幼なじみの来訪1
オーメ――女の幼なじみオーメスト・リーヴスリーがその紅の瞳を女に向けると、得意げに顔を綻ばせながら「よう!」と右手を挙げた。
そして、扉の隙間をするりと抜け出し、軽快な足取りで室内に入ってくる。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルの前に立つと、丁寧に、というよりは慇懃無礼なニヤけ面で臣下の礼をした。
「ルードリッヒ殿下におかれましては、ご機嫌麗しく――」
そんな様子に第一王子ルードリッヒ・ハイセルは苦笑する。
「ああ、いいよオーメ……。
君にはそういうもの求めていないから」
「恐悦の極み」
などと言いながら顔を上げ、気取った貴公子の様に片目をパチっと閉じて見せた。
そこに、エリージェ・ソードルが苦言を呈す。
「オーメ!
何度も言ってるけど、会いに来るなら先触れを出して頂戴!
あと、そんな軟弱な貴族の真似事なんて――」
「まあまあ」
などと言いながら、エリージェ・ソードルが座る長椅子の背もたれに右手を置くと軽く飛び越え、女の横に座って見せた。
そして、侍女ミーナ・ウォールに向かって「茶菓子多めに」などと指示を出した。
行動だけを挙げれば粗野であるのだが……。
この美しい少年の容姿と洗練された物腰のために歌劇の一コマの様で、周りの者達の窘める気概を挫かせてしまっていた。
それは、エリージェ・ソードルとて例外では無く、何度も矯正を試みようとしていたのだが、最後には「困った人ね」と呆れるに止まってしまうのであった。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルとてそれは同じだったのだが――今回は看過できないのか、眉根を寄せながら苦言を呈した。
「ちょっと、オーメ!
いくらなんでも、”人の”婚約者の隣に座るのは止めてよ!
ほら、僕の隣に移って!」
そんな、第一王子ルードリッヒ・ハイセルの様子に、幼なじみオーメスト・リーヴスリーはきょとんとした顔で答える。
「あれ?
婚約って破棄されたんだろう?」
「ちょ!?
なんでオーメが知っているの!?」
「お爺様が大喜びしながら教えてくれたぞ」
「だ、大将軍が!?
何故!?」
そこに、不思議そうにするエリージェ・ソードルが言葉を挟む。
「あら、リーヴスリーのお爺様はわたくしの後見人ですから、当然お伝えしてます」
「エリーが!?
あ、え、ちょっと待って!
婚約破棄凍結や箝口令とかは……」
「それについてもお伝えしてます。
ただ、時間差でオーメに伝わってしまったって事でしょう」
「オーメ、そういうことだから、誰にも言わないでよ!
っていうか、誰かに話した?」
「いや、話してないけど。
でも、ほぼ決定的なんだろう?」
「まあ、そうね」
「けけ決定してないから!
全然、決定してないから!
……あれ?
そもそも、大将軍が何でその事で喜んでいるんだろう?」
「そういえば……そうですわね?」
「殿下、何かやらかしたなら、一緒に謝ってやろうか?」
「やってないよ!」
実際の所、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは何もやっていない。
ただ、ザーダール・リヴスリー大将軍が喜んだのには、女との婚約が決まった背景が関係した。
そもそも、エリージェ・ソードルとの婚約打診はザーダール・リヴスリー大将軍の方が先だったのである。
元々、リヴスリー家の男は賢く、懐が深い美女を好む傾向があった。
さらに幼いなりに家のことを気にかける姿に胸を打たれたこともあり、ザーダール・リヴスリー大将軍はエリージェ・ソードルを孫であるオーメスト・リーヴスリーの嫁として是非にともリヴスリー家に来て貰おうとあれやこれやと手を回したのであった。
ところがである。
それを良しとしなかった男がいた。
父ルーベ・ソードルである。
この小心の男は、武人中の武人であるザーダール・リヴスリー大将軍を忌避していた。
いや、正確には恐怖していた。
夜会でご婦人たちを侍らせていた時に、軽く(大将軍基準)殴られて床に
そればかりか、ザーダール・リヴスリー大将軍の息子、さらに義理の息子になる幼なじみオーメスト・リーヴスリーも
お断りの手紙を一方的に送ると、ひたすら逃げ回っていたのだった。
そんな男に意外な所から手が差し伸べられた。
国王オリバーである。
この王はリヴスリー家の動きを察知すると、速やかに父ルーベ・ソードルを
そして、にこやかな笑みを浮かべながら、第一王子ルードリッヒ・ハイセルとの婚約を打診した。
正直、父ルーベ・ソードルとしては、愛想”だけは”良い若き国王に薄ら寒いものを感じてはいたのだが、物理的に恐怖を覚えるリヴスリー一族よりは遙かにマシに思えた。
