ガチスパ・ウィズ・ザ・バーサーカーガール
合宿の三日間は、残酷にもあっという間に進行した。年頃の男女が一つ屋根の下にいるのだから、素直なところを言えば、何かしらこう、ほら、例えばシャワーに濡れた髪の兎萌を見られるだとか、そんなことを期待はしていた。だって、男子高校生だもの。あおい。
別に矜持や理性が働いたわけではない。むしろ働いたのは、生存本能だ。
まずこちらの同室には、交際は認めてくれたものの、筋を通すまでは不埒は許さんと目を光らせる
そんな眠れぬ夜を越えて、今、
「はじめっ!」
葵は明日葉と対峙している。
合宿の最終課題として兎萌に提示されたのは、着けていた防具の一切を外した上で、この天才バーサーカーとのガチスパーリングをすることだった。
自信はある。しかし、油断はない。組み伏せた後なら違いもあるだろうが、リング上で男女もへったくれも存在しないことは、これまでの経験で重々承知している。
葵は冷静に、春近直伝の足捌きで攻撃を凌ぐ。自分でも驚くことに、明日葉の攻撃はしっかりと目で追うことができた。薙ぎ払う鎌のような重いフックも、当たらなければ問題はない。
やがて、焦れて来たのだろうか。明日葉は一撃で刈り取る男子顔負けのファイトスタイルから、少しずつ削っていく方針に切り替えたらしい。
ぴったりと間合いを詰めてきては、着実にジャブでダメージを蓄積させられていく。当然、当たってしまえば痛いものは痛い。精神を三枚おろしにされるように削ぎ切られ、今度はこちらが焦りを覚える番だった。
視界の端にリングロープを捉えた葵は、場を仕切り直しながら、頭を研ぎ澄ませる。
「(大丈夫、大丈夫……決め技に集中)」
自分に言い聞かせて、この合宿で学んだことを思い返す。
――葵くんには足捌きと、攻撃における剣道特有の考え方。この二つを重点的に覚えてもらう。
初日、自分の不甲斐なさで一つしか教わらなかったが、後日改めて、二つ目を教えてもらっているのだ。
春近は、自分に竹刀を持たせた上で、こう説明した。
『人間には、正中線というものがある。頭のてっぺんから股間の真下まで伸びた、急所の集まるラインのことだが。剣道ではこの正中線を制した者が勝つと言われているんだ』
そう言って、彼は魔法のような現象を見せてくれた。
どちらかの竹刀がきっちり中心を割っている状態だと、もう一方は、そのわずかな切っ先をきっかけに軌道を逸らされ、相手の体に届くころにはすっかり明後日の方を向いてしまうのだ。
『これは竹刀であろうと、拳であろうと関係ない。むしろ、グローブの方が起点が大きい分、効果は大きいはずだ』
攻撃をする前から既に勝負は決まっているといっても過言ではないと、彼は言った。
ボクシングにおいて、試合開始直後に互いのグローブを打ち合わせることはあるが、その後、互いの拳がかち合う場面は、そうそう起こらない。起こり得ないのだ。まして漫画やアニメのように伸び切った拳がかち合うことは幻想だと知った。考えてみれば、あれはどこを狙ってのパンチなのか理解ができない。
「葵、かませ!」
兎萌の声援に、葵はかっと目を見開いた。
肘を閉じて、パンチを打つための右腕を真っ直ぐ立てる。
それを、襲い来る明日葉目がけて突き出した。
正中線のマジック――言い換えれば、パンチのチキンレース。仮に相手がフックに逃げたとしても、顔は左手のオンガードポジションがどうにかしてくれるし、腹を狙われたとしても、先に顔面をぶち抜いたこちらの方が有利となる。
顎に痛烈な一撃を受けてノックバックした明日葉は、しかし、まだ全く闘志が失われていなかった。ギラギラと光らせた双眸で、愉快そうにこちらを睨めつける。
『凪』が来る。それに気付いた瞬間、葵は本能で一歩引き下がった。直後に、鼻先を掠めて打ち上がる明日葉の踵があった。
勇魚のテンカウントが開始される中、葵はどっと冷や汗が噴き出すのを感じていた。まともに喰らっていたら、今頃再起不能状態になっていたのはこちらだろう。
倒れ込みながらも、ハイキックをかましてくるなんて、執念にも程がある。
「7、8、9――」
「あちゃあ……今のを躱されたら、降参だなあ」
「10!!」
ゴングの音が鳴り響き、兎萌がリングによじ登って、飛びついてきた。
「おめでとう葵! まさか明日葉さんに勝つとまでは思ってなかったけれど、やってくれたわね。ほんと最っ高だわあんた!」
「みんなのおかげだよ。最後、油断してたら分からなかった」
「でも、油断しなかった」
誇らしそうに見つめてくる笑顔に、葵は鼻を掻いた。こちらはまだ、はじめて湧いた勝利の実感に心が戸惑っている段階だから、なんとなく温度差を感じて、照れくさい。
「厄介な足捌き。まったくとんでもない子を育ててくれたわね、和楽足くん」
明日葉が体を起こしてもらいながら、春近に憎まれ口を叩く。
「梨郷こそ。普段の歩き方からして、何かやってそうとは思っていたけれど。まるで化け物クラスじゃあないか」
「ひどい。女の子に向かって化け物だなんて。失礼しちゃうわ」
「唇を尖らせても無駄だ。君のような手合いが、そんなことはさらさら思っていないってのは、よく知ってる」
春近の嘆息に、「ちぇ」と納得いかない様子の明日葉に、加勢したのは兎萌だった。
「だとしても、ちゃんと女の子扱いはしてくれないとダメですよ、春近さん」
「「ねー」」
顔を見合わせて意思疎通をする女子の結束力に、さしもの春近もタジタジである。
「ほんと、うちの男性陣ってば、デリカシーがないんだから」
「えっ、俺も?」
突然巻き込まれて驚く葵の肩に、勇魚がそっと手を置いてくる。
「強く生きろ、葵くん」
「言っておくけれど、『男性陣』だから。お兄ちゃんも入ってるから」
「なん……だと……」
ついに最後の砦までもが、愕然と膝をついた。
葵は心の中で、そっと追記をすることにした。リングの上では男女関係ないが、リングの外ではきっと、女の子の方が上手であると。
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