第3話 この世のしくみと真理
この世は、火と水で出来ている。
短くまとめるとこうなると思います。
言い換えると、無限のエネルギー(火)と、無限の質量(水)で出来ている。
古代日本からの考え方で、無限のエネルギー(火)を仏教の世界では、空(くう)と呼び、神道の世界では伊邪那岐命(いざなう気)と申し上げます。そして、無限の質量(水)を仏教の世界では、色(しき)と呼び、神道の世界では伊邪那美命(いざなう身)と申し上げます。
『現在の科学、量子力学では、無限の質量(水)を、素粒子となっております。
ただ、無限のエネルギー(火)は、まだ特定されておりません。
ですので、理解に苦しみ、受け入れ難いものと思われますが、冒頭のように、頭を柔らかくして、こんな考えもあるんだ程で、読み進めてください』
無限のエネルギー(火)は、我々の魂であり、生命であります。
それが抜ける事を、死といいます。
それが計測できるということは、喜怒哀楽が数値に出せることであり、精神病が計測できることですが、現在の科学ではまだ不可能です。
無限のエネルギーと、無限の質量、気と身が、空と色が、火と水が、調和している事を本来、愛と呼び、神は愛なり、の意義です。
ですので、この世は、愛しかなく、全てに神が宿り、愛に溢れています。宇宙大です。
その意味から、普段テレビドラマ等や、我々が言う夫婦愛や、親子愛などは愛では無く、情であります。
そして古来、夫婦の事を君
(気と身)(キミ)(男女二人でひとつ)と呼び、
君が代 とは、あなたたち夫婦は、という意味であり、間違っても今上陛下を示すものではなく、あなたたち夫婦のこれからの子孫繁栄を願う結婚式で歌われたもので、良い国歌だと思います。
古事記の中にもこの二柱の大神が初めて、性を持ち、夫婦、君となります。その一節は、
(難しいので飛ばしても大丈夫です)
是に其の妹伊邪那美命に問ひて曰のりたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのりたまへば、答白こたへたまはく、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき。爾ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故かれ、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為おもふ。生むこと奈何」とのりたまへば、伊邪那美命、「然しか善けむ」と答曰へたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひて、みとのまぐはひ為む」とのりたまひき。(中略、抜粋)
簡単に、
なりなりて、なりあまれるところ、ひとところあり(男神)
なりなりて、なりあわざるところ、ひとところあり(女神)
そして、
なりあまれるところをもちて、なりあわざるところを、さしふさぐ
普通に表面だけを考えて安易にSEXをイメージしやすいが、それだけでなく、
無限のエネルギー、やる気(能動態)と、
無限の質量、会社(受動態)が、
あわさって愛という、仕事という、ちから、
が発揮されるのだ。
漢字の成り立ちも、受に心が入って愛です。
全ては、火と水、能動態と受動態のバランスであり、
(陰と陽、男と女、天と地など)
やる気はあるが失業している(なりあまる)、
職場はあるが働き手がいない(なりあわない)が、あわさって仕事(愛)(ちから)となるのだ。
そのチカラが国の元であります。(国生み)
また、耳と、聞く意志で、聴力であり、
目と、見る意志で、視力であり、
肉体と魂があわさって人間なのです。
このことから、あなたは人間であり、火であり、空であり、無限のエネルギーであり、生命であり、神の子であり、愛そのものであります。
般若心経にある、
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
は、この事を指します。
これを愛の法則と言います。
この法則を乱すことを罪と言います。
愛の法則を乱すから、罪(病気)が発生したのだ。
守護霊をご存知でしょうか?
あなたを愛において、見守る存在ですが、あなたが魂的に成長するために病気になっているのであれば、本人がいくら、辛い、痛い、何とかして欲しいと思っていても、守護霊は思うでしょう。
"至って、順調、至って、成長を促しています" と…
ですので、あなたの願いや、神頼みは叶えられません。あなたに理由があるからです。
是非、前向きに、反省、内省し、愛と智慧と勇気を、震えながらでも、泣きながらでも一歩踏み出しましょう。
物質には物理的な限界があり、伊邪那美命もやがて黄泉の国に旅立ってしまいます。
肉体には限界があり、成長期を過ぎれば年々衰えるものです。
ですので、必要以上に肉体トレーニングや、知識を詰め込むのに励むのは見栄っ張りとなりやすく、魂の成長にはなりにくいもので、ほどほどが良く、匙加減を間違えてはいけません。
結果に拘り、物に執着するのは見栄、虚栄心の塊である証拠です。
(中にはズルをしてまで)
弱肉強食の獣の世界で、結果が立派でも人間的、人格的に立派になり得ないのです。
もちろん、体が弱く、スポーツがダメでも、物覚えが悪く学力がダメでも、人格が否定されてる訳でもなく、自分がダメだと劣等感を持つ必要もありません。
これも、肉体、脳を鍛えることが魂の成長になるものでは無いと、納得、理解するまで修行です。
逆に、先天的に体が不自由で、脳も完全ではない、障害、難病をお持ちの方々は、
生まれる前に、そういう体験をしようと自己意思決定し、支えてくれる優しい親を選び、
そんな身体でも自分を愛し、人を愛せるか?
