きんかとう

水玉猫

招き猫

第1話

 金花糖の招き猫を見て、お客様が目を見張りました。


「まあ、江戸前の金花糖きんかとう! こんなところで金花糖を、それも江戸前の金花糖を見付けるなんて」


「金花糖のこと、ご存知なんですか?」


 ぼくは麦茶をお出ししながら、たずねました。

 閉店間際、お店には、ぼくとお客様だけです。




 金花糖は、砂糖で出来たお祝い菓子。

 招き猫の他にも富士山や宝船などの縁起物、鴛鴦おしどりふくろう子栗鼠こりす子象こぞう、鯛や伊勢エビ、桃に葡萄ぶどうたけのこきのこ—— 海の幸山の幸といった可愛い形をしています。

 昔は、お正月やお節句、お祝いごとには欠かせない縁起菓子でした。でも、今では、金沢や長崎、東京などの一部の地域でしか見ることのできない幻のお菓子です。




「ええ。子どものときからお祝いに、幾つも金花糖をいただいた。おひな祭り、結婚式、赤ちゃんを身ごもったとき、それから……」お客様の口元に、寂しげな笑みが浮かびました。「でも、江戸前の金花糖を作る人は、いなくなったとばかり」


「おっしゃる通りいったん途絶えかけたのですが、このまま東京から伝統のお祝い菓子を失いたくないと、技術を引き継いだ人がいるのですよ」


「だから、この金花糖は新しいのね。お砂糖がまだ白いわ」


「よくおわかりで。この招き猫は、先週、この棚に置いたばかりなんです。飾り物としても、金花糖は可愛いですから。それに、左手を上げている猫なので、うちみたいな客商売にはぴったりなんです」


「あら、招き猫の上げている手って、左と右があるの?」


「左なら人を招き、右なら金運を招くそうです。それで、左は商売繁盛、良縁祈願。右は金運上昇というわけです」


「だったら、両手を上げていたら一挙両得ね」


「はい。でも、『お手上げ』のポーズだからときらうお人もいるようで」


「いやだ。わざわざ悪く取らなくても。素直に良い方に解釈しておけばいいのに」


「世の中には、色々な見方をする人がおいでですから」


「それが人の世ね。わずらわしいこと」


 お客様は大きな溜め息をき、ところてんを注文なさいました。

 厨房に戻り、切り子細工の器にところてんを突き出し、テーブルに運んで行くと、お客様は七宝つなぎの縮緬ちりめん巾着きんちゃく袋から、手のひらに収まるほどの小さな箱を出して、その中をじっと見ていました。ぼくに気が付くと、小箱の蓋をそっと閉じ、ぼくの視線を避けるように脇に退けました。


「お待たせしました」


「あら、酢醤油のところてん。わたしは、ところてんとしか言わなかったのに」


「はい。先ほど『江戸前の金花糖』と懐かしそうにおっしゃったので、関東風の酢醤油にしたのです。黒蜜や三杯酢にもできますが」


「いいえ、とても気が効くのね。ありがとう。嬉しいわ」




 ところてんは、地域によって味付けが違うのです。関東は、酢醤油。関西は黒蜜、東海地方は三杯酢にゴマでしょくします。だから、店のメニューには「味付けはお選びいただけます」と添え書きがしてありました。

 船着き場の近くにあるこの店には、さまざまな場所から百人百様の事情を持ったお客様がいらっしゃるのです。




「先のことに迷っていたら、一度行くといい店があるって勧められたのよ。心が晴れるって」


「それは、それは、多分なご評価を。お客様方のお好みに合うように美味しいものを用意すること以外、何もできませんが」


「それがいいのよ。さりげない心遣いが、嬉しいの。来て良かったわ」


「ありがとうございます。で、どなたからのご紹介で?」


 ぼくは何気なく訊きました。でも、お客様は答えず、そのあとは黙ってところてんを食べ、代金を置いて帰られました。




 閉店時間もとっくに過ぎていたので店を閉め、掃除を始めてから、やっと忘れ物に気が付きました。今し方までお客様の座っていた椅子に、彼女が見ていた小さな箱が置いてあったのです。

 江戸千代紙の貼られたその小箱は、ずいぶんと古びていました。犬張り子やでんでん太鼓のもようの真ん中には「お祝い」と毛筆で書かれた和紙が貼ってあります。

 ざわつく気持ちを抑えながらふたを開けると、真綿に包まれた小さな金花糖のハイハイ人形が入っていました。ハイハイ人形はニコニコ笑って、ぼくを見上げています。でも、箱と同じく年月の経った砂糖の色は、すでに白から茶色に変わっていました。

「ああ、それで、前世の面影おもかげも消えかけていたのか……」

 お客様の迷いと事情を察して、ぼくの胸はズキンと痛みました。

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