第58話 土曜日の約束

「使った食器を洗ってくるね」

「それくらい俺がやるから良いよ」


 立ち上がろうとした九条さんを止めて、代わりに席を立った。

 使った食器を集めていると、九条さんは俺を見て首を傾げている。


「どうしたの? いつも私が洗ってるのに」


「いつも家でやってるし、九条さんにばっかりやらせて悪いと思ったから。だからノンビリしてて」


 弁当を毎日作ってくれてるんだから、これくらいは俺がやりたい。

 しかし、そんな心境を知らないのか、九条さんが後ろを着いてくる。


「なんで着いてくるの? 座ってて良いよ」


「一緒に洗った方が早いでしょ? 私が洗うから、藤堂くんは並べていってね」


 止める間もなく九条さんは食器を洗い始めてしまい、俺は置くだけの係になった。

 嫌という訳ではないけど、九条さんに世話をされてる気分になる。


「これくらい俺でもできるぞ」

「私が一緒だと嫌だった?」

「そういう訳じゃないんだけど……」

「じゃあ、どんな理由なの?」


 食器を洗っている横顔を眺めながら、答えに少し悩む。


「……言い方が難しいんだけど、弁当を毎日作ってくれてるでしょ? それだけでも申し訳ないのに、食器まで洗わせると何と言うか……世話されてるだけのダメ人間になった気がする」


 家族全員が働いているから、家では掃除や洗濯をやる機会が多い。料理に関しては簡単なモノしか作れないが、自分の事は自分でやっている。

 それもあって、一緒に居る時は甘えてるんじゃないかと思ってしまう。


 色々と考えていると、九条さんが手を止めて顔を向けてくる。


「それで良いんじゃないかな」

「……いや、良くはないだろ」


 ダメ人間のどこが良いのか分からん。


「私が好きでやってるだけだもん。それに藤堂くんをダメとか思ってないよ。……適材適所って言うのかな、藤堂くんは家事よりも勉強や運動が得意でしょ? その反対に私は家事の方が得意。……ねっ、だから気にしないで」


「……分かった。だけど、手伝いはするから」


 間違ってはいないけど、何故か言いくるめられた気がする。

 モヤモヤした気持ちが晴れないまま渡された食器を並べていると、九条さんが俺の顔を覗き込んで来た。


「納得できてないって顔をしてるよ。そんなに気になる? うーん……それなら今度の土曜日に時間を作って欲しいな」


「今度の土曜日? 大丈夫だけど、行きたい所でもあるの?」


「行きたい所というか、私の家に来ない? お母さんが金曜日に日本に来るの。ほら、前に言ったでしょ? 6月に来るって。お母さん、藤堂くんに会うのを楽しみにしてたよ」


 九条さんのお母さんって……アリスさん!?

 6月に来るのは聞いた覚えがある。

 でも会うのは良いが、絶対に吉宗さんから俺の話を聞いてるはずだ。

 ということは、俺の気持ちも聞かされてるんだろうな……


「……お、俺もアリスさんに会うのを楽しみにしてたんだ」


「それなら良かった。お母さんと相談して、昼から夕方の間になると思うけど、時間が決まったら連絡するね」


 吉宗さんとのやり取りでも恐ろしいのに、今度はお母さんか。九条さんには過去のトラウマがあるから、母親からすれば俺という存在が気になるのは当然のことだ。



 ──呼び出す理由は俺を見極める為だろう。



 やっぱり吉宗さんに似て厳格な感じなのかな……そう考えると、まだ会ってないのに緊張して胃が痛くなってきた気がする。

 就職活動とかしたことないけど、面接前の心境ってこんな感じなのかなぁ……





 洗い物が終わった後、情報収集も兼ねてアリスさんのことを聞いた。


 やっぱり面接対策って必要だよな。


「お母さんがどんな人かって? 何処にでも居る普通の人だと思うよ」


 九条さんからするとアリスさんは普通……?

 以前聞いた話だと、日本の漫画を読みたくて日本語を勉強したって言ってたはず。

 だからアグレッシブなイメージしかないから、俺の思う「普通の人」とは結び付かない。


 混乱して考えて込んでしまい、その様子を見た九条さんは浮かない表情になる。


「……もしかして、お母さんに会うのが嫌だった?」


「ごめん、嫌じゃないって! ちょっと考え事してしまっただけだから!」


「本当に? 難しい顔して、なんか考えてたみたいだけど」


 返事もせずに考え込んでしまったのは事実だし、会いたくないと思われても仕方ない。

 ただ、会いたくないとは思ってないから、そこだけは訂正しないと。


「なんて言うか、急にアリスさんに会うことなったから緊張しただけだよ」


「緊張してたの? そんなに緊張しなくても良いよ。お母さんもお父さんみたいにから」


 ……やっぱり、吉宗さんと同じなのか。


 確かに九条さんにとっては優しいよ? だけど、俺に対しては厳格なお父さんだからね?


