8 挿話 1945年5月12日 日本帝国海軍軍令部
「船団護衛輸送作戦に駆逐艦を2隻に海防艦を4隻だと!?両津港から新潟港までは眼と鼻の先ではないか!!」
日本帝国海軍軍令部。
東京に立地するこの組織は日本海軍の中央統括機関でもあり、海軍全体の作戦・指揮、そして情報収集と分析を行う組織でもあった。
米内海軍 大臣。
及川古志郎 軍令部総長。
豊田副武 連合艦隊司令長官。
海軍のトップ3とも言える顔ぶれがそろい、会議をしていた。
席上にはもう一人、海軍の情報処理を担当している 【土元 源屋(つちもと げんや)】中佐が同席して情報報告を行っていた。
「先日、最高戦争指導会議の席上でいきなり現れた石塚中佐とか言う者の発案かね?」
「はい、彼の本名は【石塚 守(いしづか まもる)】。陸軍の中佐であること以外、陸軍内での彼の立場は明らかにされておりませんが、恐らくは陸軍情報機関の所属でしょう」
「その石塚という者がこの様なふざけた話を持ち出したのか!」
「陸軍の大発見を意味もなく大々的に宣伝するための嫌がらせとしか思えませんな」
「いくら金、銀、銅の量が多いと言ってもそこまでの作戦は必要ない。護衛はせいぜい駆逐艦1隻、もしくは海防艦2隻で十分だろう」
海軍のトップ達は憤慨している様だ。
つい昨日の最高戦争指導会議の席上で現れた石塚中佐は佐戸ヶ島に隠匿された、大量の金、銀、銅を発見した事を報告した。
それ自体は吉報であったが、その金銀銅を本土に輸送するための船団護衛に駆逐艦2隻、海防艦4隻を要求してきたのだ。
それを受け、陸軍大臣と陸軍参謀総長は正式にこの要求を海軍に依頼。
石塚中佐一個人の提案なら一笑に付す所ではあるが、陸軍トップからの正式な依頼とあっては無下には断れない。
しかし太平洋戦争末期のこの時期、満足に無傷で動ける戦艦や巡洋艦、航空母艦などほとんど無く、またごく限られた戦力として残されていた駆逐艦や海防艦も石油節約の為に出来るだけ動かしたくは無い状況だった。
土元中佐は報告を続ける。
「今日になって内閣総理大臣と外務大臣も正式に同じ要求を依頼されました」
「何だと!?本気でその様なことを言っているのか!?」
「しかし・・・そうなるとますます無下には断りにくくなりましたな」
「そもそもそこまで大規模な護衛作戦を要求する石塚の言い分は?何かしらの建前は用意してあるのだろう?」
「米軍潜水艦、並びに爆撃機等の護衛と申しております。また、商船並びに軍艦を多数用意することに関してはリスク分散だそうです。多数の船に少量ずつ分散して金銀銅を積んで運び、万が一敵に船を轟沈させられる事があっても、軍艦および商船全体が沈められない限り被害を最小限に抑えられると申しております」
「馬鹿馬鹿しい。そもそも日本海は対馬海峡と宗谷海峡に潜水艦侵入対策として多くの対潜機雷を設置してある。いくら米軍といえども侵入は不可能に近いはずだ」
しかし土元中佐は意外にも石塚中佐の肩を持つような具申をした。
「恐れながら申し上げます。非公式な未確認情報で有りますが、今年4月上旬に若狭湾で敵潜水艦の出現や魚雷の航跡が報告されており、対潜水艦能力のある駆逐艦と海防艦が掃討のため出撃したとの報告もあります」
「その話は以前聞いたよ。だが誤報では無いのかね?結局こちらの被害も無く、掃討に向かった艦も潜水艦を発見出来なかったのだろう」
「おっしゃる通りです。ただ・・・石塚中佐は何故かその情報を掴んでおり、陸軍首脳や内閣総理大臣、外務大臣にもその旨を伝えた様です」
「馬鹿な!?アレは海軍内だけの極秘情報だったはずだ」
海軍首脳陣は色めき立った。
「石塚と言う男、陸軍情報機関の人間だとの推測だったな?土元中佐」
「海軍内に石塚と通じている者がおるのかもしれませんな」
「しかし胡散臭い男だ。もっと何か情報は無いのかね。どう思う土元?」
土元中佐は海軍きっての情報処理のエキスパートである。
石塚中佐が陸軍首脳に絶大な信頼を得ている様に、土元中佐も海軍首脳から信頼されていた。
