第87話 青木颯太は甘やかされない

 よくわからない胸の痛みが響いている。

 それも時間が経てばすぐに治るため、さほど気にしていなかった。


 ただ、時間は残酷なもので、胸の痛みが治ったと思えば五月も下旬に差し掛かろうとしていた。


 この時期はそう……テストだ。

 一学期の中間テストが行われる。

 ……というよりも、もう終わった。


 そして俺は……、


「よっしゃぁ! 全教科赤点回避!」


 赤点を回避して喜んでいた。


 今日は全員が予定のない日だ。若葉の部活が休みだったため、俺たち三人もバイトを休んでいた。


 喜んでいる俺に、花音は尋ねる。


「おー、良かったね。ちなみに何点なの?」


「見て驚くなよ?」


 そんな前フリをし、俺は三人にテストを見せた。


「お、おぉ……うん?」


 花音は微妙そうな顔をしている。

 しかし、虎徹と若葉は驚きの表情だ。


「結構ギリギリじゃ……?」


「言うな本宮。颯太にとっては十分すぎる点数だ」


「うん。これはすごいよ」


「おい、なんか嫌味に聞こえるんだが?」


 全教科赤点回避。

 それも、以前回避した時とは違い、全教科五点以上は赤点のボーダーラインよりも上だった。


「颯太は得意科目の理系科目以外はだいたい一点二点の世界なんだ」


「そ、そうなんだ」


 花音の言いたいことはわかる。

 仮にも進学……大学受験を考えている俺がこんな点数でいいのかと言いたいのだろう。


 しかし、今回は大の苦手な英語でも六点、次に苦手な社会系の中でも世界史が八点、以前は苦手としていた国語系でも現代文と社会系の科目の政治・経済は得意の理数科目もを上回っていた。

 そんな俺が三年生の中間と、範囲が狭くとも内容が難しくなる時期に点数を上げたのだ。自分で言うのもなんだが、このことは大きな進歩だと言えるはずはずだ。


 ただ、文系科目の点数が上がったことで文系の方が向いていたかも……なんて考えてしまうが、それは文理選択の相談に乗ってくれた美咲先輩に失礼だろう。

 そもそも、今回がたまたま文系科目の点数が高かっただけで、いつもは理系が得意なのだ。


「まあ、颯太も少しずつ成長してるってことだね」


「まあな!」


「……ちょっと調子乗ってると、すぐダメになるから気を付けなよ?」


「……はい」


 厳しい言葉だが、若葉の言う通りだった。

 だいたいこういうことは、調子に乗って余裕だと手を抜けば痛い目を見るのだ。


「それよりさ、颯太、最近何かあった?」


「え?」


 俺に何かあったのだろうか?

