【序章】幻術師の王国騒乱②

冒険者ギルド。


魔素と呼ばれる物質で変異した凶暴な生物『魔物』の討伐や未開拓領域の探索、街の清掃に至るまで人々の依頼を受付け、ギルドに登録した者に斡旋する公共機関。


いつもは依頼を探す者や職員で溢れるギルドには、現在ほぼ人の気配はなく、迷惑そうな顔の受付嬢と一人の青年がいた。

いや、よく見ると受付の奥には職員が物陰に隠れ様子を伺っている。


「ーーでさ、あの店主よりにもよって僕の事を幻術師とか言うんだよ。幻術どころか魔術だって使えないって。言いがかりばっかりつけてさ」


ギルドの受付は壁に貼り付けている依頼票を確認するだけ場なので、基本申請側に椅子は用意されていない。だがゲノムはどこからか引っ張り出した椅子に腰掛け、受付の前を陣取っていた。


彼が来てから延々と愚痴を聞かされている受付嬢は、ペンを片手に頬杖を着きながら窓の外を眺めている。

くすんだ金髪を一つにまとめた、不自然な胸の少女である。仕事中だったのだろう。受付には飲みかけのお茶と、書きかけの書類が広げられていた。


「って言うか、魔術なんて僕みたいな一般市民に使える訳ないじゃん。もし使えたらどっか良いとこに仕えてるって」


魔術と呼ばれる現象を扱える人物は限りなく少ない。もし平民に魔力の反応があった場合、それがどんな小さなものでも国から高待遇を受けることになる。故に平民の親は、子供が生まれたと同時に魔道具を使い、魔力の有無を確認するのが全世界での習わしとなっていた。

ちなみに魔道具と言うのは、魔力の有無に限らず魔術的現象を発動することが出来る道具のことである。一般的に流通しているものは小さな火を出したり、一瞬だけ光ったりと微々たるものだが。


「······そーですねー」

チビチビとお茶を飲みながら、彼に視線を向ける事無く適当な相槌を打つ彼女。完全に聞き流していた。


「······あ、お茶が無くなった」

「あ、僕がいれるよ」

呟かれた彼女の言葉にすぐさま反応し、空の紙コップを持ちギルド備え付けの給茶機へ歩いていく。

「······はぁ」


暫くするとゲノムが戻って来た。戻りながらも話し続けている。

「それに幻術って何さ。そんなん言い出したら世の中の事件なんて全部幻術の仕業じゃん。言いがかりにしてもマシな言い分があると思わない?」

ゲノムはお茶の入ったコップを彼女の目の前に置く。


「冷たいので良かった?」

彼女は仕方なしに手を伸ばすが、その手は紙コップを掴むことなくすり抜けた。

「············」


「幻術なんて本当にあるかどうか分からないものを疑うなんて、どうかしてるよ。そんなんだからこの国の警備はザルなんだ。先週城に出たって言う侵入者も捕まえられなかったらしいし、王国の騎士団長も行方知れずらしいじゃないか。なんでもクーデターなんかが噂されるらしいしさ。僕の見解だけど、近々王国が声明を出すね。王国が危機に脅かされているのは全て幻術のせいだってね。掛けてもいいよ」

ペラペラと口を動かす彼に根負けしたのか、ようやく彼女の視線が彼を捉えた。かなり冷ややかなものだったが。


「······じゃー貴方が来る前にいた冒険者も幻覚だったんですかねー」

彼女がようやく視線を向けた事にテンションが上がったのか、ゲノムの笑顔と声量が大きくなる。

「きっとそうだよ! 何もかも全部噂の幻術師のせいなんだ。きっと録な奴じゃないね! あ、お茶もう飲んだの? はい、おかわり」

「············」


どこから用意したのか。再び置かれるコップに、彼女は今度は掴もうとせず、代わりに手に持っていたペンでつつく。

コップは倒れ、カウンターにお茶が流れる。置かれていた書きかけの書類に染みが広がって行く。

「············チッ」

「落ち着いて。そうだ、これもその幻術師のせいだよ」


「······なら今私の目の前にある業務の邪魔をする変な男も幻なんですね。ついでに新人の私に受付を押し付けた先輩方もみんなみんな幻っ。ホント、消えてくんないかなっ!」

雑巾を取り出しカウンターを拭く彼女の言葉は、次第に強くなっていた。


「なんか疲れてる? 相談乗るよ」

濡れた書類が雑巾を持っていない手で握られる。

「でっ、なんか様ですか?」

「今日はいい天気だなーって。散歩日和だよ」

その言葉に受付嬢は動きを止め、ジロリとゲノムを睨む。


「······つまり用はないと。お帰りを」

「あ、そうそう。君の恋人から伝言を頼まれてね」

「···私に恋人はいませんが、一応聞きます」

「暗くなってから約束の場所で会いましょう。だって。熱いね」

彼はトンと指でカウンターを叩く。それを見て彼女の視線が強くなる。

「迷惑です。とお伝えください」

「あと、胸、詰めすぎだよ(笑)だって」

「やはり私から会いに行きます。と、お伝えください」





パタパタと三角耳をはためかせながら、少女は丘の上に立っていた。尻尾がフリフリと緩やかに振られている。


「むむ。何やらお城と街が見えます。······ふむ、あそこにゲノムがいるようですね。しかし私は街に入る訳には行かないのです」


彼女はどうしても街には入ることが出来ない事情があった。無理矢理にも入ることは出来るが、もしかしたら彼に迷惑がかかってしまう事があるかもしれない。そう考え、彼女は彼が街の外に出るのを待つことにした。


「私は賢い獣の王っ! 待てなんて朝飯前なのですっ。そうすればきっとゲノムも沢山ペロペロさせてくれるのですよ!」

緩んだ口元に涎が溢れる。同時に小さなお腹から大きな音が鳴った。


「そう言えば、ご飯がまだでした」

キョロキョロと周りを見渡し、丁度森から出てきた巨大な猪型の魔物と目が合った。

「······じゅるり」

憐れな獣は死を覚悟した。

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