第三章

とある子爵令嬢のお話1

「うわぁ~おっきい!」

 クリスティーナは目を大きく見開きながら言った。

 それも当然のことだ。

 この少女にとって、お屋敷とはマガド男爵邸が最大で、それ以上はオールマ城ぐらいだと思っていたのだ。

 マガド男爵邸を六つ並べても敵わぬほどの広さと、華美になりすぎない上品さを備えたソードル公爵邸を見上げて、ぽかんと口を開けてしまうのは無理からぬことであった。

 そんな彼女をエリージェ・ソードルは愛犬を眺める飼い主のような慈しむ表情で見つめている。

「さあ、中に入るわよ。

 ……クラーラ、あなたも」

「は、はい!」

 クリスティーナの母親、クラーラはビクっと体を振るわせながら、大きく返事をする。

 因みに、親子の傷は途中で寄った、治癒院で綺麗に治されている。

 当然、高額であろう治療費はエリージェ・ソードルが払っている。

 クラーラが『助けてもらった上にこのような』と言って断ろうとしたが、エリージェ・ソードルに黙殺された。

 ただでさえ高位貴族と言うこともあり怯えていたこの女性を、さらに恐縮させてしまうこととなる。


 だが、エリージェ・ソードルは特に気にしない。


 この女の興味はあくまでクリスティーナであり、執事ラース・ベンダーが馬車の隣に座るだけで緊張するほどの美女であるクラーラなど眼中になかったからであった。

 だから、後ろで執事ラース・ベンダーがなにやら慰めているのを背に、さっさと中に入っていった。

 本来であれば使用人は裏にある通路門を通るのだが、エリージェ・ソードルは気にせず、クリスティーナを引き連れ女騎士ジェシー・レーマーが開けた玄関の大扉を抜ける。

 この女にしては見るからに機嫌が良さげだったが、それもすーっと抜け落ちた。

 大扉の奥、大階段の前で父ルーベ・ソードルと義母ミザラ・ソードルが立っているのが見えたからだ。

 父ルーベ・ソードルは相変わらずの派手な装いであったが、義母ミザラ・ソードルはこの女にしては珍しく、落ち着いた色の婦人服に高貴な婦人がするように髪を結い上げていた。

 そんな義母ミザラ・ソードルではあったが、こちらを――クラーラの姿を見取ると、いつものように目を吊り上げ、金切り声を上げた。

「誰よあの子!

 ちょっと、誰なのよ!」

 そして、扇子でルーベ・ソードルの腕を叩き始めた。

「またなの!?

 あなた、何度同じことを言わせる気!?」

「知らない!

 知らないって!」

 父ルーベ・ソードルはそれを避けるように、近くにいた侍女ミーナ・ウォールの陰に隠れる。

 義母ミザラ・ソードルは侍女に構わず、扇子を振るう。

「知らない!?

 嘘ばっかり、あの忌々しい給仕女とだって、知らないって言って」

「っ!?」

 巻きぞいで叩かれる侍女ミーナ・ウォールは痛みを堪えながら、一歩も動かない。

 使用人は主の命令は絶対であり、このような理不尽は当然のことである。

 むしろ、へんに動けば叱責され屋敷を追い出される。

 ただ、追い出されるだけならいい。

 そういう彼女たちの経歴には理由など無く、ただ、不評を買い追い出されたことのみ残されるのだ。

 そういった者を雇う貴族は無く、嫁ぎ先を探す時にも、それが大きな傷となるのだ。

 だからこそ、彼女たちは耐えざる得ないのだ。


 そんな様子を見て、頭に血を上らせる者がいた。


 エリージェ・ソードルである。


 エリージェ・ソードルは貴族である。

 貴族の中の貴族である。

 いや、正確には貴族の中の貴族になるように刷り込まれてきた。

 尊敬する国王や祖父や大人たちに。

 ゆえにこの女、看過できない。

 怒りのために、頭の中が白く煤けるようだった。

 エリージェ・ソードルは振り向きもせずに執事ラース・ベンダーに言った。

「……ラース、クリス達を案内して上げなさい」

「はい、畏まりました。

 クリスちゃん、さあ行こう」

「え、あ……はい」

 クリスティーナは少し気遣わしげな声を上げたが、そのまま執事ラース・ベンダーと共に離れていく。

 その気配が無くなるのを待った後、エリージェ・ソードルは父と義母の元に歩き始めた。

「あ、おいエリー!

 何とか言ってくれ!

 っていうか、彼女は何者なんだい?

