第十三章

苛立ちの理由

 王都公爵邸応接室にて、お茶を一口飲んだエリージェ・ソードルが冷たく言う。

「殿下、来ないで下さいとお伝えしたはずですが?」

 それに対して、対面に座る第一王子ルードリッヒ・ハイセルが困ったように眉をハの字にする。

「まあまあ、良いじゃないか。

 ちょっとぐらい相手をしてよ」

「全く……」などと言いながらも、屋敷にあげてしまうのだから、なんやかんや言って、第一王子ルードリッヒ・ハイセルに甘かった。

 そうでなければ、この女は国王、王妃を除く王族ぐらいであれば追い返すぐらいの気性と身分を持ち合わせていた。


 第一王子ルードリッヒ・ハイセルが恐る恐る訊ねてくる。


「ねえエリー、前回のことまだ怒っているの?

 あれは本当に申し訳なかったと思っているよ。

 あの子に対してもね」

「……もうその事は良いのです。

 わたくし、殿下とは関係ない某”女騎士”事で非常に苛立っているだけですから」

 女のげんに、近くに控えている女騎士ジェシー・レーマーがビクッと震えた。


 エリージェ・ソードルが言っているのは、マガド男爵領での事だった。


――


 つい先日、医療魔術師スーザン・ドルから請求書が回ってきたのだが、その金額を見たエリージェ・ソードルは「ひゃぁ!?」とか変な声を漏らしながら、しばし呆然としたのであった。

 我に返り、慌てて詳細を確認させようとしたのだが、女の後ろから女騎士ジェシー・レーマーが暢気にもとれる声色で口を挟んできた。

「あ、お嬢様、それマガド領の領民を癒した時のですよ」


 その時のエリージェ・ソードルは本気で卒倒しそうになったものだ。


 医療魔術師スーザン・ドルからの『善行に対する値引き』がされているという領収書それは、それこそ、木っ端貴族であれば家が傾きかねない金額だった。


 しかもである。


 その詳細には、ウリ・ダレ子爵に痛めつけられた者だけではなく、全く関係ない病人のものまで含まれていたのであった。

 この女が怒り心頭になり、女騎士ジェシー・レーマーを床に座らせ、三刻ほど説教をしても致し方がないことであった。



 詳細を聞いた第一王子ルードリッヒ・ハイセルは苦笑をする。

「それは、なんともはや……。

 ただまあ、素晴らしい行いだとは思うよ。

 ソードル家であればそれぐらいの金額なんて事もないだろうし」

「殿下!」とエリージェ・ソードルは頭痛を堪えるような顔をしながら言う。

「残念ながら、我が家にはそこまでの余裕はありません。

 身内の恥を晒すようで恥ずかしい話ではありますが、当家には金食い虫が二人ほどおりましたので。

 もちろん、これですぐに家が傾くなどとはなりませんが、けして安いとは言えない金額です」

「そうなの?」

 驚いた顔をする第一王子ルードリッヒ・ハイセルに対して、エリージェ・ソードルは「そうなのです」と頷いてみせる。

 そして、続ける。

「それに殿下、これは我が家が負担する金額もさることながら、このことが公爵家、新興となる男爵家に不利益になる、そのことが非常に問題なのです」

「不利益に?」

 困惑する第一王子ルードリッヒ・ハイセルに対して、再度、エリージェ・ソードルは頷いてみせる。

「殿下、公爵領の領民は何故、公爵家に税を納めると思いますか?」

 エリージェ・ソードルの問いに、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは視線を下ろし、少し思考に耽る。

 そして、思い当たったのだろう「そうか!」と顔を上げた。

 エリージェ・ソードルは首肯する。

「そうです殿下、領民は公爵家に守ってもらうために、彼らからしたら少なくない額を我々に納めているのです。

 そんな公爵家わたくし達が、彼らから受け取ったお金で他領の領民の病を癒したら――どう思います?

 なぜ、その金で我らを癒してくれないのか!

