぶ気温も下がって来た。

 掛け布団の上に鎮座している与助も少し寒そうだ。


(うー、でも。今日は私からって決めたんだし)


 そう。今日は。今日こそは私がやるのだ。

 修ちゃんに起こしに来てもらうのでなく、私が起こしに行く。

 

「これが目標になってるって私、相当駄目な子かも」


 修ちゃんは怒らないから甘えてしまっていたけど。

 冷静に考えると、相当に自堕落なのでは?


 身支度をして二階に降りるとお母さんが朝食の支度をしていた。


「あら?どうしたの、百合?珍しいわね」

「珍しい……」


 知らず渋い表情になってしまうけど言い返せない。


「今日は私から修ちゃんを迎えに行こうと思って」


 大学受験まであとたった三ヶ月程度。

 合格したら修ちゃんにプロポーズしてもらえる事になっている。

 でも、少し考えてしまう。お嫁さんになるってどういうことだろう。


 きっと、一緒に住むんだろう。それは間違いない。

 自堕落な私を修ちゃんが起こしに来てくれるだろう。

 時間がないからぱぱっとトーストを焼いて朝食だろうか。

 修ちゃんが朝食を作ってくれる日もあるかも。

 一緒に出勤して、さすがに夕食は私が作って。

 やっぱり私が夜ふかしして。また、修ちゃんに起こしてもらって。

 お休みの日はやっぱり私がぐーたらして。


(駄目だ、私)