 ここで雇うのかな?」

「ちょっと、何を言ってるの、あなた!」

「いや、別に!

 ここの主として!」

「嘘ばっかり!」

 エリージェ・ソードルは何も言わない。

 ただ、静かに近づきつつ、隣に視線を向けた。

 そこには、女騎士ジェシー・レーマーが呆れた様子で付いてきていた。

 その腰には、細身剣が差してある。

 刺突しとつ向きではあるが、両刃であり、払う、巻き取るのにも向いている剣だ。

 そして、女騎士ジェシー・レーマーのものには、三つの魔石が鍔に埋め込まれている。

 それは、それぞれ重量軽減、刀身保護、魔力防御の三種である。

 小降りで、能力もさほど高くないが、それでも一介の女騎士が持つには上等すぎるものであった。

 それを持つことになるには、少し込み入った理由があった。


――


 女騎士ジェシー・レーマーは騎士としてそれなりに名が知られているレーマー子爵家の次女として生を受けた。

 子供の頃から活発で、姉や妹よりは、二つ上と一つ上の兄らと駆け回ったり、剣術の稽古をするのを好む少女であった。

 伸び伸びと育っていた女騎士ジェシー・レーマーであったが、進路を決める十四歳になり大きな挫折を味わうこととなる。

 親の反対を押し切り、国立騎士学校の入学試験を受けたのだが、落ちたのだ。

 ただの力不足であれば、そこまで衝撃を受けなかっただろう。

 だが、女騎士ジェシー・レーマーは筆記、実技共に優秀な成績を収めたにも関わらず、弾かれたのである。

 女騎士ジェシー・レーマーは納得がいかなかった。

 誰にも――少なくとも同年齢には男にだって負けない自負があった。

 実際、入学試験の時に行われた試合で、対戦相手を圧倒したのだ。

 にもかかわらず、何故? わたしが?


 だが、そこにこそ問題があった。


 女騎士ジェシー・レーマーが倒した相手は武勇に名高いジューレ辺境伯の嫡子、フロリアン・ジューレであった。

 レーマー家は元々ジューレ家の陪臣であり、ジューレ家がオールマ王国に併合される時に独立したのだが、その後も戦争になればその指揮下にはいる、

 にもかかわらず、そんなレーマー家の、まして娘が主に等しい家の跡取りを叩き伏せるだけではなく、怪我までさせてしまったのだ。


 問題にならない方がおかしかった。


 しかし、この件は”本来”であれば大事になることはなかった。

 そもそも、女騎士ジェシー・レーマーには非はない。

 家同士の事は知識では知っていたが、試験時は公平にするために名乗らずに行われた。

 面識もなかった。

 試験をただ忠実に行ったにすぎないのだ。

 責められるのであれば、このような相手同士を組ませた学校側にあった。

 だが、それでは気が済まない男がいた。


 フロリアン・ジューレである。


 この男は普段から『戦場に出る女は慰めものを兼任しているから認められているんだ』と侮辱していた。

 ジェシー・レーマーとの試験の時も、押し倒してひん剥いてやると豪語していたのだ。

 にもかかわらず、手も足も出ず、あげく終わりの合図が出たにも関わらず飛びかかり、手ひどく反撃をされて怪我をした。

 そんな男だった。

 だからこそであるが、実力に合わない自尊心がこの敗北を認めることが出来なかったのである。

 また、ジューレ家としても、嫡子が家来の、しかも娘に負けたとあれば、その家名に負う傷は計り知れない。

 圧力をかけられた国立騎士学校とレーマー家は折れるしかなく、ジェシー・レーマーは反則をして相手に怪我を負わせたということとなり、試験も不合格とされたのだった。

 もし仮に男であれば――レーマー家がもう少し家格が高ければ――恐らくこのような事にはならなかっただろう。

 国立騎士学校は名目上ではあるが、身分には関係なく優秀な人材を募集する、とされているのだ。

 だから男であれば、いくら辺境伯からの圧力とはいえ、はねのけることは可能だったはずなのだ。

 もし、レーマー家に匹敵する――例えばシエルフォース侯爵やルマ侯爵の派閥に属していれば何とかなった可能性はあった。


 だが、ジェシー・レーマーにはどちらもなかった。


 むしろ、国立騎士学校の教職員の中には、ジェシー・レーマーが女であることを挙げて、彼女の”為”になったと言う者すらいた。

『どのみちどこかの嫁に行くのだから、へんに遠回りをするより良かったでしょう。

 あの子もいずれ、我らに感謝することになろうて』

 本人が聞いたら、怒りのあまり卒倒しそうな話を訳知り顔で当人の父親に語ってもいた。

 元々反対はしていたが、ジェシー・レーマーの努力も認めていた家族は、そのあまりにも理不尽な話に真実を伝えることがはばかられた。

 そして、そのことがこの少女をさらに苦しめた。


 自分のどこが悪かったのか?


