第26話 最強の名医

 私は、昨日の溺水の患者さんの病室へと向かった。

病院の中はあまり走るものではないが、それでも急足で病室へ行く。


 病室の中に入ると、母親がその患者さんに付き添っていた。


「あ、サクラ先生。息子が、目を覚ましたんです」


 お母さんは私の手を取って涙目になりながら言った。


「意識を取り戻されて本当によかったです」

「これも、サクラ先生が必死に命を繋いでくれたおかげです。本当にありがとうございます」


 お母さんは私に何度も頭を下げた。


「いえ、私は医師としての務めを果たしただけですので」


 そう言うと、私はベッドに横になっている患者さんを覗き込んだ。

今は、疲れて眠っているようだ。


 軽く触診したが、本当に安定したようであった。

次に目を覚ました時には会話も可能になっていることだろう。


 あの絶望的な状況から回復したのは奇跡だ。

低体温療法がうまく行ったのはもちろんだが、看護師さんたちのケアがしっかりしていたという要因も大きいだろう。


「これは……?」


 患者さんの右手のところには一本の万年筆が置かれていた。

まだ、10代の子供が持つには高価なものだし、随分と使い込まれているような感じがした。


「この子の父親の形見なんです。助けてくれた方が持ってきてくれました。息子はこの万年筆を落としてしまい、拾うために川に入ったんだと思います」


 父親の形見を拾い上げるために、川に入ったということならこの春先に溺水をした理由が見えてくる。

形見というのは絶対になくしたくも壊したくもないものであろう。


「お父様、亡くなられていたんですね」


 そういえば、父親の方は一度も姿を見ていなかった。

お見舞いに来れない事情があるのかと思っていたが、亡くなっているのでは来れないはずだ。


「はい。2年ほど前に。旦那は冒険者だったのですが、仕事中に事故で……」

「そうですか……大変でしたね」


 冒険者や騎士というのはいつも危険と隣合わせの職業である。


 覚悟していても、人はいつか亡くなる。

その突然の死にはなかなか受け止められないことが多い。


 子供の成長を近くで見届けられなかったことは、さぞかし無念だったことだろう。


「でも、私は前に進むと決めたんです。この子と一緒に。だから、この子を助けてくれて本当にありがとうございました」


 そういうお母さんの目には確かな光が入っていた。


 もし、私がこの患者さんを助けられなかったら。

助けることを諦めていたら。

このお母さんは1人で今後生きていくことになってしまっていただろう。


 そうならなくて、私もどこか安心していた。


「このまま、回復していくと思いますよ。お大事になさってください」

「はい。ありがとうございました」


 私が病室を出ていくまで、お母さんは頭を下げていた。

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