寝台問題
エリージェ・ソードルがルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢と、
「弟に『守る!』って言われると、なんだか嬉しいわ」
「分かる!
わたしも弟に『お父様の代わりにお姉様を守る!』って言われたことがあるけど、なんだかトキメイちゃったもの」
などと、
「エリー、わしらは”東屋”で休憩したいのだが良いか?」
祖父マテウス・ルマがいう東屋は、彼の娘であり、エリージェ・ソードルの母、サーラ・ソードルが生前愛した場所である。
その周りは、今も彼女の愛した花々が咲き誇っている。
彼女亡き後、祖父マテウス・ルマはたびたび訪れては、その場所でお茶を飲み、愛娘を偲んでいた。
「ああ、お爺様、もちろん構いません」
と、エリージェ・ソードルは侍女長ブルーヌ・モリタに視線を向ける。
侍女長ブルーヌ・モリタは一度頭を下げると、一歩前に出た。
「閣下、準備は出来ています。
ごゆっくり、おくつろぎください」
「ああ、モリタ夫人、よろしく頼む。
あと、ルマ家から派遣した
「畏まりました」
侍女長ブルーヌ・モリタの指示を受けた侍女の先導で、祖父マテウス・ルマとエミーリア・ルマ侯爵夫人、その随伴侍女、そして、護衛の騎士が数人、中に入っていく。
そこに、レネ・マガド男爵が声をかけてきた。
「お嬢様、カタリナが少し馬車酔いをしてしまったようなので、我々は少し、部屋で休んでも良いですか?」
エリージェ・ソードルは頷いてみせる。
「ええ、構わないわ。
何かあったら、控えている侍女に訊ねて頂戴。
ルー、あなたもそうしたら?」
女に問われたルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢は少し疲れた笑みを浮かべて頷く。
「そうさせて貰うわ。
エタほどではないけど、少し気分が悪いし疲れたわ」
「分かったわ。
ゆっくり休んで頂戴」
先導役の侍女が付いたレネ・マガド男爵とカタリナ・マガド令嬢が一礼をしながら入っていく。
その後に続き、供回りを呼び寄せたルイーサ・ヘルメス伯爵令嬢が、同じく侍女の先導で中に入っていく。
それを見送った後、侍女長ブルーヌ・モリタに促されるまま、エリージェ・ソードルも邸宅に入る。
「ねえ、ブルーヌ、何か変わったことは無いかしら?」
エリージェ・ソードルの問いに、侍女長ブルーヌ・モリタは珍しく、少し間を空けた。
ただ、それも一瞬のことで、すぐに普段通りの口調で話し始める。
「一つだけ、お嬢様にお伝えしておくことがございます」
「何かしら?」
「反乱計画に関与して捕らえられた、ヨルク・トーンという騎士を覚えていらっしゃいますでしょうか?」
「ヨルク・トーン……」
少し、視線を上に向けて回想し、眉を寄せた。
何やら、自分を気味の悪い目で見てきた騎士だと思い出したからだ。
「いたわね、そんなのが……。
それがどうしたの?」
「実はその者の父親が、お嬢様が王都に向かわれた頃から外門の側で膝を突き、開門の間ずっと、頭を下げ続けているのです」
ソードル邸の門は二重門になっていて、侍女長ブルーヌ・モリタが話す開門は、外側の門が開いている時のことを言う。
早朝から夕方までは物資の搬入等で邸内に搬入する必要があるので、外の門は開いていて、夜になるとそれは閉じられることとなる。