 唐突にその未来予想図は駄目だと気づいてしまったのだ。

 私が修ちゃんにお世話されまくってる図しか思い浮かばない。

 許してくれそうだけど、とにかく駄目なのだ。

 だから、今日から少しはきっちりしようと思い立ったのだ。


「どういう風の吹き回し?」


 お母さんはと言えば怪訝な表情だ。


「娘が早起きしたら驚くのはどうなの?」

「だって……ねえ。修二君が来るギリギリまで寝てるでしょ」

「だから、今日から私は変わるの!」

「悪いモノでも食べたのかしら」


 さんざんお母さんには甘やかされてきたと思う。

 にしてもひどい言い草だ。


「ちょっとした花嫁修行のつもり」


 言ってて悲しくなるくらいレベルが低いけど。


「ふふ。確かに、あなたが結婚してもそのままだと情けないわよね」

「そういうこと」

「でも、修二君はあなたのぐーたらな所も好きだと思うけど?」


 う。実のところそうだろうなーという気はしてる。

 たまに私の寝顔を楽しそうに観察してるし。


「それはわかってるけど。とにかく、やると言ったらやるの!」

「まあいいけど」

「何。その含み笑い」

「いーえ。娘の成長を見て誇らしいだけですとも」


 絶対に嘘だ。


「どうせ私のことだから三日坊主だって思ってるんでしょ」

「……思ってないわよ」


 これは絶対に思っていた顔だ。

 目が笑ってるもん。


「とにかく。納豆トーストだけ食べてくから」


 トースターに食パンを押し込んで、しばし待つ。

 冷蔵庫からひき割り納豆を取り出して練り練り。

 ペーストに近いくらいになったら醤油をちょっと垂らす。

 焼き上がったら、バターを伸ばして、さらに醤油を少し。

 その上に納豆を置いてパンを二つ折りに。

 完成。


「うん。やっぱり朝は納豆トースト」


 バター醤油と納豆というのがまたいいのだ。


「あなたもいつから納豆トースト推しになったのかしら」


 もぐもぐと食べていると顎に手をおいて考え込んでいるお母さん。

 そういえばいつだっただろう。


「言われてみれば……昔はそもそもご飯党だったような?」


 トーストをかじりながら昔に思いを馳せてみる。

 なんで私は納豆トースト推しなんだろう。

 そういえば、我が家の朝の食卓には必ず納豆が出ていた。


「あ!昔はうちってご飯に納豆が必ず出てたよね!」


 そうだ。なんで忘れていたのだろう。


「そうねー。百合も喜んで美味しい美味しいって食べてたわね」


 だとすると、一体いつから……あ、そういうことか。


「思い出した!修ちゃんが言い出したんだ!」

「ああ、そういえば。言ってたわね」


◆◆◆◆


 小学校何年生の頃だっただろうか。

 朝ご飯を食べている私を見て、ふと。


「納豆トーストってのやってみたんだけど、凄い美味かったぞ!」


 納豆ご飯を食べている私にそう言ってのけたのだ。


「えー?パンに納豆?それは変だよ、修ちゃん」


 当時の私にしてみれば納豆トーストなどゲテモノもいいところ。


「いいから今度やってみろって。美味いから」


 しかし、それにも構わず納豆トーストを推した修ちゃんに。


「わかった。一度だけやってみる。一度だけだからね!」


 どうせ美味しくないに違いない。一度試してみるだけだ。

 そうして、翌朝早速納豆トーストを試したのだけど。

 何故かドハマリした私は以後、納豆トーストを朝の主食に

 するようになったのだった。


◇◇◇◇


「まさか、修ちゃんの影響だったとは……」


 でも、不思議とその事が嬉しい。なんでだろう。


「何嬉しそうな顔してるの?」


 生暖かい目でお母さんが何やら私を見ている。

 嬉しそう……否定しきれない。


「な、なんでもない」


 さっさとご飯を食べて、歯をしっかり磨いて。

 うん。口臭は大丈夫。

 納豆臭い女というのはさすがに避けたい。


 修ちゃんの自宅までは徒歩数分。

 あっという間だ。

 ちなみに修ちゃんのお母さんには今日の事は伝えてある。

 

「百合ちゃんなりの逆襲ってところ?」


 なんて言われてしまったけど、本音はちょっと違う。


「そ、そんな感じです」


 自堕落な自分を直そうと思いましたとは言いづらかった。


(冷静に考えなくても、私って駄目なのでは?)


 もちろん、容姿はいい方だと思う。

 最低限の身だしなみは整えてる……はず。

 料理は出来るけど修ちゃんへの手作り弁当は三日坊主。

 朝はいつも修ちゃんに迎えに来てもらっている。

 勉強は出来る方だけど、修ちゃんにノート見せてもらう事が多い。

 良く言えば親しみやすいかもだけど、上品さはない。


(とにかく、今日から始めるんだ)


 決意を新たに池波家のインターフォンを押す。

 ちなみに、彼の家は二階建ての平凡な一軒家だ。

 ピンポンパンポン。特徴的な音が鳴り響く。

 なんでこんな音にしたんだろう。


「おはようございます。百合ですけど」

「ああ。いらっしゃい。鍵は開けてあるわよ」


 まだまだ若々しいおばさんの声。


「お邪魔します」


 考えてみると朝にこうするのはとても久しぶりだ。

 少しだけ新鮮な気持ちでなんだか嬉しい。


「それで修ちゃんですけど……まだ寝てます?」

「そうねー。まだ起きてくるには少し早いけど」


 よし。これなら行けそうだ。


「百合ちゃん。これからもウチの息子をお願いね」

「は、はい。それはもちろんです」

「別に学生結婚とかでも大丈夫だからね?」

「え、ええと。それはまた、いずれ」

「あの子が起きなかったら部屋入っていいからね」

「ありがとうございます」


 修ちゃんはおばさんに何を話してるんだろう。

 確かに私達のお付き合いは実質両家公認だ。

 でも、結婚を念頭にとかは一言も言ってないはずなのに。


 トン、トン、と二階の修ちゃんの部屋を目指しながら考える。

 ひょっとして、結婚したらこっちで暮らすなんてことも?

 いやいや、さすがに一部屋余りがあるからって無い無い。


(もう。おばさんが変なことを言うから)


 変に結婚生活のことを考え出してしまう。

 結婚したら、一緒に寝るのかな。

 ああ、駄目だ。駄目だ。

 修ちゃんも言ってたじゃないか。

 同棲は社会人になってからの方が、とか。


 「Shuji」というネームプレートがついた部屋の前。

 コンコンと軽くノックする。

 返事はない。よし、それなら……と考えて。


(あれ?修ちゃんの部屋に勝手に入って良かったっけ?)