 そう思うのではありませんか?」

「確かに、その通りだね……」


 特にマルコの妻リアの様に、魔力障害の病に冒されている者が知ったらどれだけ怒り狂うことか。


 平民にとって、医療魔術師に診察をして貰うだけでも本来であれば、あり得ない幸運か、死にものぐるいでの結果なのだから。

 にもかかわらず、同じ身分の平民――しかも、他領のものが無償で受ける事が出来ている。

 それも、”善意”などという、自分たちの領に全く利益になら無い事でだ。

 そんなものが知られたら、公爵家への心証はあっという間に悪化するだろう。

「それに、マガド男爵領にも悪影響を及ぼします」

「それは?」

「現在、新領主を中心に一致団結をして領の建て直しを図らなければならない時です。

 そんな状況下、他領にもっと頼れる存在がいると錯覚してしまったらどうなりますか?」

「なるほど、まとめるのに苦労する事になるか」

「ええ。

 領主は時に、領民に我慢をしいらざるえない時があります。

 にもかかわらず、余所から気まぐれに寄越された”善意”のせいで、本来、領民自分たちの為に一丸となって事に当たるように奮い立たせないといけない心を挫くことになりかねません」


 例えば、”前回”のクリスティーナ・ルルシエである。


 彼女はどこにも属さず、民を癒し続けた。

 その事で、王都では国王オリバーにさえ報告が上がるほどの騒ぎになった。

 たかだか平民の所行に対して、国王の耳に入るまでに至ったのは、疫病が蔓延している中、彼女の”善意”が国を揺すぶりかねないと判断されたからである。

 事実、貧民街であるルルシエでは、クリスティーナ・ルルシエを救いの女神のように崇める人間も少なくない数、現れ始めていた。

 そんな状況下、もしクリスティーナ・ルルシエの先導の元、暴徒と化した場合、ただでさえ疫病のために疲弊していた王都は、混乱の坩堝るつぼと化していただろう。


 もちろん、クリスティーナ・ルルシエにはそのような事、思いもよらない。


 心優しい少女は、ただただ善意で行動するだけである。


 だが、為政者は彼女を知らない。


 その心の内ではなにを考えているのか、分からない。

 また、仮にクリスティーナ本人が意図していなくても、周りに誘導される可能性がある。

 なので、『クリスティーナ・ルルシエを捕縛せよ』という声が幾人かの要職の者から上がっていた。


 これは、けして特権階級の横暴ではない。


 有能な為政者ほど苦境の中、内から崩壊させられる恐ろしさを熟知しているものだ。

 彼らにとってそれは、赤の他人に『腕を治してやるから、崖の縁に立て』と言われるに等しい。

 それを許容できる為政者は、なにも考えていない馬鹿か、終わった後に”始末”する事を躊躇しない冷血な者だけであろう。


 クリスティーナ・ルルシエの場合、彼女がいた孤児院の院長、その友人である高司祭が後ろ盾になり、また、光教団から聖女の称号が与えられることにより解決した。

 だが、そうでなかった場合、疫病が収まった後に、人知れず殺されていた可能性もあった。


 それだけ、双方にとって危険きわまる行動であった。


――


「殿下、わたくしとて自領民では無いとは言え、同じ王国の民――多少の慈悲は与えても良いとは思います。

 実際、医療魔術では無いにしても、手当ぐらいはする指示を出してはいました。

 ただ、一人二人ならともかく、何十人も、しかも高額な医療魔術で癒すのであれば、それなりに手順を踏む必要がありました。

 新領主の名で行うか、せめて光教団の名で行っていれば良かったのですが……。

 ご丁寧にわたくしの名を宣伝しながら行っていたそうなのです!」

 エリージェ・ソードルが顔をしかめると、某”女騎士”がまたもビクっと体を振るわせた。

「それはまた……」

と第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように苦笑いをする。

「謝罪の手紙は送っておきましたが、はぁ~

 出費だけでも頭が痛いというのに……。

 出費……ああ……」

「治療費ってそんなにかかったの?」

 エリージェ・ソードルが右のこめかみを押さえながら苦悩していると、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが心配そうに訊ねてくる。