エリージェ・ソードルは不思議そうに小首を捻る。
「あら、先ほど通ったけれど、そんなのがいるなんて、気づかなかったわ」
女の言に、侍女長ブルーヌ・モリタは答える。
「道の端で一人、静かに行っているので、馬車からでは気づかないのも無理はないと思います。
いかが致しましょう?」
エリージェ・ソードルは面倒くさそうに閉じた扇子を振る。
「助命嘆願なら無駄だと伝えて追っ払いなさい」
彼らについては一応行われた祖父マテウス・ルマとの話し合いで、斬首と決められている。
正直、十割の確率で死ぬ『斬首』と九割九分の確率で死ぬ『魔石鉱山行き』――その二択であれば、どちらでも良いというのが双方の見解だった。
エリージェ・ソードルとしては、ちょっとでも働かせて死なせる方が好みではあったが、祖父マテウス・ルマに『少しでも助ける気が無いなら、さっさと死なせてやれ。それだけの事をやらかそうとしたんだからな』と言われ、結局、そのように決まった。
そこに、側に来ていた従者ザンドラ・フクリュウが声をかけてくる。
「お嬢様、少しよろしいですか?」
「何かしら?」
「今、話に上がっている方は、ひょっとして、トーン商会の商会長ではありませんか?」
エリージェ・ソードルが視線を侍女長ブルーヌ・モリタに戻すと、肯定の返事が戻ってきた。
「はい、その通りですお嬢様」
エリージェ・ソードルは再度、従者ザンドラ・フクリュウに向ける。
「確か、あなたのシンホンの伝手って……」
従者ザンドラ・フクリュウが少し困った顔で頷く。
「お話で上がった者です。
……お嬢様、面会だけでもしていただけませんでしょうか?」
「あら、会った所で減刑は出来ないわよ。
意味ないでしょう?
それとも、その時にシンホンの話をしろとでも言うつもり?」
流石のこの女も、そのようなもって行き方をして、話が通るはずがないことぐらいは分かる。
従者ザンドラ・フクリュウは首を横に振る。
「違います、お嬢様。
このまま放置されるよりは、お嬢様が直接お会いになり、減刑が出来ない旨をお話になる方が心証も良いですし、踏ん切りがつくと思います。
シンホンの件は、刑が執行された後に、わたしから話をしますので、お嬢様からは話を出さないで頂ければと思います」
「そう?」
とエリージェ・ソードルは少し考えた後に、「指示書を」と言う。
従者ザンドラ・フクリュウが鞄から指示書と万年筆、そして、立って書き込むための木製の下敷きを取り出し、女に渡した。
エリージェ・ソードルは慣れた手つきで、下敷きの上にのせた紙面に筆先を走らせる。
「ブルーヌ、トーン商会長に三日後の午前に面会する事を伝えて頂戴。
あと、門に日参するのを止めるように伝えるのも忘れないで」
指示書を受け取った侍女長ブルーヌ・モリタは「畏まりました」と頭を下げた。
そこに、女を追い掛ける様に、玄関口から騎士が慌てた様子で駆けてくる。
「失礼します!
お嬢様!」
「どうしたの?」
跪く騎士にエリージェ・ソードルが訊ねると、その騎士は顔を上げながら言う。
「国王陛下からの使者がお見えになりました!
いかが致しましょう!?」
常人なら驚きのあまり飛び上がりそうな”事件”であったが、流石はエリージェ・ソードル、ただ少し訝しげに「陛下から?」と訊ね返すだけだ。
そして、小首を捻る。
「ルードリッヒ殿下の事かしら?