 うん、もう考えるのは止めよう。


「分かった。それなら会うのを楽しみにしてるよ。とりあえず『お手柔らかに』って伝えてくれると助かるかな」


「ふふっ、お手柔らかにって変なの。一応伝えておくけど、お母さん張り切ってるから聞いてくれるか分からないよ」


「えっ、張り切ってるって、なにを?」


「藤堂くんのおもてなし」


「……ん?」


 一瞬、おもてなしって聞こえた気がして首を傾げてしまう。そして、何故か九条さんまで俺に合わせて首をコテンと傾けている。


 仕草が可愛いなと現実逃避しそうになるが、頭を振って何とか回避した。


 ……とりあえず状況を整理しよう。


「聞き間違いかもしれないけど『おもてなし』って言った?」


「うん、言ったけど」


 やっぱり、聞き間違いじゃなかった。言葉の意味は分かるが、面接だと思っていたから更に分からなくなる。

 そして頭を整理すると『おもてなし』に対して、ある仮説に行き着いた。


 一次選考の吉宗さんが圧迫面接だとすると、二次選考では手法を変えてきただけだと。


 考えが纏まったのでスッキリした。

 おかげで過度な緊張はなくなり、腹を括ることもできた。

 そもそも一次選考すら通過してるのかすら分からない状況だからな、悩んでも仕方がない。


 俺にできるのは、飾らず正直に接するだけだ。


「じゃあ土曜日の『おもてなし』を楽しみにしてるよ」





 しばらくの間、アリスさんのエピソードを聞き九条さんが帰る時間になった。


 普段は身バレを防ぐ為に2人で店を出ないが、さっき髪型をセットしてネクタイを外したので駅まで一緒に行く予定になっている。


 分かりやすく言うと、2人でケーキ屋に行った時と同じ格好だ。まぁ、何故か咲良にはバレバレだったけど、他の人には分からないだろう。

 もちろん九条さんもコンタクトを外し、髪型もストレートに戻している。


 そして裏口の扉に手を伸ばした時、背後から俺を呼び止める小春ちゃんの声が聞こえた。


「秋也が帰る前で良かった。急なんだけど今度の土曜日って時間ある? あっ、玲菜ちゃんこんにちはー、今日も可愛いねー」


 そう言うと、小春ちゃんの視界には九条さんしか映っていないみたいで、既に2人で笑い合っている。


「俺の返事は要らないのか? その日の午後はダメだけど、午前中なら大丈夫だぞ」


「ほんと、助かったー。じゃあ、ちょっと早いけど8時に美容室まで来て。ホームページ変更が前倒しになって、先に秋也の部分だけでもアップさせたいのよ」


「今年は暑くなるのが早いもんな。分かった、8時に来るよ」


 美容室のホームページは春用になっていて、宣伝用のメイクや髪型も春用がアップされている。

 夏に向けた撮影は少し先の予定だったが、今年は気温の上昇が例年より早く、そのせいで全ての予定が前倒しになったみたいだ。


 当初の撮影予定は月末だったから前倒しになったのは個人的には助かる。

 6月末といえば期末テストの前だから、問題児達(主に涼介だな)の勉強会用の準備もあるからな。



 と、まあ、何が言いたいかというと。



 うん、分かってる。



 さっきから、もの凄い視線を感じてるから。



 キラキラした期待の眼差しをな。



「えっと、九条さん、良かっ「行く、絶対に見に行く!」」


「でも大丈夫なの? 俺が行くまでの間に予定があったり「前倒しにするから大丈夫!」」



 ま、前倒しにできる予定なら良いのか……?


 ここまでグイグイ来るんだし大丈夫だろう。


 撮影見学は前に約束していたし、ホームページの撮影なら身内しか居ないから都合も良い。


 とりあえず俺は恥ずかしいけど、九条さんは楽しみにしていたからな。



「じゃあ、土曜日の8時に美容室に来て」

「うん、楽しみにしてるね」



 ──そして土曜日の朝を迎えた。

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