第十四話 第二次神流川の戦い② 本戦
霧が晴れると、すでに両軍が陣容を完全に把握していることを悟る。
静まり返る戦場は、こたびの小田原征伐において「最初の」大規模会戦であることを示すにたやすいことであった。
「.........この戦、昌幸殿が最も重要な役割を担うことは明白。
しかし、開戦直前から戦場にすら姿が見えぬとは、まことに不可解なことだ。」
「......あちら側の謀略で、こちら側を陥れようとしているかのように思えまするが、、、、なんとも。」
「..........我らが城から出てしまったことは仕方がない。もし昌幸殿が裏切ったならば、我が身命を賭して全軍突撃し命を散らすのみだ。そもそも、負け戦であるこたびの征伐は、どうしようもないほどに詰んでおる。.......もし籠城したとして、活路が見えるかといえば、ないであろう。おかしな話に聞こえるが、防衛戦として領地を守るのではなく、我らの意志と尊厳を貫き通すために敵方を攻める、攻略戦なのだ。」
「.......いかにも。」
「信じて戦う。今までのわしの戦いはみなそうであった。ゆえに今はほかのことを考えてはならぬ。前を向き、ただひたすらに敵を打ち破る。その一事だけだ。」
「そう渋い顔になるな。わしとて死は恐ろしい。だがこの地の民が凌辱されることのほうが耐え難く苦しいのだ。」
「.........はっ。....殿がそのご覚悟とあらば我らも信じて付き従うのみ。然らばそれがしもその身命を、賭して戦いましょう。例え国破れようとも、我ら関東武士の意地と覚悟を、お見せいたすぞ!」
「「おおおおおおおおおお!」」
《起》開戦
まずは現在の軍勢の位置を確認しよう。
戦域の最西端に位置する
倉賀野城→前田利家本軍 18000人
神流川西側毘沙吐→上杉景勝 10000人
神流川東側、金窪城周辺とその城内→北条氏邦5000人
東山道方面軍後詰兼街道封鎖→依田康国4000人
真田昌幸→行方不明
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
神流川を挟み、上杉軍と北条軍が対峙した。
昼下がりの強烈な陽光がぎらぎらと
精強かつ瞳の奥まで照り輝くその兵は、戦の中にある希望を信じて疑わぬ。主と共に馳せ参じ、駆けてきた戦歴は幾重にものぼり、歩みは尚も変わらない。
北条氏邦は敵方の勢いと、この援軍の強さを値踏みするために3000人の河越城軍を全面に押し立てた。
後方の後詰、として氏邦は親衛隊たる約1000人を束ね彼らを見つめる。
「まずはこの緒戦にかかっておる。ゆえに最も信頼のおける親衛隊は最後まで温存する。それに、かの援軍がどこまでの実力か.......確かめさせていただこう。」
「対する上杉勢も精強。フッ。面構えがおぞましいものぞ。」
「.........。」
「オオオオオオオオオオオオ!!!」
一時の静寂すら待たぬ彼らの勢いは猛烈たる濁流そのものであった。
上杉軍前衛の5000人がさらにその隊を分裂させて一斉に渡河を開始したのだ。
「っ!」
「ついに来たか......。」
「各自所定の位置につき、渡河してきた敵軍から各個撃破せよ。間違えても、本陣の号令を見逃してはならぬぞ。」
「ハッ!」
《承》真田昌幸の行方
「前方より上杉軍前衛5000が、さらにその隊を四、五隊に分けて一斉に渡河!まもなく同時侵攻が始まるぞ!」
上杉軍は隊を四、五に分けて進軍。中央の隊が真っ先に到達し、相対す軍もまたそれに呼応して戦端が開かれた。
「中央を叩いて、左右へ揺さぶりをかけよ!見たところによると一隊、伏兵が潜んでおる模様。くれぐれも見失うことの無きよう各々心がけよ!」
「ハッ!」
こちら側の3000の兵も防御体制を整え3重に防備を固める。そのうちの数百もの騎馬が左右より展開してものの見事に中央へと突撃を敢行した。
「渡河をするということはその危険性を大いに伴う。渡河後に陣地を築かれては面倒ゆえ、この迅速な対応か......。」
騎馬隊は手慣れた様子で一撃、また一撃と正面から突き崩し、やがてそれは全体の凹地となる。
「おおお、、」
目線を向ける諸将のみならず氏邦さえも感嘆の息を漏らした。
激しいぶつかり合いが遠いこちらからもよく見て取れる。押し寄せる波の如き烈波の攻勢に攻める上杉軍が反対にたじろぐ。
反転し、潰走した者共は漏れなく鉄砲の地響と共に川面を朱に染めた。
