山の中腹で

萩原稀有

山の中腹で・4


 そして、発砲音が鳴り響いた。


 空気そのものが破裂したかのような、重く、とても乾いた音が、山の林に響き渡る。しかしそれもすぐに飲み込まれ、やがてまた静寂が横たわる。


 銃口の先で、灰色の軍服の男が一人、くずおれた。


 隅々が焼け焦げ、炭化して崩れた軍服の上では、まだ鮮やかな赤色の滲みが嫌に目立っていた。露出した右脚は、まるで重機にでもし潰されたかのようで、原形を留めぬまでに破壊されていた。それは最早、傷付き、機能を失った肉袋に過ぎなかった。


 その男の頭蓋から血が溢れ、枯れた地面に流れては染み込んでいく。


 もう二度と、その男が動くことはない。



 銃口が持ち上がった。


 黒ずんだ鈍色の銃口は、それは同時に銃身であった。ただの金属の筒でしかない、しかし鉄パイプなどとはわけの違う重厚おもさを持つそれは、長年使い込まれたことが、そして大切に磨かれてきたことが一目で分かる。死屍累々の中で、それは鈍くて重い光沢を、いつもと変わらず放ち続けていた。


 その銃身に沿うように伸びるのは、無駄な装飾も発砲者への配慮もない、滑らかで直線的な茶色の木製の銃床。その小銃は、引金や遊底槓桿ハンドル、照準器こそ金属製だが、それ以外の部分、つまり銃床は木製だった。これも銃身と同じく、人の手の脂が染み込んだまだらが、それの年季の入りようを伺わせる。それと、一滴の絵の具を落としたように銃床に広がる、赤黒い血痕も。


 小銃の槓桿に、白く小さい手が触れた。


 銃という、純粋な暴力の道具には余りにも不釣り合いなその手が、慣れた手つきで槓桿を回し、力を込めて後ろに引く。くすんだ金色の空薬莢が宙を舞って地面に落ち、同じく地面に散らばる無数のそれらに紛れた。



 それは、幼い少女だった。


 歳は、まだ十二を超えたかどうかだろうか。女性としての成長など欠片も見られない、華奢で薄い体つき。その少女の儚げな印象は、少女が着る純白のワンピースによって、余計に強調されている。


 しかし、両足に履いているのは、見紛うこともない軍靴。肩を超えて美しく流れる黒髪も、今は武骨な灰色のヘルメットで全ては見えない。両手で抱える大きな軍用小銃は、その少女に力を、唯の純粋な力を与えていた。


 消え入るほど儚い幼さと、何も寄せ付けない純然たる力。


 相反する二つを身に纏う少女は、折り重なった屍の中で、そこだけ現実から切り離されてしまったかのような異質さを放っている。


 そして何よりも目につくのは、その二つの黒い瞳に浮かぶ、薄らとした涙と、欠片も揺れない光だった。



 少女はそのまま遊底を戻さず、開いた薬室に右手の人差し指と中指を入れて、その下、未だ弾倉に入っている弾薬を押した。その反発力から、大まかな残弾数に見当をつける。指を抜いた少女は、金色の薬莢と、その中から銅色の頭だけを出して佇む弾頭を一瞥して、力強く槓桿を押し戻し、元の位置まで回転させた。


 ガシャン、という、金属が擦れ、ぶつかり合う音が、死人だけの塹壕に虚しく響く。




 そして、少女は歩き出した。

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