第9話 癒えない舌
急な話で戸惑うあたしに田中さんは『少し話そうか』と近くにあったテーブル席へ座るように促した。
席につき、田中さんが入れてくれた紅茶を一口飲んでから話しかける。
「亡くなったって……急だったの?」
「いや、老衰って聞いているよ。前の店長は
「そっか……。一緒に働いていた人が突然いなくなっちゃうと寂しいね」
「あぁ、そうだね。彼の場合は頼れるのが瑠璃さんだけだったから、余計、心に大きな穴が空いたのかもしれない」
「瑠璃さんだけってどゆこと?」
瑠璃亭に来て、商品の業者さんと店長以外に従業員は見たことがない。お店はそこまで広くないから、あたし一人でも十分手が足りるとは思う。もしかして、未糸兄達みたいに家族で経営していたのかな?だったら、家族がいなくなってお店が大変にはなるよね……。
田中さんはあごに手を当てて目線を横に少しずらし、唸ってから話し始めた。
「瑠璃さんは、なんて言えば良いのかな……。彼のお師匠さん、みたいな人かな」
「お師匠さん?」
「うん。彼が生き倒れていたところを瑠璃さんに拾われてね」
「い、生き倒れていた!?」
現代でそんな事あるの?
つーか、店長なにげにサバイバルな生活してたの!?
「僕もくわしい経緯は聞いていないよ。ただ、彼女から生き倒れていた若い子を拾ったって相談された。やせ細っていて服もボロボロだったんだ。流石に放っておけないって面倒を見ることにしたそうだよ」
今の『顔だけイケメン店長』からは想像できない姿だな……。どっちかってーと拾う側な気がする。気に食わないけどイケメンだし。いや、イケメンだからこそ拾う神ありかも?
「身よりもないし、行く宛もなかった彼に料理や身の回りの事、人との関わり方、いろいろ教えたのが瑠璃さんだ。だから彼にとって『人生のお師匠さん』じゃないかな?」
紅茶を一口すすり、懐かしそうに遠くを見てため息を付く田中さん。
店長がサバイバル境遇だったのに驚いたけど、瑠璃亭を一年も閉めいていた理由はわかったかも。店長にとって、すぐに立ち直れないほど、すごく大事な人だったんだね。
きっと田中さんにとってもそう。
「じゃあ、お師匠さんが居なくなったショックで舌がおかしくなったって事?」
「あぁ。瑠璃さんが去ってから少し時間はたっていたけれど、たぶん別れのショックだと思う」
「たぶん?」
「ハッキリと原因は分からないんだ。実は彼の体質は特殊で、一般の医療機関では対応出来ない。診てくれる所も遠方でなかなか通えなくてね。彼がやっと外に出ていけるようになった頃にはすでに味覚は変わっていた」
生き倒れに特殊な体質。店長って色々苦労してきたのか……。
「ショックでマッズイ料理しか作れなくなっちゃったんだ……」
悪い事って続くことあるよね……。ショックに追い打ちをかけられて、 もっとしんどくなっちゃったってわけか。
だからといって、法外な借金を女子高校生に背をわせるのはないと思う。
田中さんは紅茶を覗きこみながらカップを軽く左右に揺らす。
「んー、なんと言うか、
「味がないぃぃ?なにそれ」
そりゃコンニャクとか、寒天も味付けしないと食べづらいけど独特の風味はあるし、まったく味がないとは思ったこと無い。味がないって想像できないな。
「何を食べても、物体が口の中にあるって感覚しかないらしい。試しに私の作ったホットケーキを食べさせたが、紙粘土ですか?って訊かれたよ」
「え!マジで!?」
あのチョー美味しい田中さんのケーキが紙粘土ですって?ふざけんじゃないわよ。あんなにおいしいホットケーキを出せる人なかなかいないと思う!
「あぁ。彼自身も相当ショックだったみたいでね。それからずっと店を閉めていた」
「……そうなんだ」
やっぱり、店長ってかなり繊細な人なのかな?