 それに対して、エリージェ・ソードルは首を横に振った。

「いえ、それに関しては、まあ良いのです。

 ただ、わたくし自身、失敗したことがありまして」

「失敗?」

「ええ……」


――


 それが発覚したのは、エリージェ・ソードルが女騎士ジェシー・レーマーへの説教が終わり、ようやく次の書類に目を移した時のことだ。


 未だ苛立ちが収まらない女は、少々、荒々しい所作で書類を確認していった。


 そこで目に付いたのが、大商人ミシェル・デシャからの書状であった。


 彼には食べ方の研究のために先行して幾本かの甘芋を送って貰うことになっていて、その手紙は到着予定時期が記されていた。

 その時のエリージェ・ソードルは、単に、オールマ王国には馴染みの薄い甘芋の食べ方を誰か知らないかしら? 程度の軽い気持ちで、執務室にいる面々に訊ねた。

 すると、従者ザンドラ・フクリュウから思いもよらない話を聞かされることとなった。

「甘芋であれば、父が残した蔵書に”育成方法”から調理方法まで一通りあったと思います。

 次に公爵領に戻られましたら、目を通していただければと思います」

「え?

 そうなの?」

 ポカンとした顔で訊ねる女に対して、従者ザンドラ・フクリュウは少し考え込みながら頷いてみせる。

「ええ、ございます。

 しかし、オールマ王国で甘芋ですか……。

 確かに、公爵領は丸芋一種に偏りすぎてますから、それが育たなくなると大変ですし、良い手ではありますが……。

 光教関係が少々、面倒ではありますね。

 あ、そうそう、丸芋を枯らす病気についての対応策が書かれた書籍もあります。

 併せて読んで頂ければと思います」

「はぁ?」

「あと、もしよければ、知人にオラリルの商人と縁故の者がいますから、その者から取り寄せさせましょうか?

 甘芋と言ったら、やはりオラリルですから」

「え?

 あ?

 フ、フレコでは駄目なのかしら?」

「え?

 いや、フレコの甘芋はオラリルに比べて一回り小さく、甘みも少な――。

 ……お嬢様、ひょっとしてフレコから購入されたのですか?」

 従者ザンドラ・フクリュウの余りの言葉に、エリージェ・ソードルは頭を抱えてしまった。


――


「そんなことがあったんだね……」

「ええ……」

 エリージェ・ソードルが、この女らしからぬ生気を失ったような表情で頷いてみせる。


 それも当然だ。


 高価な美術品や詰め込まれた宝石の原石の代りに得たものが、ほとんど不要なものだったのだ。

 女が……従者ザンドラ・フクリュウから蔵書について聞かされた時に、少なくとも、どのような内容の本があるのか調べさせていれば……。

 全く不要だったものだったのだ。


 ”今回”は”前回”のように忙しすぎた、などのいい訳は全く出来ない。


 面倒がらずに読んでいたら――。


 昨夜などは、夢の中にまでそれらが出てきて、この女を苦しめたものだ。

 朝起きた後、しばらく侍女ミーナ・ウォールの抱擁能力が無ければ、気持ちを落ち着かせるのは不可能だったのでは――そう思うほどに、エリージェ・ソードルは悔しかった。

「あああ……。

 あれらがあったら、治水対策の金策が凄く楽になったのに……」

 エリージェ・ソードルは第一王子ルードリッヒ・ハイセルの前にもかかわらず、頭を抱えてしまった。

 そんな女に、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように眉を寄せる。

「領主って本当に大変なんだね。

 エリー、何かあったら僕に相談してくれて良いんだよ」

 そんな言葉に、エリージェ・ソードルは首を横に振る。

「いいえ、殿下。

 殿下に当家の事でお手をわずらわせる訳にはいきません。

 お聞き苦しい愚知を申して――」


 突然、護衛騎士達が身じろぎをする気配を感じる。


 エリージェ・ソードルが視線を女騎士ジェシー・レーマーに向けると、彼女は扉に視線を向けていた。

 左手は細身剣の鞘に当てられている。

 すると、視線が集まる扉が――心なしか強めに叩かれた。

 侍女ミーナ・ウォールが顔を強張らせながら、警戒する護衛騎士達の視線の先に進み、戸を少し開けた。

 隙間から少し年かさの侍女の顔が見えた。

 そして、その年かさの侍女が何かを言おうとした時に、「いけません!」という女性の声が、扉の外から響いた。

 そして、開かれていた扉の隙間から、少年の顔がニュッと現れた。

 その一部始終を見ていたエリージェ・ソードルが、少し目を見開きながら言った。

「まあ、オーメ!

 あなた、来てたの?」

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