第14話 遠い音

 君が、これを読んでくれるか、正直不安だった。結局、本当のことを言わないまま終わってしまったから。一つだけ言い訳をさせてくれ。私も、今日になるまでこんなことになるとは思わなかったよ。だんだんと、自分に死が近づいているのがわかって、この手紙を書いた。私が君に私の過去を話したことにしておいてほしいと思ってね。

 14年前、私が二十一の時に、大学の授業の一環で海外留学に行ったんだ。その時、四つ年下の彼女がいてね。その留学が終わる四年後に思い出の場所で再開しようと約束していたんだ。私は約束の日、彼女を日が暮れるまで待ったが、彼女は現れなかった。仕方なく、私は彼女のことを忘れようと決めたんだ。その日は友人にホームパーティーに招待されていてね。彼女もそのパーティーに招待されていたのは後から聞いたんだが。久々に会った女友達に絡まれたところを彼女が見て、その後すぐに会場を飛び出してしまったらしい。友人にはあの場所にいく時間に間に合わなかったことを謝りたいと言ったが、あんな光景を見てしまったのだから、わかってもらえなかったとしても仕方ないいだろうと言われたが。私は数日後にその話を聞いてすぐに彼女の家を訪ねたんだが、訳を話しても彼女には会わせてもらえなかった。私は何度も彼女の家に通い詰めたが、急に引っ越してしまった。行方もわからず、一ヶ月経った頃、彼女の母親から連絡があった。もう彼女に会わないでくれと。私にとって、そこまでは想定内だったが。彼女が帰り道に飲酒運転していたトラックに牽かれて、解離性健忘になったと言われた。私のことを、一切思い出せないのだと。流石に私はショックを受けた。

 だから…再び彼女が私の前に現れた時は驚いた。彼女を最初に抱きしめた時、彼女の記憶が戻ってくれたら、と思った。それと同時に、記憶が戻らなければ一緒にいられるとも思った。彼女に触れる度に、自分を抑えられなくなりそうだった。

 愛おしい彼女の唇から、好きだと、そう言ってもらえた時は嬉しかったよ。私にとっては彼女の口からその言葉を聞くのは二回目だったが、泣き出しそうになるのを止めるのに必死だった…。私は、怖い顔をしてなかっただろうか。

 彼女の前から消えてしまっても、前と同じ生活に戻るだけだ、と思った。私には彼女の隣にいる資格はない、ともな。自分がもう長く持たないことも、私は理解していたはずだった。それなのに、私は彼女から離れることなんて、できなかった。彼女に見せてもらった夜空に浮かぶ星を見上げたら、昔住んでいたアパートの屋上から見た星のことを思い出した。だから私はその時と同じことを言った。彼女は覚えていないのに、何故か言いたかった。何故だろう、今でもわからないな。

 噫、そうだ、同封していた箱があるだろう。よかったら、開けてみてほしい。渡せないままに、なってしまったが…。君が良かったら、受け取ってほしい。

 



 さようなら。


 *


 家にいるからだろうか、まだ彼の気配が残っているからだろうか。涙が溢れ出して、止まらない。紅茶のカップに涙がこぼれ、しょっぱくなってしまった。机の上に置いた、小さな木箱を見つめた。少し傾けると、ことりと音がした。紅茶はもう、湯気を立てていない。暗い部屋の中で、私は箱の蓋をゆっくりと開けた。


 台座にダイヤの埋め込まれた二つのリングと、海と星空をモチーフにしたペアウォッチが入っている。片方には私の名前が、もう片方には彼の名前が書いてあり、彼のペアウォッチに一言、文が刻まれていた。


〝貴方は私の光。永遠に、私のことを照らしてくれる〟


 その文章には、見覚えがあった。そうだ、私が書き留めていた、日記の表紙の裏に書いたものだ。何故なのだろう、何故、彼がこの言葉を知っているのか。思い出せない。どんなに考えても、何も…。彼の手紙の内容も、未だわからないままだ。感じた違和感は、何なのだろうか。


 私はもう一つのペアウォッチを裏返した。


 そこに書かれた一文、それを読んで、いきなり、両目から涙が溢れ出た。短い一文だった。それでも、私を崩壊させるには有り余るくらいの力で、それは私を優しく包み込んだ。



 パリン、とガラスが割れた音がする。靄がかかって見えなかったものが、はっきりと目の前に現れる。


「嗚呼、そうだったのか」


 震えた声で、自分がそう言ったのが聞こえた。



 全てが繋がっていく。彼の言葉が、優しさが、私の中で切り離されていたものに。愛おしくて、苦しくて、私は実体のないそれを抱きしめるように、自分の肩を抱いた。


 ——遅いよ、何で今なの。


 二つのリングとペアウォッチを見て、小さく呟いた。


 悲しくなるくらい、しんとしている。いつもなら高校生たちが楽しそうに話しながら帰ってきたり、隣から子供のはしゃぐ声が聞こえてくる時間なのに。私以外のものの時間が止まってしまったようだった。どうしようもない寂しさと虚無に襲われる。

 部屋で独り、私は声を上げて泣いた。




 愛してるなんて、いらない。だから、ただ―――…

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