六章 来訪者と怪しい青年ー⑥
「待ちたまえ! どこへ行くんだ!」
ほっかむりを脱ぎ捨てながら村はずれの森の方へと突如走り出したフリックを追ってマルコスも走り出したのだが、鍛え上げられた軍人と体に脂肪を蓄えた商人とでは速度に大きく差があり、あっという間に引き離されてしまう。
それでも執念深く追ったマルコスが息も絶え絶えにフリックに追いつくと、彼は何も無い虚空を見上げながらまたも聞いたことの無い言語でブツブツと独り言を呟いていた。
一向に事態が飲み込めないマルコスがフリックに声を掛けようとした瞬間、目の前で信じられない事が起こった。
何も無かった筈の空間が突如歪み、次の瞬間、黒き鋼鉄の巨人が現れたのだ。
「い、一体何なんだこいつは! フリック! お前は一体何者なんだ!」
巨人を見ても何一つ驚かないフリックに、パニックと疑念が合わさったことで語気が荒くなったマルコスが叫ぶ。
「全て私が説明いたします。軍曹の語学力ではあらぬ誤解を生んでしまうかもしれませんから」
額に青筋を浮かべながらフリックに詰め寄っていくマルコスを止めるように、片膝立ちになった巨人から女性の声が聞こえてくる。
声と体のミスマッチに遂に脳の処理能力の限界が超えたマルコスの頭から煙が出始め、卒倒しそうになった彼を騒ぎを聞き付けたレッカが寸での所で受け止めた。
「おじさんしっかり! ……お、重い~」
「レッカ、俺が変わるから井戸の底から冷たい水汲んで来い! フェアリー、兄ちゃん、ここは俺に任せとけ!」
レッカに少し遅れてやって来たシェニーにマルコスを任せたレッカが、井戸へ走った間にフリックはエアレーザーのコックピットに戻ると焦げ臭い変装用の服を脱ぎ捨て、着慣れたパイロットスーツに袖を通す。
「やはりこちらの方が落ち着くな」
「普通は落ち着かないパイロットの方が多いのですがね。軍曹、もしやワーカーホリックでは?」
ワーカーホリックというよりはただ着替える間も無くエアレーザーの試験運用の為にあちこちの戦闘宙域を転戦させられたせいであって、フリックとしてはワーカーホリックの自覚は無い。
ただ、フリックが知らないだけで実際には出撃が無くても常に戦闘シミュレーターでの訓練や機体に籠ってシステムの評価レポートを熱心に書くなど、真面に休んでいるのを見た事の無いタナトスの船員達には、全員ワーカーホリックだと思われていた。
「そんなことより隠蔽作戦放棄する程の緊急事態とはなんだ?」
つまらない話はここで終わりだとばかりにフリックがフェアリーに状況説明を求める。
「失礼しました。どうやら今回はエアレーザーで直接戦闘する必要があるかも知れません」
フェアリーはコックピットのモニターに簡略化した村から森の入り口付近までの地図を表示する。
地図には村外れには青い大きな点が一つ、森の中に複数の赤い点があり、こういった作戦の説明の際は赤は敵、青は友軍を示している。
点の大小はそのままサイズの差を表しており、今回の場合は人間を示す点を基準にしている為エアレーザーを示す点は大きく、森の中の敵は人間だけの様で小さな点ばかりだ。
「相手に大型兵器の反応は無いんだからわざわざエアレーザーを使う必要はあるのか? 傭兵を追い払った作戦で十分じゃないのか」
折角耐え忍んだ偽装作戦だったというのにわざわざそれを無駄にし、エアレーザーの存在をマルコスに露見しなくても上手く前回の作戦を応用すれば偽装作戦を続行したままでも対処できたのでは、という疑念を思わずフリックはフェアリーにぶつけてしまう。
「それが偵察用ドローンが捉えた敵の顔を念のために顔認証したところ、殆どが前回追い払った傭兵達なのです。まさかとは思いますが、冷静になった彼らがトリックに気づいて戻って来た可能性があります。その場合はもうあの作戦は通用しないでしょう」
人質救出が目的のあの状況下では仕方が無かったが、やはり追撃をしなかったのは不味かったらしい。
確かにいくら文明の差があるとはいえ、作戦としては子供騙し過ぎたのではと思っていたフリックが正しかった事が証明され、ずっとモヤモヤしていたフリックの溜飲が少し下がる。
「しかしそれでもエアレーザーを使うのは少々戦力過剰じゃないか?」
魔法というイレギュラーはあれど、弓や剣などの原始的な武器が主として使われているこの世界では象と蟻程の戦力差があるのだから、エアレーザーを使えば相手が大軍でも蹴散らすのは造作も無い。
寧ろエアレーザーを動かすことで周辺地形を荒らす可能性すらあるので、フル装備のフリックがエアレーザーを降りて一人で戦った方が被害が少なく済むだろう。
「軍曹お一人でも殲滅戦ならば問題は無いでしょうが、これは村にいるレッカ達を守る防衛戦なのですから、分散されては数の違いで彼女達に被害が及んでしまう危険性があります」
普段防衛戦を行っても、守るべき相手である事が多いタナトスは多少攻撃を受けても問題無い装甲とある程度自衛出来る武装を搭載しているので多少敵が防衛線を抜けても問題ない。
だから今回守るべき相手が生身の人間、それも戦えない民間人という事がフリックの頭からすっかり抜け落ちてしまっていた。
「そうだな。すまない、俺が短絡的だった。今回もお前の作戦に従うから概要を説明してくれ」
「了解しました、と言いたいところですが今回は絡めては無しで敵が襲撃してきたらエアレーザーが実在する物だと彼らに理解して頂くだけです。だから軍曹、戦闘終了後の後片付け、頑張ってください」
また作業が増えるのかと思いながら、フリックは一歩ずつ、あえて大きな足音を立てながらエアレーザーを森の方へと歩かせるのだった。
一方、気を失ったままのマルコスと途中で合流したレッカを、彼女の家の前で遠くから聞こえる大きな足音に怯えるマルコスの部下達に任せたシェニーは、辛うじて原型を留める自宅に戻ると、焦げた箪笥をどかして床板を剥す。
「……もうこいつらを見ることは無いと思ってたんだがな」
決意を秘めた顔で、シェニーは床下から取り出した箱を空けた。
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