それに、次期国王の義理の父という肩書きも魅力的だったので、即座に了承することとなった。
さすがの大将軍も王族の婚約に否やを唱えることは出来ない。
ザーダール・リヴスリー大将軍は地団太を踏んで悔しがったものだ。
そんな経緯もあり、今回の婚約破棄はザーダール・リヴスリー大将軍にとって願ったり叶ったりなので大喜びをしているのであって、別段、第一王子ルードリッヒ・ハイセルに思うところはない。
「まあ、何にしてもエリー」
などと言いながら、幼なじみオーメスト・リーヴスリーはエリージェ・ソードルの肩に手を回し、そっと体を寄せる。
そして、目をぱちくりさせるエリージェ・ソードルに向かって真剣な表情で紅色の瞳を向けてきた。
「婚約が破棄されたんなら、俺と結婚してくれよ」
「おい! ちょ!」などと騒ぐ第一王子ルードリッヒ・ハイセルなど眼中にないと言わんばかりの求婚に周りの――特に年若い侍女の顔が赤く染まる。
幼なじみオーメスト・リーヴスリーとてまだ、十歳の少年である。
身長も発育の良いエリージェ・ソードルと同じぐらいでしかない。
だが、この少年には同年代の男の子にある照れやぎこちなさが無い。
美しい容姿も相まって、まるで物語の一幕のようであった。
そんな幼なじみオーメスト・リーヴスリーに対して、エリージェ・ソードルは目を少し見開き――目を細め、ジトっとした視線を送った。
「あなた……。
わたくしに執務をさせて、剣術を楽しもうって腹ね」
「あれ?
バレた?」
悪びれもせずにニヤリと笑う幼なじみオーメスト・リーヴスリーに対して、エリージェ・ソードルは顔をしかめながらため息をついた。
「あなた、前ジューレ当主の末路を聞かされていないのかしら?」
前ジューレ辺境伯は武芸にうつつを抜かし、国法を破った息子共々、首を切られている。
だが、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは言う。
「でも、以前のジューレ家にはエリーがいなかったんだろう?」
「まあ、そうですけど……」
前ジューレ当主夫人は、夫や息子をたしなめる所か宝石や衣服を派手に買い集め、夜な夜な夜会を催していた。
仮にエリージェ・ソードルが彼女の立場であれば、どんなことをしても止めていただろう。
まして、その事で女騎士ジェシー・レーマーを恨むなど、エリージェ・ソードルに言わせればお門違いであった。
「それにエリー、エリーだってリーヴスリー家に入るのは、嫌じゃないだろう?」
「……まあ、そうね」
エリージェ・ソードルは口元に閉じた扇子を当てて、少し考える。
ザーダール・リヴスリー大将軍を筆頭にリーヴスリー家の面々は有り体に言えば武一辺倒である。
勿論、貴族として腹を見透かす事は出来るだろうが、好んで腹芸をする事はない。
敵対する者は殴る。
友好的な者は酒を飲み交わす。
その非常に分かりやすい一族に、エリージェ・ソードルという女は好感を持っていた。
気性が近いとも言える。
確かに頭の九割方を武芸に振り分けている感のある男どもなので、嫁ぐ女たちは後始末に奔走することになるだろうが……。
変な家に嫁ぎ、腹のさぐり合いをするよりはマシなように思えた。
それに、そもそも幼なじみオーメスト・リーヴスリーに対しても、恋愛では無いにしても好意は持っていた。
(それも、悪くは無いかしら?)
などと、考え始めた。
「駄目だって!」
と幼なじみオーメスト・リーヴスリーとの顔の隙間に手が入れられた。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルだった。
エリージェ・ソードルはそれで我に返る。
そして、自分の肩に回っていた幼なじみオーメスト・リーヴスリーの腕を外し、距離を開けながら言う。
「どちらにしても今はまだ、殿下の婚約者だから、あなたからの婚約も求婚も受ける事は出来ないわ」
「なんだ、そうなのか?」
「だからそう言ってるじゃ無いか!」
という第一王子ルードリッヒ・ハイセルの怒声に、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは可笑しそうに笑う。
そして、不敵なものに変えながら、第一王子ルードリッヒ・ハイセルを見つめる。
「まあ、今は無理でも、婚約破棄がされるのをしばらく待つのも悪くないかな?」
「ちょっと!?」
「あら?
ひょっとすると、学院を卒業するまで無いかもしれないのよ?」
というエリージェ・ソードルの答えに、幼なじみオーメスト・リーヴスリーは少し目を見開いたが、すぐに柔らかな笑みを返してくる。
「それぐらいは待つさ。
ご令嬢には申し訳ないけど、男は多少婚姻が遅れても問題ないのさ」
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