身近な人が居なくなった悲しみで体調壊しちゃうぐらいだもんね。本当は繊細でやさしい人なのかもしれない。
あたしの扱い酷いから全然実感わかないけどね。
つーか、ケーキが紙粘土の食感って言う人が『僕のケーキは旨い』ってどや顔していたわけ?そりゃ田中さんも不安になるよ。
「最近、時薬のおかげか、うっすらと味がするようになったって喜んでいたんだ。瑠璃さんの残した店をこのままにしていられないからって、再開の準備もしていたけど、どうも波があるみたいでね」
「波?」
「凛ちゃんも、調子が良い時と悪い時ってないかい?」
確かに、好きなパフェでも五杯しか食べられない時と、十杯いける日あるもんね……。
「ちゃんと味覚が戻ってないのに店を開けるのは待った方がいいと、散々言い聞かせても聞かなくて、困っていたのさ」
店長頑固だなぁ……。
まあ、お店を開店出来るならしたいよね。
居なくなった人との思い出の場所は守りたいって気持ちはわかるな。
「あまりにも忠告を聞かないものだから、私と瑠璃亭のオーナーである古里さん、商売のプロの讃岐さんで条件を出した」
「条件?」
凛は首を傾げて聞き返した。
「そう。一つ目は瑠璃亭を再開しても良いが、オープンして最初は宣伝をしないこと。宣伝をして、いきなりお客様が増えても対応できないのは分かっていたからね。二つ目はさえずり祭に出店して、好成績をあげること。さえずり祭で彼の味をみんなに認められれば瑠璃亭は
「うっわ、あの味覚で、その条件はキツくない?」
さえずり祭は地域のビッグイベントで、祭りで有名になれば、商店街で流行りの店に仲間入りできる。
あたしが出店したことは無いけど、商店街の人たちが、祭りでうわさになったお店がどんどん有名になって、都会の百貨店に支店を出せたって話していた。
さえずり祭は一気に有名になれるチャンス。
でも、それは美味しい料理があればって話。マッズイ料理じゃ絶対無理。
店長のケーキはランク外だよ。
「そうだろうね。彼もわかっていたとは思うよ。私達も難しいと分かっていて条件を出した。でも、彼は僕らの条件を飲んだ。宣伝もせず、瑠璃さん時代の常連客たちに助けてもらいながら細々と店を続けていたんだ」
そうなんだ。
確かに、伯爵とかポン太以外のお客さんって見たこと無かった。
宣伝していないなら、知っている人しか来ないよね……。
「はじめはあまり心配していなかったんだけど、さえずり祭が近づくにつれ不安になってね。彼の調子が良くなっているか誰かに確認してもらいたかった」
「あーもしかして、その確認役があたしって事ね」
田中さんは強くうなずいた。
マジか。
「さっきも言った通り、凛ちゃんは歯に衣着せぬ物言いをしてくれるからね。安心して任せられると思ったんだ」
信頼してくれるは嬉しいけど、お皿割れたり、インコに突かれたり、働かされるのはきいてないのよ。
てか、田中さんのお望み通りにしたら店長気絶しちゃった。お先真っ暗じゃない?
「で、確かめたら倒れたんだけど。これって祭りどーのこーのより、さらにピンチってこと?」
「そう……だね。きっと、瑠璃さんのレシピどおりに作れば間違いは無いと思っていたんじゃないかな?料理だって生きものさ。季節や気温にあわせて配合しなくちゃ美味しい料理にはならない。彼、はりきって複雑な味にチャレンジしたんじゃないのかい?」
「なんか、薬草入れたムース入りケーキだったよ」
ぶっちゃけ、ケーキに薬草はいらないと思う。てか、あれは薬草っていうより、草。草だよ。
田中さんは眉毛をへの字に困り顔だ。
「またまた、難しいところに手を出したね……」
「田中さん、あのケーキ知ってるの?」
「あぁ。瑠璃さんが良く作っていた看板メニューのアレンジだね。抹茶とヨモギ、桜の塩漬けを絡めた餡子をあんずスポンジケーキとミルクチョコレートのドームで包んだお菓子だよ。季節にあわせて中の餡子もムースやクリームに変えて、土台部分もケーキだったり、パイにしたり、求肥に包んだ時もあったね。懐かしいよ」
え、なにそれ!?ちょー美味しいそうなんですけど!?
抹茶と桜餡も気になっちゃうけど、さらにあんずとチョコレートに包まれている訳でしょ?バレンタインの特設コーナーにある有名パテシェが作ったチョコみたいじゃん!チョコとあんずって相性いいし、求肥とケーキの組み合わせも、もちふわで美味しいんだよね〜。話しを聞いただけでもお腹すくぅ……。
てか、店長が作ったのは、田中さんが懐かしがるぐらいにおいしかった瑠璃亭の看板メニューを再現してみたってこと?
……再現度低すぎぃぃ。
「もちろん餡の素材も季節によって様々さ。抹茶ってことは、春の餡を作ろうとしたのかな?」
「春ぅ!?」
なんで春!?
今は初夏じゃん。
田中さんはあたしのビックリ顔を見て、苦笑いした。
「彼の季節は、瑠璃さんが亡くなった春で止まっている。彼女と最後に作った春のケーキの味なら再現できると思ったんだろうね」
え、なんか切ないな……。
いちばん最後に食べた味って覚えているもんなの?
昔の記憶で味覚も曖昧なのにわかるはずないじゃん……ってのは冷たい?