それとも、ロタール殿下の事?」
エリージェ・ソードルは侍女長ブルーヌ・モリタに視線を向ける。
「ブルーヌ、応接室にお通しして。
わたくしは着替えてくるから」
「畏まりました」
侍女長ブルーヌ・モリタが深々と頭を下げるのを背に、エリージェ・ソードルは自室に向かった。
ブルクの公爵邸執務室にて、執務机に座るエリージェ・ソードルが少し困った様に眉を寄せる。
そして、前に立つ面々に言った。
「まさか、両陛下もいらっしゃる事になるとは思わなかったわ。
誕生会の前日にお見えになるとの事なので、十日ほど猶予はあるけど……。
ねえピエール、お迎えするのに不備は無いかしら」
前に立つ三人の内の一人、執事ピエール・クラインは普段通りの柔らかな笑みを浮かべながら答える。
「公爵邸においては、何の心配もございません。
そうですよね、侍女長」
執事ピエール・クラインの確認を、侍女長ブルーヌ・モリタは「はい」と首肯する。
明言しないが、執事ピエール・クラインと侍女長ブルーヌ・モリタは国王夫妻が参加する可能性を考慮して準備を行っていた。
それは、二人の使用人の優秀さを示していたし、エリージェ・ソードルという女のこの国における存在感の大きさも表していた。
そこに、女の前に立つ最後の一人、家令マサジ・モリタが言う。
「それよりも問題は、カープルの別邸ですね。
大将軍夫妻をお迎えするために、準備させていたのが……」
「仇になったと」
「はい、取り急ぎ作業を急がせる様に指示を出しましたが……」
「そう……」
エリージェ・ソードルは眉間を右手で揉んだ。
国王オリバーからの書簡には、誕生日会を終えた後、噂の別邸で休息を取りたい旨が書かれていた。
なんでも、大将軍を先取って使ってみたいからという御茶目な理由で、エリージェ・ソードルとしては、思わず微笑んでしまったのだが……。
家令マサジ・モリタが言う様に、別邸は現在、改装中である。
普段であれば、歓迎します、の一言で終える内容ではあったが、その間の悪さのために、頭を抱えてしまったのだ。
エリージェ・ソードルは真剣な顔で訊ねる。
「ねえマサジ、実際の所、どうかしら?
急がせて間に合うかしら」
「内装に関しては完了の連絡を受けているので問題はないでしょう。
外装については、このような事を言うと不敬になるかもしれませんが、誤魔化し誤魔化しで乗り切るしかありません。
元々、そこまで古ぼけていた訳ではありませんから、整えるだけにすれば何とかなるでしょう。
ただ、問題は客室の調度品――特に、寝台になります」
「困ったわね。
以前使っていた物は使えないのかしら?」
「申し訳ございません。
流用出来る物も幾つかありますが、寝台に関しては傷もございましたので、燃やしてしまいました」
実はその寝台には
エリージェ・ソードルの目には到底入れる訳には行かないと、家令マサジ・モリタの独断で速やかに処分したのである。
ただ、その事を知らない女は(修繕をすれば使えたかもしれないのに……マサジにしては迂闊ね)などと思っていた。
ただ、そんな事を言っても始まらない事は分かりきっているので、エリージェ・ソードルは対策を考える。
「最悪は、カープルの他の別邸か、ニーダーテューリから一番良いものを持って行くしか無いかしら?」
「これも、裏目に出てしまったと言いますか、カープルの他の別邸は大将軍夫妻をお迎えする邸宅の格を引き立てるために、中級貴族が使用する物に置換えてしまっています。
また、ニーダーテューリのものは両陛下が王都に戻られる事を考えると、動かさない方が良いかと」
そこに、執事ピエール・クラインが口を挟む。
「そうなると、ここの物を運び入れて使用するしかありませんな。
とはいえ、こちらも両陛下がご使用頂けるだけの物はさほどございませんので……。
両陛下が公爵邸を御立ちになった頃合にお二人が使われていた寝台を搬送し、多少不敬に当たりますが一行がカープルに到着前に抜き去り、別邸に持ち込み整える。
それしか無いと思われますなぁ」
エリージェ・ソードルは頭痛を堪える様に、こめかみに指を当て、少し顔をしかめる。
「随分と無茶ではあるけど、それしか方法はないようね……。
マサジ、悪いんだけどその辺りの計画を立てて貰えるかしら?
あと、いくらブルクとはいえ、両陛下がお使いになる格の物がそこら辺にあるとは思えないけど……。
一応、家具職人を当たって頂戴」
「畏まりました」
「ピエールとブルーヌも大変だとは思うけど、両陛下をお迎えできるように宜しくね」
二人の使用人も「畏まりました」と深々と頭を下げた。
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