 訳が分からず、ついには部屋に引きこもってしまった。


 貴族の子息、子女が通う学校はなにも、国立騎士学校だけではない。


 まず、一番有名な場所はオールマ学院である。

 国立騎士学校とは違い、平民はほぼ入れない。

 貴族のための学校である。

 ゆえにというべきか、魔術師を育成する場という側面もある。

 むしろ、魔術的才能がなければ、非常に居心地の悪い場所でもある。


 幸いジェシー・レーマーには魔術の才があった。


 なので、家族はオールマ学院への入学を強く進めた。

 だが、ジェシー・レーマーは空虚に部屋の隅を見つめるだけで、それに答えることはなかった。


 彼女の才は萎れるかに見えた。


 だが、それを拾うものが意外な場所から現れた。

 エリージェ・ソードルの祖父、マテウス・ルマである。

 国立騎士学校の試験の時に、貴賓として見物していた彼は、色眼鏡抜きに彼女の才を評価した。

 そして、この経緯に胸を痛めたという。

 力業を好まぬマテウス・ルマは、不当だからと国立騎士学校の入学を無理矢理許可させるような事はしなかった。

 ただ、レーマー家に訪問すると、自分の騎士団に来ないかと誘った。

 ルマ侯爵家の騎士団は、貴族の私営騎士団の中で質、量ともに最強と言われていて、それに匹敵するのはオールマ王国の虎の子、魔術騎士団のみとされていた。

 仮にジェシー・レーマーが国立騎士学校に入学していたとしても、夢を見ることすらおこがましい場所である。

 ジェシー・レーマーは地獄のそこから突然つまみ上げられ、地上をすっ飛ばし天国へと持ち上げられた心地になり、ポカンと口を開けた。


 とはいえ、持ち上げられた先が天国ではなく、さらなる地獄だと知るのにはさほど時間は置かなかった。


 ルマ侯爵家騎士候補になったジェシー・レーマーは地面に叩き伏せられた。

 それを傲然と見下ろすのは、ルマ侯爵直属騎士達だ。

 中には興味なさげに欠伸をするもの、中には苦笑を浮かべるもの、中には怒気をはらむものもいた。

 ジェシー・レーマーは――気の強さだけはオールマ一と家族から言われ続けていた少女は――それを畏怖のこもった表情で見上げるしかなかった。

 泥だらけになり、足蹴にされてなお、何も言うことが出来なかった。


 女だから、子爵家だから、なんていうものは欠片もなかった。


 単純に力が足りなかった。


 だから、無視され、呆れられ、苛立ちを向けられた。

 レーマー子爵家で、父や兄らに勝てないまでも良い勝負が出来るまでになっていた少女が、騎士団の誰に対しても歯が立たなかった。

 黒く汚れた少女の頬に、一筋の涙が流れた。


 だが、ジェシー・レーマーという少女は、そこで終わらなかった。


 その日から、地獄のような毎日に、”自ら”その身を投じた。

 朝は誰よりも早く起きて剣を振るい、騎士団の訓練にも必死で食らいつき、夜は人々が寝静まっても体を鍛え続けた。

 時に自費で癒し魔術師の治療を受けながら、すべてを、魂を賭けて鍛錬を続けた。


 その姿に人々が突き動かされた。


 弱く未熟なジェシー・レーマーに対して、興味なさげにしていた者や、呆れていた者、騎士団の格を下げたと怒りを示していた者が、一人、また一人と彼女のことを手伝い、叱咤し、そして、応援し始めた。

 栄光ある騎士団の仲間だと認め始めた。


 ジェシー・レーマーはそれが嬉しかった。

 惨めったらしく地面に転がされたときとは違う、別の涙をボロボロ流しながら、さらに、さらに、前へ進むために剣を振るった。

 一年が過ぎ、二年が過ぎた。

 そしてようやく、ルマ侯爵家騎士団員として不自然ではない力を手に入れた矢先に――彼女は騎士団を脱退することとなった。


「ジェシーすまん、騎士団をやめてくれ」

 そのことを伝えたのはマテウス・ルマだった。

 ジェシー・レーマーは申し訳なさそうな家長の言葉を呆然と反芻した。

 だが、その理由を聞かされたジェシー・レーマーは、仰天することとなる。

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