第18話 四日目 7/7

 ニンジンを一口大に乱切り。クックドゥー=ドゥルドゥー=パッドはそう命じて来る。


 うむ、乱切りとな。

 僕でも乱切りぐらいはわかる。キャベツも卵もそうめんも大雑把に切れやれば、それは乱切りでまかり通る。


 だが、一口大ってのは、一口で食べるにちょうど良い大きさって意味だよな?


「こ、こんな具合か……」

「そ。火の通り加減が変わらないように、ぜ~んぶ今切ったやつと同じくらいの大きさで切ってね」

「イエス、料理長」


 料理中の一幕。手を動かすのは日乃実ちゃんではなく僕。たった一音だとしても、料理上手の日乃実ちゃんに肯定されれば僕のおぼつかない手つきに多少なりとも自信が宿る。


「それにしてもね~、シンタローが料理とはねぇ~」

「な、なにかいね……?」

「うんうんわかるよっ、フランクな人だったもんね~。私もあの人の、大人っぽいのに飾らないところがすきっ」

「お礼っていうのは下心じゃあないんだぞ」


 日乃実ちゃんが何を勘違いしているのか、さすがにわかってきた。


「でもシンタローとじゃなー、年齢差が……二十五歳くらい? うむむぅ厳しめか」

「そういうのじゃないぞ」


 僕が具材を切っていくそばで、彼女は壁をテーブル代わりにして宿題に取り組んでいる。


 器用にシャーペンを走らせながら、僕の怪しい包丁捌きを見守ってくれているのだ。


「ふぅ、切り終わったよ料理長」

「むぅ~つれないなぁ。でも良い人だと思わない? さっぱりしてて~、年上の余裕っていうの? 感じちゃったっ。シンタローもその口でしょ?」

「あんまり変な噂してるとご本人に失礼だよ」


 本当に監督してくれているのか? これから火を使うというのに不安になる。


「も~わかったよっ。シンタローのへそ曲がりっ」


 フンと鼻を鳴らしてキッチンを離れてしまう。不機嫌にさせたかとも思ったが、どうやら別のプリントを取りに居間に行っただけらしい。

 戻ってすぐ、壁に向かって宿題を再開した。


「にしても、そんな体勢でよく出来るよね」

「宿題のことっ? まぁやんなきゃダメだよね」


 不慣れな料理を見守りつつ、浮ついた軽口も叩くが、そんな状況でも宿題は着実に片付いているようだった。


「もしかしたらフツーに受験するかもしれないし、ちゃんとやんないとっ」


 キッチンで勉強すると提案されたときは、何言ってんだとツッコみたくなった。

 けど、日乃実ちゃんの表情は真剣そのものだったのでやめた。


「って言っても、完全に進路確定ってするのはもうちょい先になると思うけど」

「いいんじゃないか。迷わずに決めるのと考えてから決めるのとでは、決断の重みが違うよ、きっと」


 進路をどうするか。日乃実ちゃんの中で、それを考える基準が出来上がりつつあるようだ。

 連日のオープンキャンパスが作らせたのだ。日乃実ちゃんなら、あとは自分で判断できてしまうだろう。


 前から頭で唱えているけど、彼女の進路は彼女次第だ。僕の役目には、そろそろ終わりが来る。


 大した手伝いは出来てない気もするけど、それでいい。僕があれこれ語るより早く、日乃実ちゃんは自分で気づくことができたんだから。


「シンタローって学生のうちに一人暮らし始めたんだってね。どうして?」

「火加減は……ま、こんなもんか」

「いやいや先に油引いてっ! お鍋焦げ付いちゃうからっ!」

「おっと……そうだったかいね」


 危うく鍋がお釈迦になるところだった。我ながら自炊生活のブランクの大きさを痛感する。


「料理しなさすぎ……火ぃ使うのいつぶり?」

「カップ麵用にお湯沸かすくらいはしてるよ」

「あーあ」


 あーあで済まされる生活力のなさだが、これくらいで挫けない。火を止めたフライパンに薄く油を引いて仕切り直す。


「アレらのウリは手軽さだからな。偏食を代償に時間を買ってるんだ」

「不健康な分、寿命が縮むんじゃないっ? とーたるでマイナスッ」


 僕の食生活に刺さりすぎる言い分だった。返す言葉がない。ないので、


「で、一人暮らしがなぜかって話だったかいね?」

「うわっ話題すり替えた」


 底が温まった鍋に豚肉と玉ねぎを投下する。そしたら火が通るまでしばらく炒める。らしい。クック(略)パッド曰く。


「僕が東京に来たのは単純に――――」

「あとででいいっ。危なっかしいからお鍋に集中してっ」

「イエス料理長」





 かくして、肉じゃがは無事完成した。

 僕らの夕飯兼お礼の品であるソレからは、嗅ぐだけでお腹が鳴ってしまいそうな温かく家庭的な匂いが届いてくる。自炊〇年ぶりとは思えない出来映えだった。


「成功と言っていい……よな?」

「私がついてたんだから、あったりまえじゃんっ! おいしそ~!」


 最初こそ雲行き怪しい調理現場だったが、上手くいきそうな予感が、途中から芽生えてはいた。


 炒めて飴色にてかりだす玉ねぎや、指先から菜箸を通して伝わってくる柔らかくなった具材の感触。

 そして何より、煮立ってきたときの風味が美味しさを期待させてくれた。


 手間がかかるし面倒だと思っていた自炊だけど、今後は楽しさのほうが勝るかもしれない。