という難しい魂の修行、魂の進化をしようとし、また、できているのです。
(後天的なものは別です)
身体が不自由でも、魂のレベルはすごく高いのです。
本分である心の、魂の進化のために生まれて来たのであって、肉体トレーニングや、記憶の勉学に生まれて来たのではありません。
ただ、動機が、世間体の為や、虚勢、見栄であればつらく、病気になりやすいでしょう。
好きで、楽しくやっている間は自分の良い経験、体験になるでしょう。
その上で、社会や世間の役に立てば良いのです。
見極めが大事となります。
なまじ才能がありながらも、老化し、やがて衰え、意地、見栄、執着を手放さなければならない難しい修行をされているのです。
我々の本体は魂であり、無限のエネルギーであり、火です。神からくる火の子供なので、人は神の子です。
伊邪那岐命から流れる、後の天照大御神を中心とした火の系譜であります。
ですので、男子は、火の子で、ひこ(彦)であり、女子は、火のおんなのこで、ひめ(姫)となります。
火が入らなくて、死んでしまう肉体を水子(みずこ)と呼びます。
そして我が国を、ひのもと、日本となります。これが古代からの考え方で、天皇陛下を祖とする、やまと民族の成り立ちであります。
肉体や身体、金銭や物は伊邪那美命からの一時的な借り物であり、いずれ返却するべきものです。
本当の意味で、自分の物は、自分の魂のみです。
借り物ですので、手入れを怠り、傷だらけですと賠償金という名の病気、痛みが返ってきます。
(因果応報)
話がそれますが、この考え方から、やまと民族には、女性蔑視の思想は本来無く、尊重しています。
女人禁制なのは、自然環境が厳しく、盗賊や野盗、熊や狼(20世紀初頭に絶滅)などの獣から被害に遭わせないためであり、武士が先に歩くのも後ろを守るためであります。
和歌や短歌、俳句などでもそうですが、表立って本当の意味を書かない、裏側の奥ゆかしさが日本でしょうし、察するのが日本の美学ですが、教える人が少なく、教育システムもなっていない。
内臓も表立って言わないので、察してあげましょう。
レディーファーストは従来、後から来る人の安全を確保するためにありました。
(襲われても逃げられる)
(先を歩く女性は生贄です)
自虐思想教育のプロパガンダが横行しておりますので、誤解なき様、お願いします。
先人達の勇気ある智慧の足跡、先祖達の精霊の誇りと尊厳、また自らの遺伝子と血を、自分から侮辱するとは何事か!
嘆かわしく、先輩たる兄弟たる高位の精霊に顔向けできないというものです。
そして、火が入っていない、水子供養や、
火が抜けた肉体(ただの物質であり、カルシウム)のための墓も本来、必要がないのです。
当の本人は墓にいないでしょう。
私も居たいとは思いません。
必要なのは、感謝のみであり、本人は魂的に死んではいません。
(永遠に死なないし、また、死ねないのです)
残念ながらビジネスであり、世間体であり、見栄であり、愛着という名の執着であり、自己満足の世界です。
中には墓に入らないと駄目だ、と思い込んでいる方しかいません。
これを自分で自分を縛り付ける、自縛霊、地縛霊となります。自爆ですので(汗)
日々、仕事と、家族と、自分と向き合い反省し、愛と智慧を出し合い、勇気を持って開拓し、和を持って支え合っていくことに(感謝)、真の生活があります。
神道的に、
直霊の御霊=反省
幸御魂=愛
奇御魂=智
荒御魂=勇
和御魂=親、和、感謝
心、魂の成長は、本人次第ですが、
肉体は時間と共に自動的に成長し、
大人になり、歳を重ねます。
プライドだけは自動的に成長します。
幼稚園児みたいな大人、モンスターな大人、老害などと呼ばれないようになりたいものです。
我々は何度も輪廻転生を繰り返し、色々勉強し悟りながら、前に前に、上に上に進むのだ。
人の百年程度の一生では、
全てを理解するには、
あまりにも短く、
腐るには、あまりにも長いのだ。
やまと民族よ、やまと魂たれ
奮起せよ!
己の血と、肉と、骨と、全細胞を総動員して、
心を尽くし、生命を尽くし、魂を尽くして発奮せよ!
鑑みよ、反省せよ、勇(いさみ)を振り起こせ!
病気如きに呑まれるなかれ
娯楽に逃げるなかれ
己に向き合い、克己せよ
誇りと、尊厳と、安寧はその先にある
我思う、故に我あり
病的な考えな故に病気である
そして、我々は果てには、何処に向かうのでしょうか?
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