神さまの思し召し
渡波 みずき
第1話 新人と俺
「先輩は、パワースポットに行くべきだと思うんですっ」
金曜日の午後五時五十五分。定時五分前。近藤マキの発言で、ピリピリとしていたオフィスのふんいきが一気になごんだ。
パワースポット? なんだよ、藪から棒に。ていうか、それ、俺に話しかけてるよな?
そこここから忍び笑いがもれる。だが、構ってやる者はいない。『指導担当のおまえがつきあってやれ』と言わんばかりの場の空気に押されて、俺は向かいのデスクに目を向けた。
目が合った近藤は、真面目くさった。
「ためいきをついた数のぶんだけ、幸運が逃げてっちゃうんですよ! パワースポットに行って、ちゃんと充電してこなきゃ!」
これが、定時五分前にすべき会話だろうか。
「あぁっ、ほら、また! ダメですよぅ」
「おまえさ、俺のためいきの理由わかる?」
きょとんとした近藤を見ていると、頭痛がしてきた。こめかみを揉みながら、ためいきにならないように深くゆっくりと息を吐いた。
小柄で童顔、ちょこまかと歩く。栗色のボブカットと薄化粧。少し高めの声で早口に話す。媚びがない。何をとっても小動物的なせいか、近藤は女性社員にも男性社員にも『マキちゃん』とかわいがられる。いくら新人だからといって、そうやって、お目こぼししてもらうことに慣れてもらっては、困るのだ。
ここは厳しくいこう、厳しく!
「おまえの仕事が遅いからに決まってんだろ、俺が毎日何時まで残業してると思ってる!」
椅子から腰を浮かせ、がしがしと近藤の頭をかきまわすふりをする。
「や、やめてくださいよぅ!」
近藤が頭をかばう。細っこい手首にピンクの数珠っぽいブレスレットがはまっている。
色気づくより、仕事を覚えろ!
内心で毒づいたところに、終業のチャイムが鳴った。すかさず、予定があると話していた俺の同期が、カバンを手に席を立った。
「志賀は優しいよな。残業までつきあってあげてるのか。良い先輩だね、マキちゃん」
「はいっ! 先輩はほんとうに、」
「無駄口はいい。とっとと仕事を片付けろ!」
叱り飛ばすと、近藤はさすがにしゅんとする。それを見た同期は、軽く眉を寄せ、声を低くした。
「お先に。……ほどほどにしとけよ?」
ほどほどに? 甘やかされてダメになるのは近藤なのだ。俺はこころを鬼にして、近藤の挙動に目配りしつつ、自分の仕事に戻った。
花の金曜日だけあって、三時間ほど残業したころには、オフィスはガラガラになり、残っているのは俺と近藤だけになっていた。
近藤はつぶらな瞳を見開いて、いつになく集中して書類に取り組んでいる。各担当から集めた書類の整理をして、月締めの報告に必要な数値を拾い、一覧表にまとめる。近藤の一覧表があがってくれば、俺のほうでさらに他の数値と合わせて、報告書のできあがりだ。
近藤の集中を乱さぬように静かに席を立つと、休憩室まで足をのばし、缶コーヒーを二本買った。オフィスに戻りがてら、スマホでバスの時刻表を確認する。近藤の乗る路線の最終バスまでは、もう一時間を切った。
コト……と、缶コーヒーをデスクの端に置き、俺は近藤の手元をのぞきこんだ。
「あと、どれくらいで終わる?」
「一時間くらいです」
間髪いれずに返事がある。俺がプルトップをひいた音で、近藤はようやく書類から目を離し、こちらを見上げた。
疲れきった顔しやがって。
「十五分で終わらせろ」
「えぇっ、無茶ですよぅ!」
泣き言をもらす近藤の隣の席にどっかと腰をおろして、俺は書類の束に手をのばした。
「半分よこせ」
「えっ、あぅ……」
問答無用で奪いとり、作業を始める。去年までは俺がやっていた仕事だ。指示どおりに十五分で終わらせ、ようすをうかがう。近藤はこちらを見て、焦ったように手を動かした。
「あ、あと、五分!」
そして、五分後、近藤の作業も終了した。
「やればできるじゃないか」
にやりとして、ぬるくなったコーヒーに口をつけると、近藤はやっと机の端に置かれた缶コーヒーに気づき、「いただきます」と手に取った。
「先輩のおかけで、今日は早く帰れますね」
「そりゃよかった。明日、予定がないなら昼までゆっくり寝て、しっかり頭を休めとけ」
両手で缶を持って、中身をあおっていた近藤は、俺の発言に目を丸くした。
「せっかくの休日に、寝だめするんですか?」
「おまえは遊び惚けるほうなのか……」
リア充め!
「遊び惚けてはないです! 先輩もお散歩くらいは出たほうが、からだにもいいですよ」
「行き先もないのに歩くのって、楽しいか?」
「行き先があっても、お散歩ですよ?」
不可解そうに首をかしげた後、近藤は何か思いついたのだろう。ぱぁっと顔を輝かせた。
「先輩の家、浦賀ですよね? パワースポット、超近いですよ! いまからリストアップします、むしろあたしが案内します!」
近藤はスマホを取りだすや、猛然と何かを打ちこみはじめる。フリック入力を完璧に使いこなしている後輩にすさまじいジェネレーションギャップを感じながらも、俺は両手のひらをむけて、やんわりと拒否を示した。
「いや、案内は別に……」
「あっ、もう、こんな時間! バスが来ちゃう!」
慌てた近藤がガタリと立ちあがったはずみで、椅子がむこうまで吹っ飛んで滑っていく。はぎゃあ! と、妙な声をあげて椅子を回収し、近藤はオフィスじゅうに響く大声で矢継ぎ早に告げる。
「先輩ッ、今日は手伝っていただきありがとうございました。ホントに助かりました! 時間と場所はあとでLIMEしますね! じゃあ、また明日! お先に失礼しまーすっ」
引きとめる暇もなく駆けだしていった近藤を、ぽかんと見送って、俺は空っぽのコーヒー缶を手にしたまま、ひとりごつ。
「『また明日』って、どういうことだ?」
正直、嫌な予感しかしなかった。
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