エリージェ・ソードルという女3

 エリージェ・ソードルという女について、使用人の多くは穏やかな性質だと思っていた。

 この女、幼い頃からハシャいだり、泣いてだだをこねたりする事がなかった。


 もちろん感情はある。


 微かではあるものの嬉しそうに口を綻ばせたり、転んで涙を流したり、拗ねたように口を尖らせたり。

 そういう所は見せていた。


 だが、子供らしく全身を持ってそれを周りに示すような事を、この女はしなかった。


 特に、使用人に対して怒りを露わにしたことがない。

 侍女の失敗で服を汚してしまったり、お気に入りの置物を壊してしまっても――この女は怒らなかった。

 元々、そうだったし、国王オリバー達に色々吹き込まれてからは特にそれが顕著となった。

 だから、客観的に見て表情が乏しく、どことなく冷めたエリージェ・ソードルという女の事を、使用人彼らは、侍女彼女らはこのように擁護する。


『お嬢様は、本当はお優しい方なのです』と。


 だが彼らは知ることとなる。

 自分の仕えるお嬢様が、ただ穏やかな、もしくは冷めた人間ではないことを。


 老執事ジン・モリタが急死した翌日、女の父、ルーベ・ソードルも死んだ。


 屋敷の露台から”何かの拍子”に落ちた重厚な花瓶が”不幸な”ことにルーベ・ソードルの頭に直撃したのだ。

 老執事ジン・モリタの葬儀の準備があるにもかかわらず、突然、お茶会を行うといって使用人を元気良くひっかき回していたというのに――その数分後、彼は息を引き取ったのである。