 本人である俺にはわからないが、若葉は何か察するところでもあったのだろう。そう尋ねてきた。


「いや、なんかやけに元気って言うか、でもなんか落ち込んでるのか考え込んでいる時があるって言うか、今まで見たことない颯太だったから」


「うーん……?」


 二年とはいえ、濃い付き合いをしている若葉が言うのだから間違いないのだろう。

 しかし、そう聞かれても俺には自覚がない。

 確かに言われてみるとその通りかもしれないが、占いでもよくある何とか効果というものにも感じる。


「特に何かあったわけじゃないけどなぁ……」


「そう? それならいいけど」


 若葉は「気のせいかな?」と虎徹に聞き、「まあ、わからなくはない」と虎徹は答える。

 それほどまでに俺は周りから見ると様子が違ったのだろう。


「いつも颯太くんには悩みとか聞いてもらってるし、私でよければ聞くよ?」


「ありがとう。何かあったらまた相談するかも」


「どんとこい!」


 花音はそう言って拳で胸を叩く。

 その様子が可笑しかった。




 俺たちは教室で駄弁った後、いつものテスト後と同じように、ご飯を食べながらお疲れ様会を行う予定となっていた。

 場所はファミレス。以前は焼肉だったが、毎回となると出費が痛いのだ。

 ただ時間に余裕のある今日は、店に入る前に適当なところで時間を潰す予定となっている。


 そのためとりあえず、と学校から出ようと下駄箱に向かっていた時だ。


「あれー? お兄さんたちは今帰りですかー?」


「ああ、夏海ちゃん」


 夏海ちゃんはのほほんとしながら、俺たちに近づいてくる。

 若葉や花音も「やっほー」「そうだよー」と返事をしている。意外にも馴染んでいるようだ。


「テストお疲れ様でーす。みんな揃ってこれからどこか行くんですか?」


「ああ、ちょっとお疲れ様会的なことをね」


「いいですねー。なぎは放課後はあんまりかまってくれないんですよねー。部活で忙しいので、わかってますけどー」


「あはは……」


 兄として申し訳ないと思いつつも、夏海ちゃんは理解してくれているようなのでそこは安心している。

 ただ、やはり少しだけ寂しそうな表情を浮かべてはいた。


 変に俺に対して積極的で、それでいて緩くて適当なところがある夏海ちゃんだが、話は理解してくれている点は俺としてもありがたい。

 ――まあ、理解した上であえて迫ってくることはあるが。


「そ、そう言えば、テストの方はどうだった?」


 話題を変えるように、俺は夏海ちゃんに話題を振った。


「まあ、そこそこですねー。ケアレスミスをして満点は取れなかったので、次からはもうちょっと頑張りたいです」


「ま、満点!?」


「はいー。九十点を切った教科はなかったので、まだよかったですけどー」


 それを聞いた俺は、赤点回避しただので喜んでいたことが惨めに思えてしまう。

 見た目のことや緩い話し方をする夏海ちゃんは、てっきり俺の同類だという先入観があった。

 しかし、どうやらそんなことはなかったようだ。


 そして今になって俺は凪沙の言葉を思い出した。

 同じ中学に地毛の金髪を教師から指摘されていたが、優秀な成績を取って黙らせていた子がいた……ということを。

 しかしそれと同時に、その子はハーフだったかクォーターだとも凪沙は言っていた。


 ――いや、流石にないか。


 俺はもしかしたらその子が夏海ちゃんなのかもしれないと思いつつ、深くは聞かなかった。


 それよりも、同類だと思っていた子が実は成績優秀だったということの方のショックが大きい。


「へ、へえ、夏海ちゃんって勉強できるんだ?」


「はいー。姉の影響もあったので、私も興味があって。……お兄さんはテスト、どうでしたか?」


 聞き返された俺は顔を引きつらせて言い淀む。

 なんとなく、後輩にダサいところを見られたくないというプライドがあったのだ。

 ……まあ、双葉にはダサいところばかり見られているが。


 そうやって言い淀む俺に、虎徹は表情は変わらないが愉快そうにしながら、俺の肩を掴んだ。


「颯太はな、最近は成績上がってるんだ」


「虎徹……」


 言い辛い俺の代わりに言ってくれる、まるで救世主のような男だ。


 そう思っていた。


「ただ、元々は補習の常連で、テストのたびに赤点祭りを開催していたような奴だ。こんなんだけど、先輩として見てやってくれ」


「おい、こら」


 ――上げてから落としやがった。


 普通に笑い話として言われた方が百倍マシだ。

 上げられただけ高度があり、落とされた時のダメージが大きかった。


「んー? 別に嫌ではないので、そのままでも良いですよー? お兄さんなら、引っ張ってあげたいと思います」


 夏海ちゃんはそんなことを言う。


 馬鹿な俺を受けていてくれることは素直に嬉しい。

 ただ、甘やかされればダメ人間になるのは目に見えていた。


「夏海ちゃん……、ダメ人間が好きなの?」


「そういうわけではないですけどー、お兄さんは特別ですっ」


 特別感を出されると、正直ぐらついてしまう。


 アプローチをされること自体は嫌ではない。過度にされることは少し疲れてしまうが、こんな女の子にアプローチをされれば、男なら誰しも気持ちが揺らぐだろう。


 しかし、そんな俺の気持ちに喝を入れたのは花音だった。


「颯太くん? 颯太くんはダメ人間になっていいの?」


「……ハッ!」


 危うく懐柔されるところだった。


 頬を膨らませる花音に脇腹をつつかれ、俺はここで正気を取り戻す。


 夏海ちゃんは「お兄さんならいいのにー」と言っているが、何故ここまで好感度が高いのかわからない。


「ごめんね夏海ちゃん。そろそろ私たちいかないとだから……」


「あー、引き留めてすいませんでしたー。では楽しんできてくださいー。私はこれで―」


 そう言って夏海ちゃんは自分の下駄箱の方に消えていった。

 基本的にはいい子なのだ。

 何故ここまで俺に対する好感度が高く、俺のことになると暴走するのかはまったくもってわからなかった。


「颯太くん……、だらしないよ」


「えぇっ!?」


 何故か花音は怒り気味だ。


 ――もしかして嫉妬してる?


 なんて、そんなことあるはずもないのに考えてしまう。

 しかし、そう考えると胸が熱くなった。前までの痛みとは違う、どちらかと言えば嬉しいような気持ちだ。


 結局俺はこの気持ちの理由がわからない。

 ただ、なんとなくこのままでいたかった。

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