敵の敵は味方。では裏切り者の裏切り者は?

 ヒルネは瀕死ひんしの状態で、病院に運び込まれた。

 かろうじて息はしていたが、まさに虫の息だった。

 

「命は……それどころか、意識が戻ることはないでしょう」


 医者は沈んだ顔で言う。


「ご家族の方は……?」

「いえ……」


 俺たちは彼女に姉がことしか知らない。


「そうですか。ではせめてご友人が最後のお別れを……」


 病室に訪れる許可が出たのは、そんな理由。

 夏凪と斎川は突然のことに、耐え切れずに席を外している。


 ただ一人残ったシャルが、椅子の上で肩を落とす俺に、ひとまとめの書類を手渡してくる。


「これあの子の判明した経歴。つい先ほど分かったわ。もう少し早く分かっていたら!……やっぱり使えない女ね、私。ちっとも変わってない……」

「変わらない人間なんていないさ……。そんな奴は人間じゃない。お前も立派に変わってるよ」


 下手ななぐさめの言葉をかけながら、一通りぼんやりした頭で、紙面に目を通す。


 つづられていた大まかな経歴は、


『コードネーム・ヒルネ 本名・藤春ひるね・16才 5歳の時、両親が交通事故で他界、祖父母も故人のため孤児となる。受け入れ先の孤児院がSPESスペースの息のかかるものだった。諜報員として教育される。シエスタの元に偶然をよそおって送られる。任務は探偵の情報を、組織に流すことだった』


 こんな所だ。

 他には、時系列順に滞在たいざいしていた地域が記してある。

 アフリカから、中東へ、ヨーロッパを東西へ、その後アメリカ大陸を南下、てんでばらばら、縦横無尽じゅうおうむじん


 約二年間、彼女たちは世界を転々とした。

 これでは妹というより、そう、パートナー。

 まさに俺のような、「一代前」の探偵の助手だ。

 その相棒は不俱戴天ふぐたいてんの敵の、裏切り者だったわけだが。


 しかし、


「シエスタは、SPESはコウモリのハイジャック事件まで、自分に気づいていなかったと言ってたぞ」

「あなたの前ででしょう? あなたに気をつかったのかかしら……、嘘をついた理由は私には分からない。何よりのマームが、SPESの関連の事件に関わって、その存在を完全に隠し通せるとは思えない。別にマームをあなどってるわけじゃない」


 確率の問題よ。


「SPESのに知られていた、と見るのが妥当でしょう。いずれにせよ、シエスタとヒルネは約二年、一緒に生活していたわ」


 二年の時を過ごした後、二人はたもとを分かつ。

 ヒルネはSPESに復帰する。


 そしてその後シエスタは亡くなる。

 そして名探偵の死後から一年、コードネーム・ヒルネは組織を抜ける。


 俺たちと出会った直前だ。


「ヒルネは二重スパイだった。裏切り者の裏切り者。彼女はシエスタに、マームの死後はマームの協力者に、組織の情報を渡していた。でもそれがばれた。SPESは裏切り者を絶対に許さない。当然制裁はまぬがれない。こうなることは時間の問題だった」


 冷徹に言い切る……ことは、へっぽこな探偵の弟子には不可能だった。


「何よりヒルネ自身がそれは理解していたはず……! どうしてこんな馬鹿なことをしたの!?」


 やり場のない激情が、シャルを包む。

 暴れ出した感情は、死にゆく者にも活力を与えたのか……。


「それが正しいと、私は判断したんだ……」


「ヒルネ!?」

「ヒルネ!」


 絶対に目覚めないと言われた、お姫様がその目を開けた。


                   *


「もちろん私だって、組織を裏切れば、遠からずこういう運命を辿ることは、分かっていた」


「ならどうして馬鹿な真似をした!」


 探偵の助手が言うことでは絶対ないが、言わずにはいられなかった。

 情が移った?

 どうとでも言え。


「SPESは間違っている。文字通り『世界の敵』だ。幼い私には理解できなかったが、今の私には分かる」


 だから組織を抜けて、生前の姉の知り合いを訪ねた。


「別に助けて欲しかったわけじゃない。言っただろう? 君たちと時間を共有したいと。姉と親交の深かった人物が、私の後をたくすに足りる人物か」


 答えは得た。


「君たちになら任せられる。君たちが、『名探偵の遺産』が、どうか『世界の敵』を倒してくれ」


 そう言いたいことを言い終えたと言わんばかりに、ヒルネの体は急速に温度と活力を失っていく。


「死ぬなよ、なあ……、そ、そうだ。俺たちの宿題を手伝ってくれるんだろう? 俺頭悪いからさ。お前が助けてくれないと終わんねえよ……」

「私もまだあなたと話したいことが、たくさんあるの……。マームのこと。スイーツのこと。コ、コイバナも……。何よりのこと。ナギサとユイだってきっとそう……」


「残念だが、宿題は自分たちの力でこなしてくれたまえ。渚と唯にはよろしくと。それだけが心残りだが、他のことはおおむね満足だ」


 死にゆく者は、きし日々の感想を、短い言葉にする。


「こんな境遇きょうぐうにしては、悪くない人生だった」


 なんだよ。達観たっかんするなよ。

 俺より年下のくせに、何さとってんだよ。

 人生始まったばかりじゃないか。

 まだやりたいことなんて、いっぱいあるだろうが。


 ヒルネを狙った弾丸は、確実に酷薄こくはくに、心臓をとらえていた。

 にもかかわらず、即死はまぬがれた。

 なぜか。


 彼女がとっさにけたからだ。

 なぜか。


 そんなの生きたいからに、決まっているだろうがっ!!


 なあヒルネ、お前の願いは、やりたいことは、俺たちが叶えてやるから。

 困っていたら、助けてやるから。

 命を狙いに来る奴らから、守ってやるから。

 

 いくなよ!!!


 しかし現実は残酷で、冷徹で、平等だった。

 生者の熱量は死を覆す奇跡には決して届かない。


 ヒルネの体から、急速に生気が失われていく。

 生者の香りが薄れ、死者の臭気に包まれていく。


 天命を終えようとする一人のか弱い女の子は、永遠に目を閉じる前に、切れ切れのか細い声で懇願こんがんしてきた。


「最後に一つ、いいかな……」


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