アクリブル - Acrible
sippotan
第一章
プロローグという名の狂騒曲
2007年8月、前代未聞のパソコンソフトが発売されるというニュースがネットを駆け巡った。
そのソフトの名前は「VOCALOID2 初音ミク」という。
パソコン上で歌詞を入力するだけでパッケージに描かれているバーチャルアイドル歌手・初音ミクが実際に歌ってくれるというソフトだ。ポップでキュートなバーチャルアイドル歌手、アイドルポップスもアニメソングも得意、そんな彼女をプロデュースする感覚を味わえます、という謳い文句が踊るパッケージ。年齢は16歳、身長158cm、そしてアイドルなのに体重42kgというご丁寧な設定もある。パッケージには、やたら長いツインテールと、PTAも怒るレベルのミニスカニーソを穿いた女の子。角張っているのかカッコよく魅せたいのかよく分からない『初音ミク』のロゴ。直球で、しかも割と的確で、かわいくて、安直で、あざとくて、まぁ、はっきり言って、これ絶対狙っているよね。
そんな初音ミクのデモソングが動画共有サイトにアップロードされると、見た人は皆、その出来に驚いた。
「日本の技術ぱねぇ」
「ヤマハもとうとう始まったな」
「冬に薄い本が出るな」
「プロデュースってどこまでプロデュースできるんですか? 業界的な意味で」
ともあれ、そんな彼女をプロデュースしたい。
初音ミクを手に入れるために、多くの人が通販サイトをクリックした。
一日と経たないうちに在庫切れとなった。
人々は店頭在庫を求めてパソコンショップに殺到した。
そこも売り切れたら穴場であろう楽器店に殺到した。
数百本売れれば大ヒットとされる音楽ソフト業界、初音ミクは瞬く間に品不足になった。
初音ミクを手に入れた人々は、動画共有サイトに自身の"プロデュースっぷり"をアップロードした。
手に入れられなかった人々は、その嘆きをネタに昇華し、動画にしてアップロードした。
そんな初音ミク狂想曲の一部始終を、自宅のパソコンで眺めている高校生達がいた。
高校1年生のワタル、そして同じクラスの友達、孝志である。
「ミクが歌っている動画さ、続々と上がってきているけど、みんな変だよね」
孝志はデスクチェアに座り、ディスプレイに流れる動画を見ながらそうぼやく。
「ああ、なんかどれもテンション低い、音程狂っている、アホの子っぽい。最初のデモソングじゃ伸び伸びと歌っていたんだけどね~、まぁあれはメーカー力作のデモだから」
ワタルも合わせる。
「てかさぁ! そもそもバーチャルアイドルが歌下手でどうすんだよ! って、結局流行ってんのは結局ネギ振りだけじゃん! バーチャルなんだから音程もビシっと正確無比で一寸の狂いも無く歌うもんじゃないのか!」
孝志がやけに熱くなっている。まぁそう思うのは当然だよな、とワタルも思っていた。今日もこうして孝志がワタルの家に転がり込んでニコニコ動画にアップされた初音ミクの動画を何本も見ているが、何故かキーが低かったり音程をはずしていることが多いのだ。孝志の言う通り、パソコンが歌うのであるならば音程も正確無比でなければならないと思うのも自然である。
「そりゃパソコンが歌うんだから正確じゃなきゃって思うよな」
「だろ?」
「でもさ、そう上手くはいかない、ピアノだって誰でも最初はうまく弾けるもんじゃない、いかにしてうまく歌わせられるか? ってのをみんな試行錯誤してるんじゃないかな」
ワタルは続ける。
「それにだな、現実のアーティストだってさ、下手でも売れている奴って結構いるじゃん。ほら、アコギ持ってグッパイさようならとか弾き語ってるシンガーとか。キー上がりきってない、声もカスッカス、でもなんか歌ってる女子はかわいいから人気になって」
それを聞いた孝志は、妙に納得したような顔になった。
「なるほどー、そこまで考えて下手にしているのだったら、案外策士だ」
しかし孝志は続ける。
「でもさ、そんなに歌わせるのが難しい代物をみんな知らずに手を出して、勢いで動画で上げてるんだぞ? 最初っからそんなイメージつけてさ、第一印象音痴のアホだぞ? 現実なら売れる前にアーティスト生命終わってるわ」
