第56話 お弁当の中身
side:吉宗
「ただいま。食欲を誘う良い香りだね」
仕事から帰宅すると、玲菜がキッチンで夕食の準備をしている。
いつもの光景だけど、新しい料理に挑戦しているのかレシピを見ながら作っていた。
「お帰りなさい。もうすぐできるけど、先に夕食にする?」
「そうだね。作りたてを食べたいからそうするよ」
私がテーブルに座ると、玲菜が食卓に料理を並べている。
親バカかもしれないが、玲菜は家庭的で素直な良い子だ。
「おっ、今日は和食なんだね。お父さんの好物を作ってくれて嬉しいよ」
それに今日は父親のために『ひじき』や『きんぴら』に『煮物』と好物ばかり作ってくれている。
何度も作った料理だけど、レシピを見ていたということは、新しい味付けに挑戦したんだろう。
「うんっ、藤堂くんの大好物を作ったの! 明日のお弁当に入れるから、お父さんは味見役になってね」
その言葉に箸を伸ばす手が止まった。
今のは私の聞き間違いか? 味見役と聞こえたんだが……
「れ、玲菜、今日は父さんの好物を作ってくれたんじゃないのか?」
……頼む。そうだと言ってくれ。
「えっ、違うけど。それよりも早く食べて感想を教えてよ。美味しく作れたと思うんだよね。じゃあ、私も食べよ。いただきまーす」
玲菜は何もなかったみたいに食べ始めた。
どういうことだ? 週に一度だけ作っているのは聞いていたけど……
「藤堂くんに明日も弁当を作るのか?」
「うん、明日からずっと」
そう言った玲菜は、やはり何もなかったみたいに食べている。
玲菜の気持ちは知ってるけど、毎日作る関係になったのか? 藤堂くんから報告は受けていない。
「百歩譲って、弁当を作るのは良い。しかし、どうして毎日なんだ?」
私の問いかけに玲菜も箸が止まり、決意に満ちた目に変わる。
「──藤堂くんの胃袋を掴むのっ!」
私の中で玲菜の姿が、妻のアリスに重なって見えた。
「だって、お母さんに電話で相談したら『胃袋を掴みなさい』って言ってたもん。だから、お弁当を毎日作って、私なしじゃ生きていけない体にするのっ!」
玲菜の背後からオーラみたいなのが、見えた気がした。
それよりも、入れ知恵をしたのはアリスか……だから姿が重なったのか。
玲菜は料理が上手だから、本当に胃袋を掴んでしまいそうだ。
「お母さんに聞いたけど、お父さんにも同じことをしたって聞いたよ。知り合いに紹介されて一目惚れしたって。それで、料理を作って攻めたんでしょ?」
そうだ、これがアリスと重なった理由だ。
重なったのは仕方ないとして、どうして玲菜にそれを話すんだ……
私が頭を抱えていると、玲菜が追い討ちをかけてくる。
「お母さんはこんなことも言ってたよ『お父さんは全く手を出して来ないから私が襲ったのよ』って」
アリス……それは言ったらダメだろ……
でも、ちょっと待てよ。玲菜がアリスの真似をして料理で攻めるとなると、その次は……
「……れ、玲菜っ、藤堂くんを襲うのだけは止めてくれっ!」
これは父親としての願いだ。そこだけはアリスに似たらダメだ。
父親の想いを知らないのか、玲菜はキョトンとしている。
「ふふふ、しないよー。藤堂くんは変態じゃないと思うもん。……でも、藤堂くんまで変態だったら嫌だなー。叩きたくないし」
玲菜の言ってる意味が分からない。
でも『藤堂くんまで変態』の言葉は、何故か私が変態だと言われてる気がした。
玲菜の知識に偏りがあるのは知っている。
昔から本が好きで、純愛モノの小説ばかり読んでいた。
恐らくだが、過去の出来事によって無意識に綺麗な関係しか見なかったのだろう。
だけど、私は玲菜に伝えたりしない。
玲菜が自分で気付くか、藤堂くんから気付かされるのか。
2人の関係を考えていると、ひとつの疑問が浮かぶ。
「藤堂くんは鈍感なのか?」
玲菜の行動は、どう見ても好意からだ。
それなのに気付かないって、どうかしてるとしか思えない。
「藤堂くんのお母さんやお姉さんは『鈍感じゃない』って言ってたよ。……あっ、そうだった!」
玲菜は大きな声を出すと、怒った表情で詰め寄ってくる。
「……ど、どうかしたのか?」
「どうしたじゃない! お父さん、藤堂くんに何か言ったでしょ! 鋭い藤堂くんが気付かないのは変だって聞いたもん!」
私が悪いって言われてるが、藤堂くんが鈍いだけじゃないのか?
