グッバイ、マイヒーロー
高戸優
グッバイ、マイヒーロー
畜生と思った。そんなの聞いてないんだよ。
きっかけはテレビだった。朝のエンタメニュースは一時間ほど前と同じ内容を放送している。寝ぼけ眼でもわかる一度見た映像をなぞりながら、俺は女ーーそれより親かーーには絶対見せられない格好で、トースターから取り出した食パンにジャムを塗っている最中だった。
黒いボクサーパンツとワイシャツの男がぼさくれた頭に丸眼鏡でいちごジャムを塗る光景。昔憧れたヒーローからはとても程遠い位置にいる、正直負け組の俺。
「でも外国のヒーローならここから着替えて颯爽っと現場に向かうんだよなぁ……」
そんな元気はねーですわ、と笑うしかない俺がジャムパンを齧っていると
『今人気絶頂のバンドの新曲MVが公開されました!』
「……おお?」
先ほどは流れなかったニュースが耳に入る。顔を上げると見たことないバンド名が流れていた。昔軽音部に所属していた名残で反応してしまったが、流石に全バンドを把握できるわけがない。いちごの申し訳程度の果肉を味わいながら説明を見ていれば、何かの違和感を感じる。首を傾げている耳が認識したのは、そのバンドの新曲だった。
ギター、ベース、ドラムにボーカルというよくある構成のバンドが演奏しているMV。たまに映り込む、曲のイメージを抱える女性の笑顔がやけに印象的なそれ。
だがそんなことより、俺には気になることがある。
「……おい」
このメロディーの先を俺は知っている。この歌詞をボーカルより先に口ずさめる。
「……は、ぁ?」
よく見れば、髪を染めたりピアスを開けたりしているギターボーカルの顔に見覚えがある。同様に、画面に抜かれたドラムの黒髪時代も知っている。知らないのはベースの男の顔だけ。
俺は、曲もメンバーも知っている。連絡が途切れてはや数年の奴らだってことを理解している。
その曲が、俺の処女作であることも覚えている。
気づいた時にはテレビを殴りつけていた。液晶画面が一瞬波紋のように広がり、戻る。大きな音を立てた割に、俺の手に残るのは画面上の均一な熱さだけ。
「それ、俺のだろ! 何してんだよ!!」
画面に抜かれ続けるギターとドラムの顔を殴りつける。寝起きには厳しい液晶画面の明るさとピクセル単位の映像。いちごジャムのトーストは代わりに床が食っていて、手についた甘く赤いそれは奴らの代わりに血を演出しているようだった。
「っ……畜生、畜生!!」
脳裏を駆け巡る当時の記憶。ベースを担いだ俺と、ギターとドラムのスリーピースバンド。ギターの下手でも好きだった歌声。当時片想いしていた女の子をイメージして作った曲。結局思いを伝えられず、封印を約束した曲。
「お前らが言ったんじゃん、お前らがーー!! この曲は引退のとき最後って!!」
奴らの連絡先は知らない。何故って俺が消したから。奴らは当時の楽譜を持ってる。何故なら俺が渡したから。回収なんてしなかったから。
だって、だってーーこんなことを予想できるほど、俺は俺に自惚れてなかったから。
「俺の返せよ、俺の思い出! 俺のーー」
だが叫んだところで意味はない。何故って俺の声は届かないから。代わりにテレビを殴るがこれまた意味がない。何故って俺とあいつらでは生きる世界が変わったのだ。
嗚咽が漏れる。あの曲が頭にこびりついている。涙が溢れる。いつの間にか切り替わっていたニュースを無視して、途切れた先を歌い続ける。
まだそらで歌えるくらい好きな曲だ。きっと、作曲の時に触ったコードも指が覚えている。あれ以来離れてしまったベースだって覚えているに決まってる。
それくらい大事な曲だった。恋が叶わなかった代わりに、一緒に走り抜けた記憶を宿した曲だった。
それを、まさか、こんな形で?
大人気なく泣きじゃくる。俺はしがないサラリーマンで富も名声も一般の枠を超えない男。かたやあいつらは富も名声も一般枠を越え始めたバンドマン。この肩書を見るだけで、世間が何方を正とするかなんて分かりきっていた。
嗚咽が漏れ、床はトーストと涙の水を食べ続ける。嗚咽の中壊れたように何度も刻むリズムはあの日のまま。
畜生と思った。そんなの聞いてないんだよ。
ヒーローでもなんでもない俺は、ただ無様に泣き続ける。
グッバイ、マイヒーロー 高戸優 @meroon1226
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます