10 土屋冬馬
冬馬さんの車で相川中心街へと移動する。
「呼吸の方はどうだ?」
「おかげ様で今は全く問題ありません」
「今まで急に息苦しくなった事はあるか?」
「いえ、多分初めてだと思います」
「そうか。医者に診てもらうまで安静にしていろ。無理に話すな」
病院に着く。
平日なのでそこまで順番待ちはしなくて良さそうだったが、それでも20分位待つ。
冬馬さんは特に何も話さない。
確か寡黙な人だってマナミさん言ってたな。
待合室の様子を眺めてみると、掲示板のポスターが目に入った。
”寒戸関村祭り”と書かれたポスターが見えた。
こんな所にも貼っていたのか。
開催日:7月23日(日曜日)
時間:17:00~21:00
場所:寒戸関小中学校周辺
出し物:屋台、花火、奉納剣舞(演武者 中川名二三)
備考:お祭りの後は祝旅館での宿泊はいかがでしょうか?是非お待ちしております
大体その様な事が書かれていた。
そう言えばマナミさん、村祭りも寒戸関村のPRにしたいと言っていたな。
て言うか、ちゃっかり祝旅館の宣伝をしている所が商魂たくましいマナミさんらしいな。
祭りは5日後か・・・。
その様な事を考えている間に診察の順番が回ってきた。
僕と冬馬さんが内科の診療室に入る。
医師が聴診器を僕の胸に当てる。
次に心電図。
レントゲン検査。
次に息苦しくなった時の状況を質問してくる。
僕と冬馬さんでその時の状況を説明する。
「心電図、レントゲン共に問題はありません。状況を聞く限りでは過呼吸ですね。恐らくは慣れない環境で緊張状態が続いたのでしょう。意外に思われるかも知れませんが、過呼吸の原因は精神的な不安や、緊張からくるものがほとんどなんですよ」
そうなのか。
確かにあの時、息苦しくなってから必要以上に呼吸をしようとしすぎてきた気がする。呼吸が浅く速くなり、それが逆にいけなかったらしい。
「もし、今回と同じ症状が出た時は呼吸をゆっくりとするように意識して下さい。また、余りにも頻繁に症状が出るようならもう一度いらしてください。場合によっては過呼吸が癖になってしまう、パニック障害を引き起こしてしまう場合も有ります。その際は心療療法を行い、場合によっては精神安定剤を処方します」
一通り医師からの診断が終わり、特に問題なしとのお墨付きを貰った。
会計を終え、冬馬さんの車で帰路につく。
冬馬さんは相変わらず喋らない。
そう言えばまだ挨拶すらまともにしてないのを思い出した。
「あ、あの冬馬さん。先ほどはお騒がせしました。挨拶がまだだったので、改めて申し上げます。僕は本間鐘樹と言います。よろしくお願いいたします」
「ああ、真名美から聞いている。俺は土屋冬馬だ」
・・・会話が終わってしまった。
冬馬さんは本当に必要最低限の事しか話さない様だ。
「あの、冬馬さんは岩谷流古武術の達人だと伺いました。広範囲な武術体系の全ての奥義を極めてらっしゃるとか・・・」
「極めてるかどうかは俺にも分からん。そもそも極めたと認識した時点で武術という物はそれ以上の発展をしなくなってしまう。明治以降多くの古武術が衰退する中、岩谷流の先人達は銃火器や兵器などの西洋の科学技術も積極的に取り入れ、発展に努めてきた」
あ、少しだけ冬馬さんの口数が増えた気がする。
「あの・・・。その様な貴重な古武術を、冬馬さんは後世に伝えるつもりは無いとマナミさんから伺ったのですが・・・僕の個人的意見で恐縮ですが、それはとても勿体ない話だと思えるんです」
「全てを伝えない訳では無い。護身術は伝えるつもりだ」
「けれど、岩谷流の中で護身術は技術体系のほんの一部ですよね。それ以外の技術は残さないのですか?」
「残さない」
冬馬さんが断言した。
「あの・・・。率直に疑問なんですがどうして残さないのでしょうか?」
「危険だからだ。護身術もこちらからの先制攻撃は、ほとんど教えていない。あくまで人から襲われた時の対処法だけ教える」
本当に護身術だけなんだな・・・。
ボクシング等の格闘技や、空手、剣道、柔道だって先制攻撃は行っている。
例外的に日本で独自発展した少林寺拳法は”守主攻従”という概念があり、防御からの反撃技に特化した技術体系を扱ってると聞いたことがある。
冬馬さんの教える護身術はそれに似たような物なのだろうか?
「武道の中では道徳教育を行った上で、ある程度危険な技を教えている武道もあると聞いたことがあります。岩谷流もその様な道徳心を養った上で後世に残すというやり方は出来ないものなのでしょうか?」
「道徳教育だと?この俺が」
不意に冬馬さんは笑い出した。
・・・僕、何か変な事言ったかな?
「俺にその様な資格は無い」
「え?どういう意味ですか?」
「お前も本当は分かっているんじゃ無いか?俺がとんでもない人間の屑だと。先ほどの発作も俺に対する嫌悪感が原因だろう」
!?
何を言ってるんだこの人は!?
そりゃさっき会ったばっかりで冬馬さんの事はほとんど知らないが、僕を介抱してくれたり、病院に送ってくれたり・・・、冬馬さんに感謝こそすれ、嫌悪感など抱くはずが無い!
「冬馬さん!?何を言ってるんですか!?あなたは僕を助けてくれたじゃ無いですか!嫌悪感なんてありません!!」
「・・・そうか。自覚は無いのか」
「自覚も何も冬馬さんは良い人だと思います。マナミさんもそう言ってました」
「真名美が、か・・・。あの子は危ういまでに人が好い。はっきり言って異常なまでに」
今度はマナミさんの事まで異常者の様な事を言い出す。
「マナミさんは確かに人が好いと思います。けど異常だとは思えません」
「お前と真名美は出会ってから2か月程だったな。分からないのも無理はない。真名美は・・・他人が犯した罪を何でも許してしまう。怒り、詰り、泣きこそすれ、最終的には許してしまう」
確かにマナミさんは僕が失言や失敗したとしても怒ることが無い。
それに優しい。
でも、それはマナミさんの性格が良いからだと僕は解釈している。
「あの、罪を許す事に何か問題でもあるのでしょうか?」
「極端な例えだが・・・お前が何者かに殺されたとしよう」
「え!?あ、はい」
本当に極端な例えだな。
「後日犯人が判明する。その時真名美は犯人に怒り、詰り、悲しむだろう」
「・・・はい」
「だが、結局はその犯人を許す。もし犯人が警察に捕まっていないなら、居場所を知っていても警察に通報すらしない」
「え?」
冬馬さんは何故そんな事を断言出来るんだ?
普通、実際に起こらなければそんなの分からない事じゃ無いのか・・・?
「場合によっては匿うことすらあり得る。一年後には何事も無かったかの様にその犯人と気軽に会話を楽しむことさえあるかもしれない。そんな時、お前はどう思う?」
その時には自分は死んでいる、という話はぬきにして、僕は・・・僕はその時どう思うだろう?
「・・・分かりません。正直嬉しくは無いと思いますが、マナミさんがずっと悲しんでいるよりはまだそっちの方がマシかも知れません」
断言できないが、僕はそう答えた。
「・・・そうか。お前も十分人が好いな」
冬馬さんも僕もそれきり黙る。
景色が流れる。
症状も収まったし、夕食の仕事位には復帰出来るだろうか・・・。
不意に今度は冬馬さんの方から話しかけてきた。
「先ほど道徳心を養うと言ったな?」
「え?あ、はい」
「道徳とは何だ?善悪とは何だ?お前はそれをどう考える?」
冬馬さんの方から話しかけられたのは意外だったが、僕は答えた。
「善悪は文字通り、善い行いか、悪い行いかだと思います。道徳は善い行いを具体的に指し示す。教育の様なものでしょうか」
「なら善い行いとは何だ?悪い行いとは何だ?」
何だか禅問答をしているみたいだな。
「そうですね・・・。法律に違反している、もしくは倫理違反が悪い行いで、世のため人のために行う行為が善い行いだと思います」
「世のため、人のためとは何だ?具体的に言ってみてくれるか」
「例えば・・・。先ほどの武道に絡めて考えるなら、強盗されてる人を助けるとか、万引き犯を捕まえるとか・・・」
「なるほど。お前の言いたいことは分かった。だがな、俺は物事に純粋な善悪は無いと考えている。つまり道徳的な価値観など実に曖昧な物だと考える」
「と言うと・・・どういう事ですか?」
「そもそも法律などは国や時代が違えば様々だ。その中には賛否の分かれる法律だって数多く存在する。それに背くのは悪行なのか?」
「確かにそうですね。戦前の治安維持法は確かに治安維持の機能を持っていましたが、政府の都合の悪いあらゆる思想を押さえつけるものでした。この場合政府批判も法律に背く事になりますよね。今も似たような法律は社会主義国に多いと聞いてます」
「そうだな。次に倫理観についてだ。これは戦前と戦後では一変した。戦争指導者の多くは戦前は護国の英雄として称えられ、戦後は戦争犯罪人として裁かれた。
兵士や一般国民だって同じようなものだ。国を守る為に戦ったり、命を捨てたり、ひたすら国の為に禁欲生活を送る事が美徳とされていたが、戦後は馬鹿げた美徳だったと言われる事も多い。どちらの解釈が正しくて、どちらが間違っていたかなどと言うつもりは無い。ただ、時代と情勢、国や宗教によって倫理観などいくらでも変わるものだ」
「そうですね」
「最後にお前が先ほど言った事についてだ。”強盗されている人を助ける””万引き犯を捕まえる”その結果助けられた人間や店は感謝するだろう。だが、強盗犯、万引き犯にとってはどうだ?奪えるはずだった物を奪えなかった。その結果その犯人は善行を行った人間をどう思う?犯人に取っては善行を行った人間の行為を逆に悪行として捉えるのでは無いか?」
・・・え?
冬馬さんの話が急に怪しくなってきた。
「あの・・・。少し極論過ぎませんか?冬馬さん」
「そうだ。極論だ。それに対してお前はどう思う?」
「それでも善行は善行です。そんな事を考えたらキリがありません」
「そうだな。その考え方を否定はしない。だが戦前戦後貧しかった時代の日本や、今現在治安の悪い途上国ではその様な犯罪でかろうじてその日その日の食料を確保し、命を繋いでる人間だっている。もし、撃退した強盗犯がその日に餓死してしまったとしても善行と言えるのか?」
「・・・分かりません」
正直極論だがそこまで言われると分からなくなって来る。
「そうだな。何が善行で何が悪行か何て、俺にも分からない。分からないんだ・・・だから俺は、考えるのを止めた。自分の行動がどういう結果に繋がるのか分からないからだ」
それきり冬馬さんは黙り込んでしまった。
・・・え?
何だろう・・・この話は冬馬さんから振ってきた話題だ。
冬馬さんなりに何らかの見解があって僕に禅問答みたいな会話をさせたのかと思っていたが、そうでは無いのかも知れない。
最後の方の冬馬さんの喋り方なんてほとんど独り言の様に感じた。
一体冬馬さんは何が言いたかったんだ・・・?
「・・・真名美は違う」
「え?」
また冬馬さんが唐突に話しかけてきた。
「あの子は、自分が正しいと思ったことを行動に移す。それがどのような結果になるか恐れることが無いかのように」
「どういう意味です?」
「後はお前自身が考えろ。俺からはこれ以上言うつもりは無い」
???
正直、意味が分からない。
”自分が正しいと思ったことを行動に移す”それは本来誰しもが当然に行う事だ。
だが、” それがどのような結果になるか恐れることが無いかのように”これは言い方に何か引っかかりが有る様に思えた。
まるでマナミさんの行動が、結果として取り返しの付かない事態になる可能性があるかのような・・・。
冬馬さんは何かを知っている?
マナミさんの行動、意図。その裏にあるものに・・・。
「あの・・・。これ以上言うつもりは無い、って言われた後で恐縮なんですけど、今までの会話の流れから、マナミさんの行動が 結果として取り返しの付かない事態になる可能性があるかのような印象を受けました。何かご存じなら教えて頂けませんか?」
「言ったはずだ。 俺からはこれ以上言うつもりは無いと」
「けれど、この話を始めたのは冬馬さんでしたよね?意味ありげな話をされて、その内容を教えてくれないのはモヤモヤするんです。それなら初めから何も話して下さらなかった方が僕にとってはまだ楽だったかも知れません」
僕は思い切って冬馬さんに食い下がった。
弱気な僕に取っては珍しい行動の様な気もした。
何か・・・、何か根本的な事を僕自身が気が付いていない様な・・・。
言い知れぬ不安に苛まれる。
「確かにそうだな。口が滑った」
無表情に冬馬さんは言う。
「すまない。真名美の話に深い意味は無い。この話は忘れろ」
・・・冬馬さんはその様な事を言ったが、本当にそうだろうか・・・?
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1.この話は冬馬さんなりの何らかの助言、忠告だったのではないか?(現在選択不可)
2.言葉通り、深い意味は無いのかも知れない。
→「2」を回答
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言葉通り、深い意味は無いのかも知れない。僕はそう考えた。
そのままお互い無言のまま、車は祝旅館へ到着した。
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