第126話 本宮花音は一歩進む

 最悪のタイミング。

 この上ないほど最悪な状況で再会してしまった。


「本宮かよ。マジ萎えるわ」


 黒川たちグループの中の一人の女子が、そう吐き捨てる。

 花音は小さく、「長尾さん……」とつぶやいた。この人が、中学生の頃に花音の悪い噂を流した張本人ということだ。


 黒川たち五人は花音を見て笑っている。当然それは好意的なものではなく、見下すように嘲笑っているのだ。


 花音と黒川たちの話は花音の方からしか聞いていない。花音が嘘をついているとは思わないが、主観が入っているため多少なりとも真実と異なっていてもおかしくない。

 仮に花音の誤解によって現状に至っているのであっても、誹謗中傷したり、嘲笑したりしていい理由にはならない。


 俺は腹の底から何かが熱くなるのを感じていた。

 これが『はらわたが煮えかえる』ということだろう。


 冷静さを取り戻すように、俺は何度か深呼吸して頭をクリアにする。

 虎徹と若葉も、花音の表情を見て黒川たちがどういう人たちなのかということに勘付いているようだった。


「あれ、そこの男って、前に本宮といたやつじゃね?」


「本当だ―」


 黒川は俺のことを見てそう言った。


「お前さ、本宮と付き合ってんの?」


「……別に」


「そうなん? じゃあ良かったな。そいつ性格最悪だから、やめといた方が良いよ」


「優介、教えてあげるとか優しー」


 優介……というのは黒川の名前だろう。長尾が黒川に向かってそう言った。


 花音の性格が最悪。本当にそうなら黒川たちの心無い言葉に、こんなに心を痛めることはないだろう。

 ……こんな表情をするほど、辛そうな顔なんかしない。


 俺は普通に話すように、できる限り言葉に怒気を孕まないよう口を開いた。


「えっと、花音の知り合いだよね?」


「そうだけど」


 花音から話を聞いたということは黒川たちは知らない。

 下手なことを言えば花音の立場も悪くなるため、俺は知らないていで話を進める。


「花音のことが嫌いなら、関わらければいいんじゃない?」


「なんだよ、人がせっかく教えてやってんのに」


「俺らは俺らで楽しくやってるから。結構です」


 俺がそう言い返すと、黒川は舌打ちをする。


「俺は本宮が楽しそうにしてんのが気に食わねえの。俺らの中に入ってきたと思ったらめちゃくちゃにしようとして、迷惑なんだよ」


「どういうこと?」


「知らねえの? こいつが俺らの中に入ってきて、誘惑して、良い感じになるだけなってフルっていう悪趣味な女なんだよ」


 黒川に代わって別の男がそう言った。

 流石にフラれた本人からは言えなかったか。


 唇を噛みしめて俯く花音。

 黒川たちの視点からすると、花音は『グループの中に入ってきた外部の人間で、荒らすだけ荒らしていなくなった』ということなのだろう。


 しかしだ。


「そりゃ嫌だっただろうけど、花音のこと気にしなかったらいいし、別に見なきゃいいじゃん。見かけても見なかったフリとか、似てる別人だと思ったらいいんじゃない?」


「だからさ、俺が知らないところでも、本宮が楽しそうにしてるのが気に食わないんだって」


「いや、それならずっと花音のことを監視しておくの? 花音がどこで何をしてるかなんて、見なければわからなくない?」


 シュレディンガーの猫というやつだ。

 花音が幸か不幸かは、見てみないとわからない。

 黒川たちは自分たちの中では花音が不幸だと思っておけばいい話なのだ。

 それを知るには、言ったようにずっと監視しておかなければ把握できない。


 それに……、


「そっちにとっては花音が嫌いで楽しそうにしてるのが気に食わなくても、俺たちは花音のことが好きで一緒に楽しみたいんだよ」


「そっちの都合なんか知るか」


「それなら俺たちも、そっちの都合なんて知らない」


 たまたま見かけたとはいえ、結局のところ黒川たちが関わってこなければいい話なのだ。

 しかし、こういうやからにはそんなことを言っても伝わらない。


 花音のことを考えると、事を荒立てたくはない。

 ただ、追い返すにはどうすればいいのか、俺は考える。


 話が通じないのなら、別の方向から納得させるしかない。


「さっき誘惑してフッたって言ってたけど、君らの誰かが花音に告白したってこと?」


 俺の言葉に、黒川はあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。


「なんだよ。別にいいだろ?」


「別にいいよ? でも、花音って本当に誘惑したの?」


 誘惑……と言うからには相当なことをしているはずだ。