しかし、藤堂くんに話したのは……ああ、そうか……私のせいかもしれん。
玲菜の行動は想像するのが簡単だ。
そうなると、藤堂くんは玲菜の距離感を思い出すだろう。
「やっぱり心当たりがあるって顔してる! もう変なことを言って、邪魔したらダメだからね!」
「……わ、分かった。邪魔しないから、アリスと同じ表情で怒らないでくれ」
この後、玲菜はアリスに電話をかけてしまい、更なる困難に晒されてしまった。
◇
side:秋也
「シュウ、香織、早くメシにしようぜ!」
「早く食べたいなら、涼介も早く机を持って来なさい」
昼休みになり、今日もいつものメンバーで弁当を食べる。
目の前に涼介と香織が座ると、咲良も弁当箱を持って教室に入ってきた。
「お待たせー。今日も机を準備してくれてたんだ。シュウくんは優秀だねー」
咲良は笑いながら頭を撫でてくる。
「こら、髪型が崩れるから撫でるな」
「はいはい、仕方ないから止めてあげる。代わりにシュウくんの玉子焼き食べさせて」
「なんの代わりだよ。それと玉子焼きか? 今日は入ってるか分からないぞ」
まだ中を見ていないけど、九条さんの弁当だから間違いなく入ってると思う。
そして弁当箱の蓋を開けると、咲良が覗き込んできた。
「……変わったお弁当だね」
「そうだけど、大好物ばかりだ」
中身は『筑前煮』に『ひじき』と『きんぴら』そして『玉子焼き』が入っている。
そこまでは普通の弁当だけど、咲良が言ってるのは入れ方だ。
4つに切られた玉子焼きと、大きいカップが1個、それと小さいカップが4個あった。
筑前煮が大きい方に入っていて、ひじきときんぴらは小さい方に2個ずつ入っている。
「なんで2個ずつあるの?」
「食べてみたら分かると思う」
まず、ひじきから食べてみた。
最初に食べた方は母さんの味で、もうひとつは違う味がする。
きんぴらを食べてみても同じだった。
「シュウくん、理由が分かった?」
「……ああ、違う味付けみたいだ」
「そうなの? ちょっと食べさせて」
そう言った咲良は、止める間もなく食べている。
「前にも言ったけど、人の弁当を勝手に食べるな」
「そんなことよりも、これって、別々に作ってると思う。作ってる途中で2つに分けた感じじゃないよ。シュウくんのお母さんって、マメだよねー」
えっ、別々に作ってるって?
それに弁当は母さんじゃなくて、九条さんのお手製だぞ。
驚いて窓際に目を向けると、九条さんは3人で楽しそうに弁当を食べていて、こっちに気付いていない。
「母さんが新しい味付けに挑戦するって言ってたから、それだと思う」
こう答えるしかなかった。
「そうなんだー、どっちも美味しいね」
「美味しすぎて幸せだな」
母さんの味付けに関しては、から揚げの時みたいにレシピを聞いたんだろう。
作るのが大変だったんじゃ……と考えていたら、新たな疑問が頭に浮かんだ。
そういえば、この弁当箱をどうして九条さんが持ってるの? 一昨日使って持って帰ったのに。
色々なことを考えていると、咲良の声が聞こえてくる。
「そうだ、約束の玉子焼き食べるねー」
「あっ、おい、2個も食うなっ」
「やっぱり美味しいー」
咲良は玉子焼きの半分を食べてしまった。
「シュウくん、私もちょうだい」
「俺も食ってみたい」
「あーっ、お前らまで勝手に食うなっ!」
こうして弁当箱から玉子焼きが消失する。
大好物だから最後に食べようとしてたのに、涼介と香織が食べてしまった。
「……俺の玉子焼きが……まだ食べてないんだぞ……」
「まあまあ、今日も咲良ちゃんの玉子焼きを毒味させてあげるから」
「……毒味って、本当に食えるのかよ」
こうして残りの弁当は、65点の玉子焼きで食べることになる。
そして放課後──
美容室で会った九条さんは頬っぺたを膨らませていた。
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