 時刻は午後五時すぎ。早めの夕飯時な頃合い。おすそ分けには持って来いなタイミングで出来立てを届けられるのはラッキーだった。


「日乃実ちゃん。さっき洗ったタッパー取ってくれる?」

「はいよ……ってコレ、もらってきちゃったけどよかったのかな?」


 受け取ったタッパーは徳枝さんから渡されたうちの一つ。ハンバーグさえ入りそうな大きさのそれに肉じゃがをよそい、万一こぼれたりしないようにギュッと蓋を押し込める。


「いいんじゃないか。これから進路って大きな決断をする日乃実ちゃんへの餞別ってことでさ」

「餞別にしてはちゃちくない?」

「やっぱ明日にでも返して来なさい」

「とか言って肉じゃがよそっちゃってんじゃんっ。食べて洗って返してもらえるのっ? 私が帰るまでの短い間に」

 論破された。

「さ、僕は渡しに行ってくるけど、日乃実ちゃんも挨拶しとく?」

「ま~た話すり替えて……え、今から行くの?」


 え、なぜそこで疑問なのか。出来立て、しかも夕飯前という好条件が揃っているのに、彼女の表情がまぁ待てよと訴えていた。


「この時間はいつも寝てるらしいよっ」

「寝てるって、まだ夕方だけど?」

「バイトが夜勤だからって」

「ああ……なるほど。起きてもらうのは申し訳ないしな、それじゃあ仕方ない」


 バイトが夜勤。まるで知らなかった。日乃実ちゃんから聞かされるとは。


 出来立てを渡せないのは残念だが、日乃実ちゃんが帰るまでまだ時間がある。明日の朝、夜勤明けを狙ってインターホンを鳴らしに行こう。


「ってゆうかシンタローより私のほうが詳しいってどゆこと? 何年の付き合い?」

「付き合いって……知り合ってから二年と一か月くらい、だね」

「はあぁぁぁああぁーーーー……都会の人は薄情ってホントなんだね」

「いや、そうじゃなくてさ」


 基本的に日勤の僕は、夜勤の人とは生活の中で接点が持ちづらい。夜間にずっと張り込むような取材でもない限りは、時間的にも物理的にも難しい。


 だから知らなかったのが自然なんだ。僕は薄情じゃない。多分。


「そんなんじゃハートをゲットできないよっ! 独り身!」

「それは本当に間違っている」


 誤解があるし、独身への独身いじりはキズ口に染みるのでこれも人として違う。


 ともかく、日乃実ちゃんがお世話になったお礼は明日の朝が好ましいらしい。


「まぁ、じたばたしてどうにかなるものでもないし――――冷める前に夜ご飯としようかいね」

「さんせーいっ!」


 …………課題が乱雑した居間を片し、テーブルが食卓に変わった頃。


「で、シンタロー」

「どうだ、うまいか?」

「さっきの続き。なんで一人暮らししてまで上京しようと思ったの? おいしいよっ!」


 箸で切り崩したジャガイモが熱と農村を思わせるニオイを香ばしく放つ。自分の手で出来上がったとは思えないほど見栄えの良いそれを、また一口放る。


 ほろほろホクホクとした舌触りのほかにも、しらたきとコンニャクの歯触りは気持ちよくて美味しい。


 素人僕の手料理だけど、日乃実ちゃんが美味しいと評したのがお世辞ではないとわかる。うまい。


 うまい。美味しい。けど僕の中に、それだけでは説明のつかない、浮足立つような感覚があった。


「くっふふ~ん、やっぱり」

「……日乃実ちゃん?」

「シンタロー、にやにやしてるっ」


 にやにやとな。

 僕がいま、にやにやだって?

 なるほど。


「ま、まぁ褒めてもらえれば嬉しくもなるだろ」

「そんじゃほらほら、もっと堂々とにやにやしてみせてよっ! ほらっ」


 これが、人に食べてもらって、喜んでもらって嬉しいという感覚なのか。

 日乃実ちゃんが調理師を目指すきっかけになったであろう感情。調理師を知らない、現在より小さかった頃の日乃実ちゃんも、今の僕と同じ想いを抱いたのか。


「もっとうれしめっ、よろこんでっ! ほら、シンタローにやにやしてみっ!」

「えーとそうだ、なんで上京したのかって話だったね、まぁ単純なことなんだけど――――」

「照れるなスルーすなすり替えるなーっ! もっとうわつけってのーっ」


 成り行きではあったけどこれが、誰かに自分の手料理を食べてもらう営みか。

 日乃実ちゃんはもっと露わにしろと注文するけど、言われずとも、施すことによって発生する温もりの輪郭を、僕は内心じっくりとたしかめていた。


 たしかめる過程で、娘ぐらいの年頃――実際にはいないけど、いたとしたらそれくらい――の日乃実ちゃんが僕の料理を口に運んでいるという事実をより意識する。


 もっと。


 やはり、もっと見守っていたくなるというか、無性に手を貸してしまいたくなる。


 明日は二人でお礼の肉じゃがをおすそ分けして、帰って来たら昼ご飯を済ませ、また日乃実ちゃんの宿題を見ることになるだろう。

 結構な枚数の課題プリントだったな。加えて、書斎に顔を出した彼女は参考書も抱えていた。残りは一体どれくらいだろうか。










 でも、その宿題が終わる終わらないに関わらず。


 その日で、明日で、日乃実ちゃんは元の生活へと帰ってしまうというのに。


 もっと――――、と。

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