 いやいや、修ちゃんはいつも私を起こすために部屋に入ってくる。

 だったら、私が同じことをしたって……って、それも私が許可したからだ。

 でも、おばさんはOKって言ってたし。大丈夫だよね。

 

「おじゃま、しまーす」


 小さな声でそろりそろりと部屋に入る。

 きっちりと整理整頓されているのは昔からだ。

 部屋の真ん中には液晶ディスプレイにゲーム機。

 右側には勉強机にノートPC。

 壁に貼ってある写真は思い出深いものばかり。


 そして、左を見ると、布団をかぶった修ちゃん。

 昔からだけど寝相がやっぱりいい。

 そろりそろりと近づいていくと、安らかな寝顔。


(なんか、可愛いかも)


 考えてみると、修ちゃんの寝顔をじっくり見ることはあまりない。

 逆に私はいっぱい見られてる気がするけど。

 こんな優しげな顔つきが昔から大好きだった。


「修ちゃーん、朝だよ」


 小さく枕元で囁いてみる。


「うーん……」


 少しうめき声が聞こえたけど無反応。


(あれ?どうすればいいのかな?)


 考えてみると逆パターンばっかりなのだ。

 強引に掛け布団を剥ぎ取る?

 身体を揺する?


「起きてー。修ちゃん」


 なんだか緊張してきた。慣れないことはするものじゃない。


「百合ー。好きだぞー」

「え?」


 ビクっとしたけど、続いてくるのはすやすやとした寝息。

 寝言?でも、どうにもおかしい。

 と思ったらガバっと布団に引き込まれていた。


「え?あ?」


 予想外の事態にあたふたしてしまう。


「お前なあ。さすがに起きるっつの」


 抱きしめられたまま聞こえてくるのはいつもの声。

 抱きしめあう事は何度もあったはずなのに凄く恥ずかしい。

 顔から火が出そうなくらい。


「え、えと。いつからバレてたの?」


 ガッシリとした腕で抱きしめられて、心臓はドキドキしっぱなし。


「母さんから筒抜きだったぞ?」

「ええ……おばさんもグルだったの」

「態度に違和感持たなかったか?」

「そういえば……修ちゃんの部屋に入っていいとか」


 考えてみればおばさんは親しき仲にも礼儀ありという所がある。

 いくら交際相手とはいえ、勝手に部屋に入っていいというのは少し変だと。

 そう思ったけど、流してしまっていた。


「そういうこと。たまには俺から悪戯するのもいいだろ」

「むー。今日は私から迎えに行くつもりだったのに」

「気持ちは嬉しいけどさ。俺は好きでやってるわけだし」


 また嬉しいこと言ってくれちゃうけど。でも。


「それはわかってるけど……ちょっと自堕落過ぎたかなって反省したの!」

「別に今更気にしなくても」

「だって……私、女子力低くない?考えてみると彼氏の前で納豆トーストとか」

「俺は気にしてないし」

「ゲームで夜更かしするし」

「そういうのも含めて百合だろ」


 よしよしとでも言うように背中を撫でられてしまう。


「このままだと、結婚しても、ずっと甘えちゃうよ?」

「別に俺がいいならいいって。二人の話なんだし」


 あー、もう。昔から本当に私を甘やかすんだから。


「本当、大好き。修ちゃん」


 思いが高ぶって、気がついたら深い口づけを交わしていた。

 あー、もう。やっぱりきっと私は一人だと駄目だ。


「俺も大好きだぞ」


 そんな事を数十分続けていたところ。


「本当、二人はずっと熱々ねえ」

「……」

「……」

「まあまあ母さん。こういうのも若さって奴だ」

「そうね」

「あー、色々いたたまれない」

「そうだね。今度はもう少し気をつけようね?修ちゃん」


 TPOを弁えようと改めて誓った私達だった。

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