第4話 近江長浜

 安土城に行った時の会話をきっかけに、それから僕は中納言さんと普通にSNS上でやり取りをするようになった。初めてメッセージを送った時に布団の上でゴロゴロと転がっていたのが嘘のように、僕は彼がアップする安土城の写真に、もう何のためらいもなくコメントを送る事ができるようになった。


 それは、安土城に行った時のメッセージのやり取りで、自分が嫌われていないと安心して緊張が取れたのもあるが、何しろ一回見に行った城だから「あぁ、中納言さんはあの辺りから撮影したんだな」というのが分かるので、感想が書きやすかったのもある。それに一回見に行ったからこそ、彼の撮る写真の視点がいかに面白く、凝った工夫が施されているのかもよく分かった。


「今日は上賀茂神社」

「今日は石山寺に来てます」


 毎週毎週、よくもまぁ色んな所に行くもんだなぁこの人、と僕は半分呆れながら中納言さんのSNSでの発言を欠かさずチェックしている。彼は東国出身で僕より学年が一つ上で、せっかく上洛したからには畿内の史跡をくまなく見て回ってやると意気込んでいる。

 僕が中納言さんを尊敬するのは、そうやって史跡巡りをする事を心の底から満喫していて、一人で徹底的に楽しんでいるところだ。彼は、一人でいる事で寂しいと感じる事は全くないらしい。彼がSNSにアップする史跡めぐりの様子は、軽妙な文章が読んでるこちらまで幸せな気分にさせてくれる。


 本当に、史跡が好きで好きでたまらないんだなぁ。

 そんな中納言さんの活発な毎日を横からのぞき見ているうちに、だんだんと僕も彼の雰囲気に染められていった。僕は、どこか遊びに行くときは友達と一緒にいくのが当たり前の事だと思っていたけど、彼はそんな事は一切気にしない。ただ自分が行きたいから行く。

 なあんだ、そんなやり方でもいいんじゃん。いつも友達と楽しそうにしてなきゃダメなのかと僕は思ってたけど、全然そんな事はないんだな。


 そして僕も、先日の安土城に引き続き、一人で史跡に出かける事にした。

 九州・博多の郊外出身の僕にとって、上洛して近江に住んだからには一度はどうしても見てみたかった町、それが近江長浜だ。


 羽柴筑前守秀吉。

 織田信長の天下統一事業における最大の貢献者にして、天下統一の後は全国の検地・刀狩を行い、織田政権の基盤となる諸制度を整えた日本史上屈指の名宰相。


 一介の農民から身を立て、清州以来の信長の忠実な家来として頭角を現し、信長から近江国の長浜に城を与えられてとうとう城持ちの大名にのし上がった。城攻めの名手として名を馳せた彼は、その後も中国毛利攻め、九州島津攻め、小田原北条攻めと馬車馬のように転戦し目ざましい功績を挙げる。そして、天下統一後は信長から九州北部の筑前・筑後・豊前・豊後四か国を与えられて、筑前藩百二十万石の初代藩主となった。

 彼は筑前藩主になると、ただちに博多の町割の整備と南蛮貿易の拠点となる巨大な港の建設を進めた。そして町人による自治を大幅に認め、自治都市として交易を奨励した。

 彼の抜け目のないところは、この交易で得た利益の八割を信長の中央政府に上納する仕組みを自分から信長に提案したことだ。これによって信長から、南蛮貿易で密かに富を蓄えて謀反を企てているという無用の疑いを避けることができた。


 晩年の信長は猜疑心が強くなり、多くの大名が謀反の疑いで改易やお家取り潰しとされ、名古屋時代からの譜代の功臣で、筆頭家老であった柴田勝家の子供ですらその例外ではなかった。

 そんな中で、織田家中でも最も大きな領土を持ち、最も疑念を抱かれやすい立場にいながら、最後まで信長の信頼を損なわず、宰相としての大権を保ち続けた羽柴秀吉の政治力とバランス感覚は見事なものだった。秀吉は今でも「上司にしたい戦国大名」「経営者が尊敬する戦国武将」といったランキングでは不動のナンバーワンを占めている。


 秀吉は、それまでの居城だった名島城が博多湾に面した小高い丘の上にあって城下町を作りにくかった事から、当時の警固村福崎に新たな城を築く事にした。

 新しい城の名前は「長浜城」とした。この名前は、貧しい農民から裸一貫で出世していった秀吉が、初めて信長から領地をもらって城持ちの大名になった時に建てた思い出の城、近江国の長浜城と同じだった。

 この命名は、信長様から受けた昔の恩を今でも忘れていませんよ、といういかにも秀吉らしいゴマすりではあるけど、初めて自分の城を建てた時の嬉しさを忘れられないという正直な気持ちもあったのではないかなと僕は思う。


 そして秀吉は、市内の中心部を流れる那珂川を境に、東側の地区は従来通りの商人たちの自治都市「博多」とし、西側の地区を「長浜」と改名して武士たちの住む政治の都市とした。九州に二つある政令指定都市のうちのひとつ、長浜市はこうして出来上がった。

 今となってはもう、この羽柴秀吉が造り育てた九州の長浜のほうが全国的に有名になってしまって、オリジナルである滋賀府の長浜市は「近江長浜市」と改名しているが、秀吉が現代に蘇ってこの主客が逆転してしまった状況を見たらどう思うだろうか。