 しかし、花音からはそんなことをしていた話は聞いておらず、していたのであれば花音が悪い部分でもある。

 俺は花音のことを信じているが、事実確認の意味も込めて思い切ってそう尋ねた。


 返ってきた答えは、もちろん誘惑とは程遠いことだ。


「……遊びに誘ったりとか」


「中学生とかは恥ずかしい時期だけど、まあそれくらいしててもおかしくないよね」


「俺もこいつとよく遊んでたぞ」


 虎徹も擁護するように、若葉の肩を叩きながらそう言う。


「他には?」


「……話しかけてきたりとか」


「そりゃ友達だったら話すじゃん」


「あと、距離が近かったり、ボディタッチしてきたり」


「そうなの?」


「い、いや、……距離が近いのは友達ならこれくらいかなって考えてはいたけど……。ボディタッチはしたことないかな?」


「してきたじゃん!」


 黒川は反論する。

 しかしその内容を聞いてみると、不意に手が触れたものや、その場のノリで肩に軽く振れるくらいだった。

 確かに花音ほどの美少女からであれば、軽いボディタッチも意識してしまう。中学生という多感な時期であれば特にだ。


 距離が近いことだって、花音なりに友達と距離を縮めたいための努力だった。

 普通の友達くらいに、意識的にパーソナルスペースを狭めていたのだ。


「ピュアなんだねー」


 不意に口を開いたのは若葉だ。


「ど、どういうことだよ」


「いや、それで意識しちゃうって、思春期だなって思ってさ」


 中高生が思春期は共通のことだが、若葉の言いたいことはわかる。

 ちょっとしたことでも、花音のことを意識してしまったのだ。

 それはつまり……、


「勘違いしてたってことだよね」


 若葉の言葉は黒川たちに突き刺さったのだろう。

 攻撃的な声色ではないが、その言葉は痛かった。

 恥ずかしさで顔を真っ赤にしている。


「な、なんなんだよ!」


「かのんちゃんの友達だけど?」


 そういうことではない。

 若葉もわかっているが、いい意味で空気を壊してくれた。


 今まで怯えていた花音も、少しばかりマシになったようで顔に赤みが戻っている。


「いちいち首を突っ込んでくんなよ!」


「私たちが楽しんでいたところに首を突っ込んできたのはそっちでしょ?」


「うるせぇよ!」


 正論で返された黒川は激高したが、若葉の後ろで虎徹はにらみを利かせると怖気づいている。


 そもそも俺たちは喧嘩がしたいわけでもない。

 黒川たちには腹は立つが、向こうから絡んでこなければ俺たちも関わるつもりはなかった。

 俺たちは平和に祭りを楽しんでいたのだから。


 ただ、起こってしまったものはどうにもならない。

 しかし、花音を悪者にされたままというのも黙っていられない。


「そっちはどうしたいの? 俺たちは関わってこなかったら別にいいんだけど」


「俺らは本宮が楽しそうにしてるのが腹立つんだって言ってんじゃん」


「じゃあ、どうしたいの?」


 俺は同じことでも何度も尋ねる。

 花音の不幸を望むのなら、その解決策を言えばいい。……もちろんそのまま受け入れるつもりはないが。


 今の黒川が言っていることは、ただの子供のわがままのような、どうしようもないことなのだ。

 こうしたい、ああしたい、でも解決策を出さないというのなら、俺たちにはどうしようもない。


 黒川たちは黙っている。

 このままの空気で、ただ時間が過ぎていくのはもったいない。

 俺たちは祭りを楽しみたいだけなのだから。


「……花音はどう思ってる?」


「え、私?」


「言われっぱなしだけど、何か言いたいこととかある?」


 誤解を解く……というのは、話の通じない黒川たちには無理だろう。

 それでもこのままこの場から去ろうとしても、黒川たちは許してくれなさそうだ。


 話が進まないため、今の花音の気持ちを聞いておきたかった。

 そして、三年前のある日。伝えられなかった言葉を伝える機会として、花音に話を振った。


「私は……」


 花音は言葉を詰まらせる。

 言い淀むというよりも、考えているという様子だ。


 そして数秒の後、再び口を開いた。


「私、中学生の頃に黒川くんたちと仲良くなれて良かったって思ってる。最後は辛かったけど……仲良くしてた時は楽しかったのは本当」


「なっ……!」


 もう、花音はいつもの花音に戻っていた。

 黒川たちに臆することなく、真っすぐ前を向いていた。


「だから、ありがとう」


 こんなことがあっても、花音ははっきりとそう言った。


 花音はこういう人間なのだ。

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