まるで己が初音ミクを売り出すとしたら……と分析しているかのように孝志は喋りだす。
「まっ……まだ発売されてから一週間だ、みんなまだ使い方に慣れてないんじゃねーの?」
ワタルは繕った。
「初音ミクを本気で極めてプロデュース出来る奴が現れたら変わるかもしれないな。でもそれは一体いつになるんだろうね~」
憎ったらしい表情を浮かべながらそう言った。
「小室哲哉あたりがプロデュースすればイケんじゃね?」
「孝志、無理だろそれ、贅沢言い過ぎ」
ワタルは孝志の脇に立ちながら動画を見ていたが、さすがに疲れたのかデスク脇のベッドに座る。
「てかさ、2学期が始まってもさ、ふあ~、今日もこうしてワタルの家に上がりこんでネット見てるんだもんなー」
「だからさ、お前も早く自分のパソコン買えってよ」
ワタルは半ば呆れながら言い放つ。
「ダメだダメダメ! 今買っちゃったら本格的に篭りっきりのネットジャンキーになっちまう!」
「じゃあせめて違う趣味持とうぜ。てか孝志はさ、夏休みになんかチャレンジしたのか? 彼女作ったとか?」
「いきなりそれ聞くのかよ」
「まぁまず作れないよな、夏休み中に仲いい女子と遊んで……なんての、無理だ、絶対無理だろ、北商じゃあなぁ」
ワタルは苦笑いしながらそう話す。
「そりゃね、北商は商業科だから伝統的に女子の割合が多い。俺ら1年2組も男子が10人で女子が30人。入試の頃はうはwww恋の予感wwwって思うだろ?」
「そうそう!」
「でも入学したら現実は違った……。女子は速攻でグループ作って鉄壁の仲良し体制。女子って人数多いとすぐ固まっちゃうんだよなぁ……」
「ああ、俺は半分覚悟して入ったもんだけど、現実はもっと酷かったって」
「ワタルは覚悟してたのか、俺は純粋だったのかな……」
孝志はしょぼくれた表情で話し続ける。
「そんな状況で北商の男子と付き合っているとなれば仲良しグループの中でたちまち噂になる。つまりだ、俺たち男子が女子に付け入るスキは、無い」
ワタルも孝志に同調するかのように語りだす。
「男子と女子が1対1で話そうものなら、すかさず数人の女子で割り込んでブロックに入る。男子を相手にする場合はまず複数で、男子が複数なら女子も同数もしくはそれ以上で対峙、これが北商女子の伝統的な行動さ」
「ま、彼女欲しいなら外で見つけるしかないよな。他校なら噂になりにくいみたいだからな……ま、見つからなければだけど」
「あーあ! せっかくの高校生活1年目だってのに、楽しい思い出もラブロマンスもなく、気がついたら孝志と2人でネットのアイドル初音ミクなんて語ってるんだからなぁ」
「諦めんなよ!」
唐突に孝志が叫んだ。
「お前が言うのかよ」
「まだ早いぞ、早すぎるぞ? 俺たちまだ1年だぞ? 最低でもあと2回夏が来る。冬休みもある。春もあるぞ? 諦めたらそこで青春終了だよ」
「あぁ……青春がしたいです」
2人共、なんだか妙なテンションになってしまっていた。
そして訪れる虚しさと沈黙の時、窓から夕日が差し込む部屋。
遠くからはカァー、カァーとカラスの鳴き声が聞こえてくる。
――なんかのアニメのワンシーンかよ。
と、ワタルが思いながら時計を見る、もうすぐ6時になろうとしていた。
「あーもうこんな時間じゃん、あぁもう、なかなかミクをチェックできないなー」
「タグ検索で100本以上の動画があるからなー、これからも動画はどんどんアップされていくだろうし」
ワタルはパソコンの電源を落とし、孝志と揃って部屋を出て、階段を下り、玄関に向かう。
靴を履いて外に出ると、孝志は玄関口の横に止めていた自転車に跨り、ワタルの方を振り返る。
「じゃあ戻るわ、そういや月末は定期テストだろ? ミクなんて見てないでしっかり勉強しろよー」
「お前が言うな」
そして孝志は自転車を立ち漕ぎで飛ばし、颯爽と帰っていった。
――そうだな、高校一年の夏休みもとっくに終わり、もう9月に入っている。2学期の勉強もしっかりこなさないとなぁ……とワタルは思うのであった。
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