第12話 四日目 1/7

 ゴールデンウィーク四日目の大通りに出ても人がまばらな、朝とも昼ともつかない時間に僕たち二人は学校へと向かっていた。


 調理師科のオープンキャンパスに参加するのは、今日と明日の残り二回だけ。その二回を最後に、連休が終わる日乃実ちゃんは当然、地元へ帰省しなければならない。


「ときに日乃実ちゃんよ」

「うん? どっしたのシンタロー?」

「実際に東京に来てみてさ、調理実習とか調理師科の雰囲気とか、少しずつわかってきたかと思うけど……改めて日乃実ちゃんはどうしたい? このまま調理師の道を行くか、それとも普通科に進学するとか」


 中学卒業後の進路を、彼女は本当にあと二日で決めるつもりなのだろうか。


 決断が早かろうとどんな道を選ぼうと、決心が固いなら僕はとやかく言うつもりはないし、おいそれと口出しするべきでもない。


 それでもつい考え込んでしまうのは、彼女の口からいまだにハッキリとどうするかを聞けていないからだ。


 ――いや、正確には違うか。僕はすでに彼女の盛大なる夢宣言を聞いていた。


『どうも! 計屋日乃実(はかりや ひのみ)、調理師志望の中学三年15才です! 趣味はお料理、特技はお料理、夢は調理師!』


 ゴールデンウィーク初日の、僕たちが対面を果たした一幕で、日乃実ちゃんは開口一番に自身の進路を告げていたのだ。


 だがそれは日乃実ちゃんがまだ東京に来たばかりの話で。


 徳枝さんをはじめ調理師科で教鞭を執る講師を見知って、学校の実習室で調理する空気を肌で感じた今、彼女の気持ちも変わっているのではないか、と。


 道を行く僕のとなりで、少女がフンスと腕を組み胸を張る。


「見くびってもらっちゃ困るって。私のお料理愛は一途でブレることを知らないっ!」


 組んだ腕をほどき、自身のくびれた腰に手を当てて、もう片方の手でズビシッと前方にそびえる建物を指差した。


 彼女に指を差されたその建物こそが、調理師科を内包している校舎。部屋を出た頃はまばらだった人通りも、この辺りでは生徒や体験生と思しき若者が行き交っていた。


「ちなみに~今日もとっきー先輩が私の調理を見てくれるらしくて、作るのはハンバーグとポテサラだからヨロシクっ」

「え、昨日食べたばっかだけど……」

「ふっふっふ、アレは言わば練習だよシンタローっ。調理師の卵として抜かりなしってね」


 ……まぁ同じ食べ物だろうがなんだろうが、日乃実ちゃんが作れば美味しいのがわかり切っているので僕としては文句なしです。


 だが今、それより僕が気になったのは――


「今日『も』徳枝さんが見るって言った?」

「そーだよっ! とっきー先輩いつの間にか後ろに立ってるんだよっ、あのときはビックリしたなー」


 ということは昨日、日乃実ちゃんは徳枝さんから『あの話』のこともされているんじゃないだろうか。


「日乃実ちゃんさ、最初の実習が終わった時に徳枝さんが言ってた言葉、覚えてる?」

「実習の最後……面談でのハナシ? って、なんかあったっけ?」

「ほら、『明日になれば正しい素質の有無がわかる』とかなんとか」


 料理人としての『正しい素質』とやらが日乃実ちゃんに有るのか、ないのか。進路選択において命題にもなりうるそれが昨日には判明していたらしい。


「あーたしかに、一昨日はそんなこと言ってたけど……」


 ウーン、と両の人差し指でこめかみを挟み込む。


「特に何も言われなかったなー……」


 形の良い眉をひそめて、わからんと発した。


「そうか……」


 白状すると、僕は徳枝さんの言葉を縋りたいくらい当てにしていたが、残念ながら外れてしまった。


「ダイジョーブに決まってんじゃん! 失格、とかもう来るなー、とか言われなかったしっ」

「自信満々だねー……日乃実ちゃんのそういうとこ、普通に羨ましいよ」


 彼女はやはり胸を張り、フンフンと鼻を鳴らして歩みを進める。物怖じとは対極。ポジティブの権化。クラスに一人はいた。


 数分歩いた頃、日乃実ちゃんは体験生に似つかわしくない堂々たる様相で自動ドアの校門を跨ぐ。


 僕が学校を訪れるのはこれで二回目。日乃実ちゃんは三回目。どうやら体験初日に見せた彼女の緊張しぃはすっかり鳴りを潜めたらしい。


 エレベーターを待つ間も彼女は慌てず騒がず落ち着きを見せる。エレベーターから更衣室への道中、ハライタを発症することもなかった。


「じゃ、着替え行ってきまっすっ」


 一時の別れの挨拶を交わす。今のところ日乃実ちゃんはこともなげな様子だ。

 初めてここへ来たときとはずいぶんな変わりようだけど、不安な姿を見せまいと無理をしている、というわけでもなさそうだった。


 更衣室の前で着替え終わるのを待っている間、係の在学生から抜け毛対策にと、僕はいかにもコックっぽい白の帽子を受け取って被る。


「おまたせっ」


 背に溌剌とした少女の声がかかる。


「今日はサイズピッタリなんだ」

「シンタローが仕事の日に学校の人が見繕ってくれたんだって!」


 見てほしくてしょうがないと言わんばかりのドヤ顔かつ、踵をキュッとそろえてのTポーズは、七五三の着物を自慢したい娘を彷彿とさせた。


「どうよ? ダボダボのときと違って調理師に相応しい格好になったっしょ?」

「微笑ましいね」

「もぅ、相応しいって言ってよね」


 ツンとそっぽを向くも、調理実習室へ足を運ぶ頃には僕の失言なんか忘れていて、かわりに調理服へのときめきでなにやら必死そうだった。


