第四話 表裏比興の者
表裏比興の者と後世に謳われる男、真田昌幸。その老獪な外交と卓越した政治手腕が取り柄の屈強なる戦国大名だ。
信玄より続く甲斐、信濃の大大名、武田氏に仕えた彼は「攻め弾正」こと真田幸隆の子で、武田流軍略を教わりし切れ者。
織田の時代を陪臣(家臣のそのまた家臣)として過ごし、また天正壬午の乱ではころころと主替えをしてその領土を守り切っている。
だからこそ今回はその力を見込んで危険な道中をはるばる越えてその元へ向かったのだ。
金箔の瓦に包まれた虎狼の城、上田城。その要塞は地方豪族のそれとは思えぬ屈強さと厳かさ、また妖艶ささえも醸し出していた。
その規模こそ決して大きいものではないが、なめてかかると大やけどを負うことを知っている。天正十三年1585年、築城間もないこの城は徳川勢七千の猛攻を防ぎ切りこれを撃退した。それも寡兵二千である。だから決して侮ることなどできない。
本来、敵対関係であるはずの真田の根城に氏直が単身乗り込むというのはあり得ない暴挙である。
いつ殺されてもおかしくはない。
城内の兵も氏直自身が少数の供回りのみでやってきたため、いぶかしげにこちらをにらむ。だがその隊列は一糸乱れぬ整然たるものであり、一種の誇りさえ感じ取れる。
怖気づけば交渉は決裂し、必ず殺される。
ゆえに氏直はその中を平然と、確固たる歩調で進んでいった。
「.......」
「........]
城内の喧騒とは打って変わり、主郭の最深部にて静寂をまとうこの男、真田昌幸が待ち構える。どうやら人払いは済ませているようで、大広間に碁盤がたたずみこちらを手招きしている。
こちらへ来いということであろう。
あまりに無礼そのものである昌幸の行動に当然であろうと同情し、その席に着く。
尚も無言で昌幸は碁を指し始める。先手は彼のようだ。
よし。受けて立とうではないか。
氏直は幼少の記憶をたどり、そして現在の己と重ねあい瞳の奥にゆかしき闘志を顕現させる。
「お手合わせ願います。」
「...........」
姿なき兵士、形ある神算鬼謀の戦いに私は身を投じた。
囲碁。ただ相手の石を挟み、囲み、ひたすら己の利権を広げていくだけ。ただ、それだけのためにあらゆる視点から戦略を練り、己を見返し、ひたすらに考え続ける。
いわば盤上の戦である。握りしめるは石であろうと、現実ではそれが人の意志になるだけで本質はさほど変わらない。将棋とは異なり、強い弱いの別がなく、純粋に用兵の妙によってその命脈をからめ取るのだ。
重要なのは率いる者の能力。ゆえに相手の本質を見抜くことができる。なるほど対談よりも腹の探り合いに向いているというわけだ。
碁盤の展開に昌幸自身の思惑を探りつつ、こちらから一種のメッセージを投げかける。いわゆる定石から大きく逸脱した手に、昌幸は顔をしかめた。
「........お主、まことに奇怪な男よのお。北条氏直の影武者なのか?」
「いいえ、私は相も変わらず北条氏直にございます。今は領内を潜伏しておりこの場に居ることも全くの私情なのですが。」
「.........ほう。」
「かく申すこの氏直も.......」
「腹の探り合いは狸同士に限る。三河の家康の如き肥えた狸でなくてはな。」
「.....いかにも。」
「して、単身ここへ乗り込むとはよほど追い込まれておるようじゃな。どうした、気でもふれたか?」
「フッ。戯言も休み休み申してくだされ。此度はあなたのような心底気味の悪い御仁にこそ頼みたき儀がございましてな。」
「寝返りか?無論断る。」
「名胡桃城の一件、、すべてこの氏直には筒抜けです。おとなしく話を聞くか、私を斬るかしなければ、貴殿も首が危うくなりますなあ。」
「.........あれは謀略だ。それに豊臣秀吉の命令なるぞ。いかにこのわしでもとりつく島などなかろうて。」
「いいえ。これはあなたの利権へと地続きになっています。もし命令があったとしても、必ず手を加えておるのが昌幸殿ではござりませぬか。」
「いかにも。だが、その様子、わしが何をしでかしたかは分かっておらぬようじゃな。青二才にしては素晴らしい耳の速さじゃがな。」
「...........」
「して、貴殿は何を望まれるのだ?」
「無論、謀略の意趣返しというものでありましょう。どうです?この北条とこの氏直を利用しては見ませぬか?」
「そして.....」
昌幸は次の瞬間に、乱世いまだ終結の兆しあらず。と、にやりと笑んだ。
「家臣、一族を招集せよ。戦は、この天下の趨勢は未だ定まらざるものなり。」
これ以降、表向きは豊臣に従いつつ裏工作をしたたかに進め、真田は密かな野望とむせ返る謀略に身を投じ、独立独歩へとその舵を大きく切った。
小田原征伐、苦しき戦が目の前に迫りつつある。
秀吉の死期も迫っていた。
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