海軍軍令部内での重要な会議に彼が同席しているのもそのためであった。
「・・・石塚中佐に関しては、海軍内に内部資料があります」
「ほう。海軍の情報収集で得た情報かな?」
「違います。石塚中佐・・・奴は元々海軍出身です」
「何!?どういうことかね」
「ここに奴の資料をご用意いたしました。海軍時代のプロフィールです」
土元中佐は海軍首脳陣に資料を手渡した。
石塚 守。
生年:1911年。
出身:新潟県佐戸郡外海府村
東京帝都大学工学部卒。
1935年日本帝国海軍入団。
1936年日本帝国海軍情報機関に配属。
1940年日本帝国海軍から日本帝国陸軍に転属。
その後の詳細は不明・・・。
「これはどういう事かね?海軍から陸軍に転属だと?」
「恐らくは陸軍の引き抜き工作かと思われますが、引き抜き工作に見せかけた本人の意志の可能性もあり得ます」
戦前の日本陸軍と日本海軍は意見の対立も多く、決して良好な関係では無かった。
下っ端の兵員ならともかく、海軍の重要機密を扱う海軍情報部から陸軍への転属など普通では考えにくい話だった。
「1936年の時点で海軍情報機関に配属・・・む。これはまさか・・・土元中佐!」
「はい、奴と私は当時同じ所で働いておりました。奴の天才的な才能、底知れなさは私も良く存じております」
土元中佐を以てしてそこまで言わしめる石塚という男・・・。
「・・・土元中佐。石塚と君とでは情報処理能力はどちらが上かね?」
「互角。あるいは奴の方が一段階優れているかと思われます。当時、私と奴は米軍の暗号解読班におりました。・・・そこで奴は天才的な才能で誰よりも早く解読にたどり着いておりました」
「ふむ。だが情報処理能力とは何も暗号解読能力だけでは無かろう。総合的に判断しても君より石塚の方が優れていると言うのかね?」
「それは分かりません。しかし奴の才能は暗号解読能力だけではありません。諜報術、学力、判断力、瞬発的記憶力、そして戦闘能力。奴は頭脳だけでなく実戦形式の兵士としても優秀です。・・・これはあくまで例えばの話ですが、奴を暗殺するには熟練の兵士が二十名以上は必要でしょう」
・・・恐らく海軍首脳陣が口にはしないが要望はしそうな事を土元中佐はそれと無く報告する。
「・・・陸軍首脳からは海軍にとってもメリットになりそうな事も言及されております。奴・・・石塚中佐は関東軍の特殊工作員として秘かにソビエトと接触。非公式ながらソビエト、満州を経由して石油の日本への輸入ルートを確立していると申しております。佐戸の金銀銅はその取引には十分な額を満たしております」
「フン、飴と鞭か・・・。悔しいが明らかに飴の方が魅力的だな」
そもそも日本が太平洋戦争に突入したきっかけの一つがABCD包囲網。
A(アメリカ=America)B(イギリス=Britain)C(中国=China)D(オランダ=Dutch)の経済制裁、石油輸出全面禁止による所が大きい。
太平洋戦争初期には日本軍は電撃的な勝利を収め、当時オランダの植民地であったインドネシアを占領。
インドネシアには豊富な石油資源があった。
日本からは7千人にのぼる石油技術者が石油施設の復旧と操業のための要員として送られた。
また元々インドネシアは植民地でオランダから過酷な支配を受けていたため、日本軍を解放軍と認識した現地人も多く、太平洋戦争初期の段階では現地人も石油施設の復旧に協力的であった。
そのため一時期は豊富な石油資源を手にいれた日本だったが、ミッドウェー海戦を境に日本の制海権は徐々に縮小。
さらにアメリカ軍の潜水艦による日本の石油輸送タンカー、商船の攻撃。通商破壊作戦もあり南方からの物資輸送は次第に滞り初めた。
そして日本海軍に取っては実質的な最後の戦いとなったレイテ沖海戦に敗れ、また沖縄戦に送り出した戦艦大和も”戦艦”というカテゴリーが最早時代遅れとなっていた戦争末期に呆気無く米軍の航空戦力に敗れると最早日本の制海権は喪失し、石油も入手が出来ない状態となっていた。
今となっては信じがたい話だが、戦争末期には石油の代替資源として石炭による蒸気を動力として軍艦を動かしていたと言う話まである。