「よし。序盤は順調だ。このまま騎馬隊も渡河させて押し戻すのだ!」
「ハッ!」
なにはともあれ、最初の不安は氏邦から消え去った。彼ら援軍衆はやはり、強い。戦術眼も極めて鋭く精強だ。
お膳立てが整えばついに両軍の戦術の色味はより濃厚になっていく。
干戈を交えてからすでに半刻が過ぎ、熱気は最高潮に達していた。
「............!!」
「あれは........」
戦場が揺らいだ。その一瞬を彼はその眼に捉える。
つい先程までがまるで嘘のように、盛り上がりが抜けきったのだ。
上杉軍が、何やらきな臭い戦術を画策しているらしいことは火を見るより明らかであった。
「まずい、やりすぎだ。急ぎこちら側まで呼び戻せ!引き込まれるぞ!」
敵方中央の隊が武力差から押されていたかに見えた。
しかし、ひいては押し、ひいては押しを繰り返して前線を下げるばかりで、まるで飲み込まれるかのように部隊が孤立していった。
「これは、、恐らく敵方の得意戦術、囮作戦に違いない。明らかな釣りだ。」
「急ぎ騎馬隊を救援せよ!彼らを失えば即ち手足をもがれるに等しい。先程まで渡河していた敵方の隊も退き、完全に孤立しておるぞ!」
「伝令!」
「火急の用であるか?」
「.......はっ!」
「よい。申せ。」
「はっ。騎馬隊は敵軍に完全に包囲された模様。援軍衆は早くも危機を察知したものの、加勢間に合わず!願わくば氏邦殿率いる親衛隊と、残りの援軍衆1000をそれぞれ左右の軍勢にぶつけ、急ぎ救援すべしとのこと!」
「やはりそちらでは間に合わんかったか......。がそれも予想通り、ちょうど今援軍を手配し出陣しようとしておったゆえ心配は無用だ。今すぐに参ろう。
しかしこの戦いかた、あまりにも極端かつ複雑.......こちらから見たところによると、彼らの戦術はまるで往年の車懸かりのようにも見える。」
「車懸かり?車懸かりとはあの上杉謙信の必勝の戦術のことでしょうか?」
遠方にてうねりを上げる上杉軍の異様な状態に対して、氏邦はそう位置づけた。
「いかにも。本来は一撃必殺、本陣切り込みのための足掛かりとなる戦略なのだがどうやらそれを応用して、われらの戦力を削ぐつもりらしい。」
★車懸かりとは
かの名将上杉謙信が担い手とされる必殺の戦術。後世では「車懸かりの陣」と言うものが有名だが、これは全くの嘘である。(諸説あり)
詳しく説明すると、
兵士を回転させて、どんどん新たな兵力を投入するという無茶苦茶な戦術
→車懸かりの陣
敵方に対応しておよそ同数の軍勢をぶつけ、主力軍を敵方中枢まで運ぶ、「ラグビー的発想」による戦術
→車懸かり
である。★
「近づこうものならば、それと同数の兵力がこちらにあてがわれて、騎馬隊は完全に孤立したという訳であろう。」
「なっ.......」
「同時に援軍衆全体が立ちいかなくなり、我らに援護を求めたのであろうか。」
「........」
「......こればかりはわしの失策であった。相手方には尋常でない策士が紛れておるようだ。こうなればやはり事態は急を告げるぞ。急ぎ救援に向かうべきだ!」
「はっ!!」
氏邦率いる計2000の兵はそれを二手に分かち、直ちに渡河を開始した。目的は中央の援護、上杉軍左右の撃滅。
馬足の乱れもなく、兵に焦りも見られない。
氏邦の戦術眼は至極真っ当と言えるのだから当然である。
一歩、また一歩と、その熱気へと邁進する中、これでもかと言うほどに怒涛の展開が巻き起こった。
「ででででで伝令!!」
「ムッ!なんだ?」
「あちら、あちらをご覧くだされ!あれは......」
「.......ああ。あの赤備えは、恐らく真田の軍勢だろう。」
「し、しかし、どうやら我らが渡河したところを見計らって彼らは南方より大きく迂回、狙いは.......
我らがもといた金窪城かと思われまする!!」
「クッ、やはり謀られたか!?おのれ真田昌幸め........」
「どうされますか?」
珍しく氏邦は冷や汗をかいた。
真田昌幸の動向は明らかにこちらを陥れる行為だ。おそらくこの盤上も彼の手によってなるべくして成っているのだろう。
だとすれば......
「あやつの狙いは、一体何なのだ?」
氏邦はあまりにも真田を信用しすぎていた。
そして同時に己の未熟さを恥じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます