第2話 かのんちゃんは本性を見せたくない!

「やっと終わったー!」


 放課後。職員室を出て廊下を歩く俺は一人だった。

 今日提出の課題を忘れていたため、居残ってなんとか完成させていた。


 いつもは下校を共にする虎徹も、真っ白な課題に苦笑いすると「頑張れよ」という言葉を残して帰っていった。故に今日は一人である。


「ジュースでも買ってくかぁ」


 一人で頑張って課題を終わらせたご褒美として自販機に寄って飲み物を買う。

 そもそも放課後に残って課題をしていた原因は課題をすることを忘れていたことだが、それは気にしないでおこう。


 中庭の自販機に着くとカバンの中を探る。そこで俺はあることに気がついた。


「……財布忘れた」


 普段は使ったらカバンの中にしまっているが、今日は急いで昼を食べたためとりあえず机の中に入れてしまったことを思い出す。


 大した金額は入っていないとはいえ、財布は財布だ。

 このまま帰っても明日の朝には手元に戻ってくるが、学生にとって数百円でも命取りとなるため、万が一のことを考えて億劫な階段を登って教室に戻った。




 教室の前まで来ると、静けさの中に遠くから運動部の声が聞こえる。


 学校行事がある日なんかは遅くまで生徒が残っていたりもするが、今日はなんてことない普通の一日だ。他の教室にも全く人がいないわけではないが、話し声の一つさえ聞こえてこなかった。


 だからこそ自分の教室から聞こえてくる声に俺は耳を疑い、開けようとした扉を開けずにいた。


「……もう、めんどくさー」


 聞き慣れた……というよりも、今日何度か聞いた声。顔も見えない全校生徒の誰かとなれば区別はつかないかもしれないが、自分のクラスメイトとなれば間違えようがなかった。


「なんで今日ばっかりしつこい人多いのかな。早く帰りたいのにイライラするー!」


 幻聴ではない。文句を垂れるその声を聞き間違うはずもない。


 俺は透明になっている廊下側の窓ガラスから教室の様子を伺う。片方は曇りガラスだが、もう片方は透明となっているため教室の様子……特に窓側の一番後ろはハッキリと見えた。


「……まじか」


 誰にも聞こえないような小さな声でそう呟く。やはり聞き間違いでもなんでもない、声の主は紛れもなく本宮花音のものだった。


 いつもは清楚で大人しい花音でも『めんどくさい』とか『イライラする』なんて言葉を使うのか。

 普段はそんな言葉を言うような人ではないが、彼女も人間である以上ストレスは溜まるものだろう。


「ここは見なかったことにするのが吉だ」


 財布の中身は数百円。万が一盗まれでもしたら痛いが、人の机を漁る人なんてそうそういるはずもない。


 花音の裏の顔と財布の中身を天秤にかけた俺は、迷わず花音の今の様子を見なかったことにして聞かなかったことにしようと考えた。

 俺はきびすを返して教室から立ち去ろうとする。しかし、焦りもあったのか不意にカバンを扉にぶつけてしまった。


「……あ」


 その音に反応した花音とバッチリ目が合ってしまう。

 このまま立ち去る方が不自然だ。俺は意を決して教室の扉を開ける。


「ええと……、居残りか何か?」


 教室には他に誰もいない。たった一人花音が椅子に座って何かを書いているだけだ。


 彼女いない歴イコール年齢の俺にとって、女子――しかも学校一と言っても過言ではない美少女に気の利いた言葉をかけることなんてできるはずもなかった。

 ただ、花音の愚痴を聞いていないと通せばまだ道はある。……なんの道かはわからないが。


 とにかくここはクールに、颯爽と財布を回収して立ち去るのみだ。

 ……しかし、それは叶わなかった。


「聞いてた?」


 アウトだ。


 花音はしょうもない俺の質問に答える気もないようで、真っ先に口から出たのはその言葉だった。


 まだ大丈夫。シラを切ればいい。


「な、なんのことかな?」


「動揺しすぎ。嘘下手すぎ」


 いんを踏みながらディスられた俺の心は傷つくしかない。


「覗いてた時点で聞いているようなものだと思うんだけど」


 ぐうの音も出ない。


 一度教室から離れようとしてから音を立ててしまい目が合った。着いたばかりですぐに教室に入ったなら、そんなことはしないだろう。


 花音の言う通りこれはシラを切り通すのは難しかった。


「……聞いてたよ」


 正直に話すしかない。聞いてしまったものは仕方ないと開き直ろう。


 学校一の人気者の裏の顔を知ってしまったことには驚きを隠せないが、普段の様子に比べると少し口が悪かったくらいだ。


 それは『まあ、そんなこともあるか』くらいの。


 しかし、次に墓穴を掘ったのは花音の方だった。


「キャラくらい誰だって作るし、性格悪いけど良い風に演じてるの。学校という社会でカースト上位で生きてくためにはそれくらいしなくちゃいけないわけ」


 何故か怒り口調でそう言う彼女に対し、俺は遠慮がちに口を開いた。


「普通に『かのんちゃんもストレス溜まってるんだなぁ……』くらいにしか思ってなかったんだけど……」


 俺がそう言うと彼女の表情は一転し、怒っている表情から冷たいものへと変わった。

 そして急に立ち上がると持っていたペンを置き、無言で俺に詰め寄った。


 冷たい表情……それはどちらかと言うと青ざめているという意味だ。


 普段は色白でほんのり赤みを帯びた頬だが、その顔は真っ青だ。栗色の髪の毛と相まってホワホワした印象の彼女だが、この時ばかりは『終わった』というような表情だった。


「……にして」


「……え?」


「内緒にして。絶対誰にも言わないで」


 必死に縋るようにそう言う彼女は、本当に本宮花音かと疑うほどだ。それほどまでに今の彼女は、つい数分前までの彼女の印象と全く違うものとなっていた。


「な、なんでもするから。お、おっぱ……胸とか触ったりキスしたりとかえっちなことはダメだけど、なんでもするから!」


 急に変なことを口走る花音に対し、『かのんちゃんみたいな美少女に何かしてもらえる』という喜びよりも困惑が勝って言葉が出ない。


 何と言おうか……。

 そう考えていると、花音は先ほどとは対極のことを言い始めた。


「誰かに言いふらしたりしたら襲われたって言うから」


「……は?」


「誰かに私の性格が悪いって噂流したら、青木くんの告白断ったら襲われそうになったって噂を流してやる! 断られたひがみだってみんな思うしそれがいい!」


 俺の言葉を聞くまでもなく花音は自己完結をする。

 それには流石に俺も反論した。


「事実捻じ曲げ過ぎ!」


「捻じ曲げてこその事実よ!」


 名言風にドヤ顔でそんなことを言う彼女が少し可愛いと思ってしまう自分がいる。


 それでも言っていることがめちゃくちゃなことには変わりない。

 そう思っていると、今度はまた違った表情で縋るように言ってきた。


「お願いだから言わないでぇ……」


 涙目になりながらも懇願する花音に、流石にノーとは言えなかった。


「元々言うつもりないんだけどなぁ……」


 そもそもの話、言ったところで誰も信じてはくれないだろう。捻くれている虎徹であれば信じるかもしれないが、他のクラスメイトに言ったところで人気者の花音か普通の俺かで言えば信頼度は言うまでもない。


「藤川くんにも……?」


「言わない言わない」


「……良かったぁ」


 安堵した花音はいつものような雰囲気に戻った。


 キャラを作っていると言っていたが過剰に良い人を演じているだけで、根っこの部分はそう変わらないのかもしれない。


「そんなに嫌なもんなの?」


 普通にしていても、たとえ性格が悪かったとしても、その容姿を考えるとそう人気も変わらないだろう。カースト上位という点では少なくとも今の位置とほとんど変わらないように思える。


 そうまでして固執するようなものなのかという疑問が浮かぶ。花音にとっては大切なことのようだが。


「私は正直、自分のことが可愛いと思ってる」


 ハッキリとそう言う彼女は誇らしげに胸を張っていた。極端に大きいわけでもないとはいえ、制服の上からでもわかる膨らみがさらに強調されている。


「可愛いからこそ、自分の魅力を最大限に活かすには性格が良い方がいいと思うの。ギャルとかだったら多少口が悪い方が魅力的だと思うけど」


「そういうもんか……?」


「そういうもんなの。少なくとも私にとっては」


 基準はわからないが、花音にとってそうだと言うのなら否定することもできない。


 確かに見た目的にもホワホワとしているため、ツンデレやクール系というよりも少し天然の入っていておっとりしている性格の方が見た目に合っているのかもしれない。


「まあ……黙っててくれるなら、何かお礼くらいしようかな」


「そんな、お礼されるようなことじゃないし」


 ただ黙っているだけなので、感謝されるほどのことでもない。

 それに今後ずっと黙っているという保証もないのだ。


「何もしなかったら青木くんが黙っている理由ないし。むしろお礼することで噂を流さない理由になるでしょ?」


「ああ、そういうこと……」


 そもそも噂を流す理由自体ないのだが、何を言ったところで反論されることは目に見えていたため俺は黙っていた。


「うーん……、でもお礼どうしようかな」


 真剣に考える花音は何か思いついたようにハッとすると、胸に手を当てて言った。


「……触る?」


 気恥ずかしそうに言う彼女を見て、俺は顔が一気に熱くなった。


 その仕草から、触るというのは間違いなくその男子の憧れの部分……そう、胸だろう。


 突然のことに俺は動揺していると、我慢しきれなくなったように花音は笑い始めた。


「ぷっ、あはははは」


 抑えが効かないように笑う彼女を見て、からかわれたということをようやく理解した。


「ごめんごめん。青木くんの反応面白くって。それにえっちなことはダメって言ってたし、本気にすると思ってなかったから」


「……別に本気にしてたわけじゃない」


「顔真っ赤にしてたのに?」


「……耐性がないだけだ」


 女の子と付き合うどころか良い感じになったことのない俺にとって、胸どころか女の子の体の一部分を触っても良いなんて言われれば赤面してしまうのも致し方ないのだ。


「えっちなことはダメだけど、何かお礼したいって言うのは本当だよ」


 今度はからかう様子はない。普通に優しく微笑んでいるように見えた。


 そして花音は再び考え込むと、何かを思いついたようで改めて口を開いた。


「……青木くんこの後暇?」


「暇だけど……」


 特に予定はない。

 家に帰ってゲームをするか漫画を読むか、夕食まで勉強以外の何か暇つぶしでもしようと考えていたくらいで、急いでいるということもなかった。


 花音は俺の返事を聞くとニッコリと笑うような……ニヤリと笑うようなどちらとも取れる笑みを浮かべて口を開いた。


「今からデートしよっか」

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