あ、でも、想い出の味をガッツリくそ不味いって言った時点でひどい奴かも。
……ちょっと反省。
「凛ちゃん」
「なに?」
「彼も今回のショックで、私達が瑠璃亭復活を止めた意味がわかったと思うんだ。古里さんと讃岐さんは否定と賛成の気持ち半々みたいだけど、私はね、瑠璃亭の美味しいご飯をもう一度食べたい。彼がふさぎこみ続けるようなら、怒らせて焚きつかせてほしい。凛ちゃんなら、きっと出来る」
まぁ、美味しいご飯が食べたいって気持ちは大賛成。だけど、怒らせてやる気でるかなぁ?
メンタル弱そうだから、ますます、気持ち落ち込みそう。
うーん。
田中さんは考え込むあたしに目線を合わせて、さらにお願いする。
「彼を知るものは、気を使って遠回しにしか言えない。ズバズバ言える凛ちゃんが頼りなんだ。せめて、さえずり祭が終わるまででもいい。彼を頼むよ」
……なんか、頼られているはずだけど、空気読めない人って言われている気がするのはあたしだけ?
まぁ一生懸命ケーキ作っていたの知っているし、なんか店長ってほっとけないんだよね。
答えないまま考えていたら、田中さんがあたしの両手を握って目を合わせた。
「……1ヶ月、特大ホットケーキ食べ放題、お代は千円」
「……無料がいい」
「半額」
「百円」
「三百円」
「百五十円」
「に、二百円」
「……しょーがないなー。二百円で引き受けましょう!」
「凛ちゃんならきっと協力してくれるって信じていたよ!」
握ったあたしの両手を軽く叩き、良かった良かったとうなずく田中さん。
……あたし、もしかしてチョロい?
くそぅ、おいしいホットケーキの誘惑には勝てないよ。
「ううぅん……」
「あ!店長おきた!」
うめき声を上げてゆっくりと上半身を起こした。
店長は頭を押さえながら、あたりを見回す。
「ここは?なんで店のソファで寝て……た、田中さん!?」
「やっと目が覚めたね。凛ちゃんから聞いたよ?さえずり祭、どーするつもりなんだい?」
「そ、それは……」
店長が口ごもる。こいつ、ちゃんとヤバい現状って分かってたんじゃん。
目をそらして黙り込む店長に田中さんが人さし指を立てて彼の前に突き出した。
「僕から、追加の条件だしてもいいかな?」
「追加、ですか?」
「そう。追加。さえずり祭のお菓子、凛ちゃんと二人三脚で作りなさい」
「嫌です」
「また、
こいつっぅぅ!
いい加減協力しないとヤバいでしょうが!!
「拒否権はありません。何故なら、君は期限までにお菓子を用意できなかった」
「まだ時間はあります」
「あと三日ですけどぉぉぉ?」
「三日あるだろ」
怖っ!横目で睨まれた。
確かに、審査会まで三日、祭り本番までは十日ある。
でも、あと残り三日じゃ、間に合わせのお菓子になっちゃいそうだな……。
田中さんは腕を組み、しかめっ面で店長を見下ろした。
「瑠璃亭と名を打つお菓子が、不味くて雑なものでいいのかい」
「それはっ……」
「ダメだろう?だったら、しっかり考えなさい。古里さんと讃岐さんには僕から現状は伝えておくよ。私たちの期待をいい意味で裏切れるように頑張って。必ず二人で祭りの審査会においしいお菓子を届けて下さい。もちろん、凛ちゃんも一緒だ」
「え……どうしても、ですか?」
困った顔して、すんごい嫌そう!
あたし、そこまで嫌がられた事無いから、逆に新鮮だけどムカつくぅぅ!
「どうしても、です。君の味覚が不安定な今、頼れるのはグルメな凛ちゃんの舌だけですよ?」
「……しぃかたなぃぃですぅねぇ」
歯を食い縛りながら言う!?
仕方ないはこっちのセリフですぅ!
ご機嫌斜めのあたし達とは逆に、田中さんはニコニコ笑って、とっても嬉しそう。
「じゃ、凛ちゃんと一緒に頑張ってくださいね」
「……はい」
薄目で小声!返事はイエスだけど、目でノーって返事してるっ!
こいつに任せていたら一生借金返せそうにない。ここは華の女子高校、あたしが引っ張ってくしかないっしょ?!
「店長!ハイがちっちゃい!こうなったら、とびっきり美味しいお菓子作るよ!エイエイオー!」
「……はぁぁぁぁぁぁ」
あたしの気合いと同時に、店長のながーいため息が瑠璃亭に響いた。
祭りまであと十日。
よっし!頑張るぞぉ!
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