 僕は長浜市の博多郊外の町で生まれ育った。近江大に入学するまでは、長浜以外の町で暮らしたことが一度もない。

 長浜の小学校では、社会科の授業で郷土の歴史を勉強する時に郷土の英雄である羽柴筑前の話は嫌というほど聞かされるし、結婚式といえば泥酔したおじいさんが「酒は呑め呑め 呑むならば~」と「羽柴節」を歌うのがひと昔前までの長浜の恒例行事だ。

 長浜はとにかく町中が秀吉一色で、羽柴家の家紋である千成ひょうたんは長浜市の市章にもなって、町の至るところでひょうたんをモチーフにしたデザインを見かける。

 そんな町で生まれ育った僕だから、羽柴筑前守秀吉については特別な思い入れがあるし、長浜市の由来を読むと必ず名前が出てくるこの、オリジナルである滋賀府の近江長浜市って、一体どんな所なんだろうというのは幼い頃からずっと気になっていたのだ。


 僕が下宿している今津は、琵琶湖の西岸のやや北寄りの部分にある。琵琶湖を時計に例えると九時から十時あたりの位置だ。そして近江長浜は琵琶湖をはさんでちょうどその反対岸、二時から三時あたりの場所にある。

湖西線で北上して琵琶湖の北側をぐるっと回れば、近江長浜駅までは電車で一時間程度。この区間だと高速船よりは電車を使った方が速いが、それほどの差ではないので、僕は竹生島を遠くに眺めながらのんびり行こうと思って琵琶湖高速船を使うことにした。


 長浜港で船を降りた僕はまず、港のすぐ隣にある豊公園に向かった。すぐに長浜城の天守が見えてくる。でも、現在の長浜城天守は犬山城の姿などを参考に鉄筋コンクリートで作られた模擬天守で、秀吉が初めて建てた当時の長浜城の天守とは全く違う。

 当時の長浜城は、港を石垣で囲ってそのまま城にしたような構造の水城だったといわれている。城の西側は琵琶湖が天然の防壁となり、湖岸に面した東側も湖の水を引き入れて堀にしていたので、まるで湖の上に浮かんだ島のようだったらしい。それも今では長い年月を経てその港も堀も土砂で埋まってしまっているので、想像力で当時の様子を脳内再現するしかない。


「秀吉は九州の新しい街に名前を付ける時、近江の長浜と景色が似ているとか、そういう理由で名付けたわけじゃないみたい。全然似てないな」

 長浜城の模擬天守の上から撮った琵琶湖と市街地の写真を添付してそうSNSに書き込むと、すぐに中納言さんからコメントが付いた。


「でも、九州の長浜も南蛮貿易の一大拠点だったし、近江の長浜も琵琶湖海運の重要拠点だったから、海運上で重要な港町という意味では共通点はあるね」


 この長浜城ができる前にこの地域を支配していた浅井長政は、長浜城から北に十キロほど行った山の中にある小谷城を本拠地としていた。

 しかし、小谷城が織田信長に攻め滅ぼされた後、この土地を与えられた秀吉は、山中にあって交通の便が悪い小谷城を廃城として、新たにこの港と一体化した長浜城を築城した。

 それは、この城を拠点に琵琶湖の水運を押さえ、交易を活発化させて商業を振興しようという秀吉の領地経営方針の表れであり、秀吉が琵琶湖の水運の経済的価値をきちんと理解していた事がわかる。


「近江長浜といえば、大通寺はこれからですか?黒塀スクエア見て回るだけでも十分楽しめますが、国友鉄砲資料館も、クロさんみたいな歴史好きだったらまあ楽しめるかもです。バスで三十分以上かかるからご注意。小谷城は? 距離的にも時間的にも厳しいかな?」


 中納言さん、グイグイ来るなぁ。

 僕は彼が送ってきたメッセージを見て笑ってしまった。安土城の時もそうだったが、彼は自分が行ったことのある史跡を人に紹介する時はやたらと親切で、妙に熱がこもっている。気持ちは分からなくもない。


「小谷城はさすがに一日じゃ無理www。そっちは免許取れたら車で行くようにしようと思います」

「免許いいなー。安土は駐車場代が結構するし、お金ないから諦めてたけど、やっぱ取ろうかなー」

「免許持ってないんですか?史跡巡りの時、どうやって移動してるんですか?」


 彼がSNSで投稿する史跡巡りの様子を見ていると、毎回かなり移動距離が長い。僕はてっきり車で移動しているものだと思っていた。

「これを使ってます。電車にも簡単に載せられるし、小回り利いて便利ですよ」

 送られてきた写真には、部屋の片隅に四角く折り畳まれて置かれていた小径タイヤの折り畳み自転車が写っていた。

「でも、山奥の史跡に行こうとすると、バスが一日数本しかなかったり、やっぱり車あると便利だなと思いますね。電車代もバカにならないし」

「ガソリン代に高速代を足したら、車も電車と大して交通費は変わらないみたいですよ。僕もまだ教習中だからよく分からないけど」

「でも車の場合、二人乗ったら半額、三人乗ったら三分の一じゃないですか?」


 中納言さんのその一言に、僕は「じゃぁ僕が免許取ったら、一緒に車でどこか行きます?」と軽い感じで返そうとして、途中まで打って手を止めた。


 馴れ馴れしいな。やめよう。

 つい先日やっと会話できるようになっただけなのに、中納言さんも厚かましいと思うだろうし、ネット上で仲良く会話するのと実際に会うのとは天と地ほどの差がある。

 実際会ってみたら、なんてくだらない奴だったんだろうと中納言さんにガッカリされるのも怖かったし、逆に中納言さんと会って僕が「え…こんな人だったの……? 印象と違う……」と失望してしまうような事になるのも嫌だった。


 僕は書きかけのメッセージを削除した。

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