その為、海軍としては石油は喉から手が出るほど欲しい資源であった。
「土元中佐。ソビエトからの石油の輸入の話、どれくらい信憑性があると思うかね?」
「単なるブラフの可能性もあります。しかし、石塚なら本当に石油ルートを確立出来るだけの交渉術を持ち合わせているとも思えます」
「信憑性としては低くは無いと言う事か?」
「・・・いえ、一概にそうとも言えません。と言うのも奴の言動には不可解な点が多すぎるのです」
「どういうことかね?」
「私の部下に石塚の言動を調査させたのですが・・・。奴は矛盾する話を各方面に申し出ております。
具体的に申し上げますと、首相や外務大臣には、佐戸の金銀銅をアメリカやイギリスへの停戦講和材料、ソビエトの停戦講和仲介依頼の手数料に使えると訴えております。
また、陸軍首脳には中国大陸やフィリピンの現地人に対して発行した軍票の一部を金銀銅と交換し、現地人の反日感情を親日感情に転換させ、反撃の糸口にしてはどうかと提案している様なのです」
「何!?海軍と陸軍に対しては戦争継続のための資金として訴え、首相や外務大臣には戦争終結の資金として訴えていると言う事か!?」
「そもそも中国だけならまだしも、フィリピンへの輸送などレイテ沖海戦に敗れ、沖縄戦に向かった大和も失った今となっては極めて困難だ。現地の陸上残存兵力も壊滅状態だと聞いている。陸軍首脳はそのような荒唐無稽の提案を鵜呑みにしているのかね?」
「しかしそのような話を聞いてしまうとソビエトからの石油の輸入の話も懐疑的にならざるを得ませんな」
軍票とは主として戦地・占領地で、軍が通貨に代えて発行する手形のことである。
日本軍は占領地でこの軍票を乱発し、現地で食料物資等を確保していた。
だが、この軍票は通貨としての信用性に乏しく、極端な言い方をすれば、実質紙切れと交換で食料等を強奪していたと言うことも出来る。
中国の反日感情もこの軍票の乱発が一因である。
また、占領地の中でも元々1946年にはアメリカから独立する事になっていたフィリピンは日本軍の占領で独立の話が白紙に戻ってしまい、また軍票の乱発で経済が混乱したため反日感情が高まった。
こうした国々は”便衣兵”という一般人の服装をした兵士が日本軍に対してゲリラ戦を展開。
日本軍も便衣兵と一般人の区別が付かないため疑心暗鬼となり、治安対策として疑わしいものは虐殺をする。
また、無実の罪で殺された者の友人、家族、親族は復讐のため一般人から便衣兵へとなる。
その様な悪循環が生まれてしまったのだ。
石塚中佐の陸軍に対する提案は信用力のない軍票の一部を金銀銅と交換する事によってこの悪循環を断ち切ろうという提言であった。
「はい、全く矛盾した話を各方面に申し出てるのです。また、奴は荒唐無稽な話でも実現可能な話に思わせる話術も持ち合わせております。
しかし私が最も不可解に感じたことは奴がアッサリと尻尾を出したことです。
正直部下に石塚の言動を調査させた時点では仮に各方面に魅力的で矛盾に満ちた話を持ちかけていたにせよ、これほど早くその失態を露見させるとは思ってもみませんでした。
奴ならもっと巧妙に隠し通せる技量があるはずです。」
海軍首脳陣は皆押し黙った。
石塚中佐の意図が分からない・・・。
タイミングを見計らって土元中佐は海軍首脳に具申する。
「石塚の件、この私に一任させて頂けないでしょうか?海軍内で奴の事を一番熟知しているのは私であると自負しております。奴の真意、目論見、この土元が暴いてみたいと思うのです」
辻本中佐は静かな闘志を燃やしていた。
自分と石塚。本気でやりあえば、どちらが上か。
それは海軍の同僚時代の劣等感から来るものか、はたまた純粋なライバル心か・・・。
「良いだろう。この件、土元に一任してみようじゃないか」
海軍首脳達は土元中佐に対する純粋な信頼感から土元の提案に同意した。
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