 ソードル家の使用人は、主の変死よりも、地面を真っ赤に染める父親――それを見下ろす女に恐怖した。


 慌てたのは国王オリバーを始めとする大人達であった。


 彼らは元々、エリージェ・ソードルの義母ミザラ・ソードルが義理の娘に危害を加えるのではないかと警戒をしていた。

 なので、使用人の何人かは、もしもの為に、主要な人間へ速やかに報告できる方法が示されていた。

 義母ミザラ・ソードルについては杞憂に終わった。

 ミザラ・ソードルはそれよりも男遊びに熱中していたのである。

 だがルーベ・ソードルの変死については、その準備が功を奏する。


 エリージェ・ソードルによるルーベ・ソードルの殺害は最悪だ。


 関係者すべてにおける――それこそ、愛娘を不幸にされたマテウス・ルマにとってすら、最悪な結末であった。

 だが、最悪の中でもっとも悪いこと――それだけは前記の事で防ぐことが出来た。


 それは、エリージェ・ソードルの親ごろしが公になることである。


 流石はというべきか、国の中枢に鎮座する彼らの動きは早かった。

 特にエリージェ・ソードルの祖父マテウス・ルマ、重要な会議中にも関わらず、わずかな護衛のみで自ら騎乗し、公爵邸を押さえた。

 このことがなければ、使用人の悪意の有無に関わらず、漏洩は免れなかっただろう。

 老執事ジン・モリタすらいないのだ。

 恐慌状態になった使用人すべてを押さえることなど不可能であったろう。


 次に、義母ミザラ・ソードルの追放である。


 実家であるイーラ子爵家の別邸で逢瀬を楽しんでいたミザラ・ソードルは、マテウス・ルマの子飼いの騎士に拉致同然に攫われる事となる。

 この時、ミザラ・ソードルはすでに昼を過ぎているにも関わらず、裸のまま男にからみついていた。

 それを、踏み込んだ騎士達は有無をいわさず拳で意識を刈り、袋詰めにして連れ去った。


 愛人は殺された。


 別に、ミザラ・ソードルを勇敢に守ろうとしたとか、そんな理由ではなく、むやみに騒いで逃げようとしたから面倒になり、騎士の一人が剣で突き刺しただけである。


 その愛人は男爵であった。


 容姿と中身もない話しを洒落た感じで話すのが得意な――それだけの男だった。

 マテウス・ルマの騎士は別邸の使用人を集めて、執事に男爵だった男の首を慇懃な態度で渡した。

 そして、蒼白になりガクガク震える彼に、この事を黙っていることと、マテウス・ルマの名が書かれた手紙を、イーラ子爵家と男爵家に渡すよう”お願い”した。

 執事も使用人達も、手紙を読んだ子爵家も男爵家も”素直”に”それ”に応じた。

 そして、騎士達はミザラ・ソードルを修道院に送り届けた。


 ヘブリーン修道院――そこは、二度と出ることが出来ない”この世の地獄”と呼ばれる”天上国”であった。


 また、ルーベ・ソードルは表向き、病気療養のために公爵領に戻ったことになった。

 そして、エリージェ・ソードルが公爵代理となった。


 そこからも苦難の連続だった。


 老執事ジン・モリタを失ったことも大きく、エリージェ・ソードルといえども、五年は領地の掌握に奔走しなくてはならなかった。


 そんな最中に反乱が起き、罪の無い領民や騎士団長を含む優秀な者達が傷つき、命を散らすという悲劇が起きた。


 公爵領の命綱ともいえる、魔石鉱山で暴動騒動があった。


 大洪水や主要作物である丸芋が育たなくなる病気の蔓延で飢饉になり、餓死者が出た。


 流行病で多くの民を失った。


 隣国から幾度となくちょっかいをかけられた。


 主産業として投資していた紙の生産を、信じていた商会の裏切りで、危うく隣国にすべてを奪われそうにもなった。


 平坦とはほど遠い道のりであった。


 その都度、エリージェ・ソードルは歯を食いしばりながら乗り越えていった。

 乗り越えられたのは、彼女が一人でなかった事も大きかった。

 多くの使用人達に支えられた。

 話すだけで心を落ち着かせてくれる婚約者がいた。

 何かと気にかけてくれる幼なじみがいた。

 自分とは違う、才能溢れる弟がいた。

 だから、エリージェ・ソードルは未来に何の不安もなかった。

 困難な道だとしても、踏破できないものではないと思っていた。

 思っていた……。


 しかし、ある少女の登場で全ては急変することとなる。


 その少女、名をクリスティーナ・ルルシエという。

 彼女は平民であり、家名はない。

 しかも孤児であった。

 なので、学園に入学する際に便宜上、彼女がいた町の名を代わりにした。


 ただ、それだけが理由ではなかった。


 クリスティーナ・ルルシエという少女には、魔術的才能があった。

 そして恐るべき事に、白い魔力を自力で覚醒させ、孤児院を含む貧民街の人々を癒し続けた。

 流行病が王都で猛威を振るった際、多くの人々が彼女の献身で救われた。

 その無償の善行に人々は感激し、彼女のことをルルシエの聖女、クリスティーナ・ルルシエと呼んだのだ。


 初め、エリージェ・ソードルは彼女のことを気にかけなかった。


 一学年下にもかかわらず、得意の改善によって学園一の魔力量を持つエリージェ・ソードル、それに匹敵する彼女の名前は記憶していた。

 だが、その時期は前記の商会とのゴタゴタの最中であったこともあり、それどころでは無かったのである。

 だがようやく公爵領から学園に戻ってきたエリージェ・ソードルに対して、婚約者も、幼なじみも、弟も、どことなく余所余所しかった。


 ……いや、それはひょっとしたらエリージェ・ソードルの思い違いだったのかもしれない。


 疲れ果てた女が、過度に期待してしまったのかもしれない。

 この時のエリージェ・ソードルはそれだけ、この女にしては珍しく、心身ともに疲れていた。

 しかし、この女はそれをおくびにも出していないのだ。

 故に気づかれなかった。

 婚約者も、幼なじみも、弟も。

 だから彼らは、少しだけ――配慮が足りなかった。


 そして、このすれ違いが「殿下達は聖女様にご執心みたいですから」というエリージェ・ソードルの取り巻きの一人の囁きによって炎上した。

 別にその取り巻きの少女も悪意があったわけでも善意があったわけでも、ない。

 ただ、数いる取り巻きの中に埋もれないために、少しだけ注目を浴びたい。

 ただ、それだけの軽い気持ちであった。

 だが、エリージェ・ソードルは「なるほど」と思った。

 この女は、クリスティーナ・ルルシエの話を聞き終えると、すぅーっと立ち上がった。

 そして、ついて行こうとする取り巻きを手で制し、一人で歩いていく。


 エリージェ・ソードルという女、決断したら最短で突き進む。

 それは恐るべき長所でもあり、短所でもあった。


 途中、焼却炉に立ち寄ると火かき棒を手に取った。

 そして、庭園の東屋に辿り着くと、そこでお茶を楽しんでいたクリスティーナ・ルルシエの頭に振り下ろした。


 一言も無しに、である。


 ただ、幸運なことに、それは、少女には届かなかった。

 代わりに、甲高い金属音とともに「何をしている!」という男の声がその場に響いた。


 彼の名はオーメスト・リーヴスリーという。


 エリージェ・ソードルの幼なじみである。

 武勇に優れた、リーヴスリー家の嫡子であり、自身も非常に優れた剣士である。

 そんな彼が、クリスティーナ・ルルシエを守るように、剣を構え、鋭い視線をぶつけてきた。


 ……エリージェ・ソードルはそんな彼をボコボコにしたあげく、近くの池に投げ捨てたが、クリスティーナ・ルルシエはすでにその場からいなくなっていた。


 エリージェ・ソードルはそこから、執拗にクリスティーナ・ルルシエを探した。


 誰の言葉も耳に入らず、ただ、それを行わなくては道が無いとでもいうような必死さで、クリスティーナ・ルルシエを探し続けた。


 男達は――エリージェ・ソードルが愛した男達は、それを妨害し続けた。


 そうすると、この女はなおさら躍起になって探し続けた。

 幾日か続けた後、我慢の限界に達した婚約者ルードリッヒ・ハイセルが婚約破棄を言い渡す。

 いや、正確には『これ以上続けると、婚約破棄をする』であった。

 だが、その言葉にエリージェ・ソードルの心は絶叫した。


 エリージェ・ソードルという女、思えば哀れである。


 母を幼くして亡くし、父はクズである。

 周りにいる使用人は自分が守るべき相手であり、国王オリバーを初めとする大人達は期待をすれど、子供が必要とする愛情は与えてはくれなかった。


 だから、この女は自分で作るしかなかった。


 心の支えを、心の安らぎを、自分で、自分で、自分で……。


 だから、エリージェ・ソードルは作った。

 楽園を、自分だけの楽園を――作った。

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