 コックコート、調理服。着る者を調理師たらしめる厨房の正装。それを身につけたのが夢いっぱいの調理師志望なのだから、胸が高鳴るのも無理はない。


「日乃実ちゃん、以前と比べて吹っ切れたみたいだな」

「およっ、というと~?」

「今日はトイレにこもらなくていいのかな、と思って」

「私を見くびってもらっちゃ困るってば。ほんっとにもぅ」


 調理実習室前まで辿り着くと、彼女はそのままズンズン踏み入った。


「だけどまぁ……もしも料理中に迷いそうになったら――」

「……なったら?」


 言いかけて日乃実ちゃんは振り向く。低い背をさらに屈ませ、ぐいっと視界に入り込んできた彼女と目が合った。

 瞳を見つめられたまま、僕は次の言葉を待つ。


「――いつもおいしそうに食べてくれる人のことを、思い出してみようと思う」


 彼女の眼差しに真剣な色が宿るのを見た。その力強い思いに、僕も視線を送り返し、目で応える。


 日乃実ちゃんは一つ頷くと、静かに自分の調理場に移動し、予め置かれていたレシピに目を通していった。


 見くびってもらっちゃ困ると、さっきは冗談っぽく言われた。

 だが僕は彼女のことを本当に見くびっていたのかもしれない。


 中学生の小さな背中に、自分の将来を一身に背負う。それをなし得るだけの行動や覚悟を積み重ねてきたんだろう。僕が出会うずっと前から、きっと。


 だから、あとは見守るだけだ。

 僕にできることと言えば、調理場に立つ日乃実ちゃんの少し後ろで、彼女を見守ること。


 そして、調理師になると日乃実ちゃんが叫べば、僕は頑張れと背中を押してやるだけだ。

 逆に、やっぱり調理師はやめとくと言い出しても、それも一つの選択だと受け止めてやるさ。


 全ては日乃実ちゃんの気持ち次第……今日と明日の調理実習、その結果は今後の日乃実ちゃんの選択に深く関わってくるはずだ。


 頑張れ。今日までの成果を見せてやれ。そんな切なる思いを視線に乗せて、僕は日乃実ちゃんを見守る。


 帽子からはみ出た彼女自慢のサイドテールがいつもよりもしな垂れていた。最後まで目を通したらしいレシピを片手に、はてなと小首をかしげていたのだ。


 そこへ、調理前の体験生と順番に話して回る徳枝さんがやってきた。


「とっきー先輩っ。ここにある私のレシピ、さては誰かのと間違えた置いたでしょ?」

「……ふむ? 見せていただけますか」


 日乃実ちゃんたちの会話が、他の体験生が発する蛇口を落ちる水音や調理器具同士が触れ合う音に邪魔されながら辛うじて聞こえてくる。徳枝さんはレシピを一瞥し、


「計屋君の作る品目はこのレシピ通りですが、不明点がありますか?」


 授業監督とのフィードバックを終えた体験生たちが調理を始め、だんだんと実習室に調理の喧騒が増えていった。


「いやー不明点というか、昨日と話が違うとおも――――」


 二人の会話が周囲の音に隠れてしまった。


 良く聞こえない、一言二言交わしたのち徳枝さんはストップウォッチ――だろうか? ――を調理台の隅に置いて次の体験生のところへ歩いていく。


 日乃実ちゃんはというと、すでに読み切ったはずのレシピに再度目を落としている。

 その間およそ十秒弱。レシピとじっくり睨めっこするや否や、いくつかの器具と食材を手元に寄せては手早く下準備に取り掛かっていく。


 日乃実ちゃんは鍋に水をためて……なるほど、まずジャガイモを茹でるらしい。茹でるべく、彼女はコンロを点火した。


(――――……ん?)


 コンロから日乃実ちゃんへ視線を戻した次の瞬間、彼女ははすでに野菜をカットしはじめていた。


 刹那、違和感が走る。


 マンションで日乃実ちゃんが料理をことは知っている。ゆったりとした包丁の音に心が和むこともあったし、楽しげな鼻歌も耳にしていた。


 だけど、料理中の日乃実ちゃんの姿をこの目で見たことはなかった。家庭的にエプロンとお玉を携え、うっかり小指に付いた熱々のカレーを慌てて一舐めして「う~ん! バッチリだねっ」と満足げにウィンクでもするような……想像するならそんなとこだろう。


 でも実際のところはどうだ。彼女は無駄なく手を動かし、次への動作も淀みがない。とにかくひとつひとつの工程が意外なほど早かった。


 早くに料理が出来上がる。それ自体は良いことなはずだが、目の前の日乃実ちゃんを見てると無性に心配になってくる。


 無駄がない。と同時に、僕にはいまの日乃実ちゃんには余裕がないように見えた。


 普段は丁寧で楽しそうに料理をしているはずの日乃実ちゃんと、目の前の彼女との明らかなギャップに肝が冷えていく。


(昨日の実習じゃあ、もっと余裕があるように見えたのに……? ガチガチではあったけど)


 野菜を切り終えてから十分ほどが過ぎた。慌ただしいのはともかく、その間日乃実ちゃんの手が止まることは一度もなかった。急ぎ余裕がなくとも迷ってはいないようだ。


 茹で上がったジャガイモを押し混ぜ、ハンバーグを蒸し焼き焼きながら、彼女はさらに他の品目に必要であろう具材の下準備に取り掛かる。


 朝の彼女からはハンバーグとポテトサラダを作る予定だと聞いていたが、どうやらもう一品あるらしい。


 おそらく日乃実ちゃんにとっても想定外な追加オーダーだろう。


 その品目の下準備中に事件は起こった。

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