二章 旅立ち

第17話 お茶会

 ゴキブリが異世界に来て、一ヶ月が経過した。


 女神の加護がなく無能確定したゴキブリがどうやって生きているのかというと、冒険者ギルドのお手伝いとして雇ってもらえたからである。商売、料理、掃除、どれも女神の加護がないと、生業として上手くいく見込みがない。ただ他人の加護を『借りて』仕事をすることはできる。


 料理はできないけど、料理の手伝いはできる。ギルドの仕事を一人ではできないけど、事務作業を手伝うくらいならできる。


 不景気になったら間違いなく真っ先に職を失い餓死する生き様である。


「疲れたー」

「ゆるふわ痴女変態革命さん、お疲れ様ですわ」

「アイラさん。意味もなくフルネームで呼ぶのやめてください」


 冬が近づき、日が沈む時間もだいぶ早まった。仕事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっている。

 気温も下がった。建物内はともかく、外はコートを着ないと出歩けないほど寒い。


「ゴキブリ、お茶を入れて。あったかいやつ」

「了解、ゴキブリをお茶に入れればいいんだな」

「良いですけど、あなたも飲むのですわよ?」


 ゴキブリは厨房にお邪魔して、カップに茶葉を入れたあと、ポットでお湯を注いだ。一ヶ月生活して分かったことは、この世界にはかなりの技術が異世界から流れ込んでおり、それを魔法改造したものが生活に定着しているということだ。

 原理が単純なものや実物が持ち込まれたものは、この世界の技術で再現できている。一方、車などの原理が難しいもの(厳密には原理自体は分かるが、その制御機構が単純ではないもの)は再現が難しく、異世界から持ち込まれたことも無いため、まだ作成に至っていないとのことである。


 ノートパソコンは過去に実物を持ち込まれたことがあり、なんとか再現に至ったとのこと。ただ通信機構はまだできておらず、当然インターネットなんてものは存在しない。


「ほい、お待たせ」


 五人分のお茶を持ってテーブルに戻ってくる。そこにはゴキブリ以外に、女子高生ゆるふわ痴女、アイラ、ケルヴィン、テトラがいる。


「ケルヴィンさんもお茶だなんて珍しいですね」

「たまには若者と話がしたくなるのですよ、ゆるふわ痴女さん」

「女子会に混ざってくるジジイはさっさ帰ってしまえ」

「新人クン……そのお茶を全部テトラの頭に……」

「了解」

「了解しないでください。はあ、冗談の分からない男ども」


 お茶を並べ、ついでに茶菓子になりそうなクッキー箱をテーブルの中央に置く。


「さて、お疲れ様です、皆様。ところで……」

「ギルド長。説教なら壁に向かってお願いしますね」

「分かりましたテトラ。予定には無かったですが、明日あなた一人にだけたっぷりとお説教いたしましょうか」

「…………」


 テトラが軽口を後悔して黙ったところで、ケルヴィンは顔の向きを変える。その視線の先がゴキブリだったため、少しどきりとする。

 なにかやらかしたっけ?


「実はちょっと話しておきたいことがあります。ああ、雑談として聞いていただければ結構」

「なんの話ですか?」


 女子高生ゆるふわ痴女の言葉に、ケルヴィンは頷く。いつも通り、彼の目は笑っていない。


「ミーナさんのことです。市の会議で処遇が議題になっているそうですよ。預言者という特殊な技能があったからこそ、あのような──まあ、悪趣味な館ではありますが、住居を与えられて、市の職員として雇われていたのですからね。いや、しかしまさか、なんて、誰が想像できますでしょうかね」


 アイラがため息をつく。くだんの料理を作った一人としては、気の重い話題だろう。そしてそれは、唐辛子マヨネーズを作らせてしまったゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女にとっても同様である。


「記憶喪失というより、幼児退行というか。そういうことってあるんだな」

「彼女は元々は、治癒魔法の力を生かした仕事をしたかったらしいのです。をしていたみたいですね。子供の頃は」

「とてもそうは見えないですわね……」

「預言者としての訓練で性格が歪んで、女神との対話でさらに性格が歪んで、なんかあんな感じに落ち着いたみたいですね。ただ精神的にはずっと抑圧を受けていたのでしょう。そして唐辛子によるストレスがその抑圧を破裂させてしまい、抑圧が始まる前──預言者としての道を歩む前まで時を戻してしまった」


 そんなことが起こるのか、と思う。でも実際には起こっているのだから信じるしかない。

 ミーナは野菜炒めを食べて気絶した後、子供みたいな口調になり、ほとんどの記憶を失っていた。残っていた記憶は、口調相応の──少女時代の記憶と、ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女、アイラ、リンなどの断片的な情報(顔や名前)だけだった。


「あたし嫌ですよ。あのトゲ付きの棍棒で血塗ちまみれにされるアイラさんがもう見られないなんて……」

「失われた日常のワンシーンとして真っ先にそれを思い出すのはどうかと思いますけど。でも、わたくしもあんな素直なミーナは耐えられませんわ。あのキラキラとした目で『アイラおねえちゃん』と呼ばれると、正直、妹として飼うかどうかを検討してしまいます」

「大好きになってんじゃねえ」


 ケルヴィンが咳払いする。そういえば彼の話は途中である。


「続きを話しても良いかな。今、市の議会では、預言者としてのミーナを解雇するかどうかを検討している状況のようです。普通に働けそうなら他の仕事を割り当てることもできるが、あの様子じゃ難しい。心苦しいが……ってところだね」

「どうしようもないのか?」

「僕としてもね、さすがに彼女を放っておくのは心苦しい。付き合いは長いんだ。だからこの冒険者ギルドで雇いたいのだが……さすがにこれ以上、アルバイトは雇えない」


 それは暗に、ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女が邪魔だと言っているように聞こえた。


「ああ、印象の悪い言い方をしてしまったね。すぐにどうしろという話じゃないんだ。君たちには目的があるのだろう? その準備を始めたらどうかな」

「目的?」


 テトラが聞くと、ケルヴィンは彼女の顔を見ずに答えた。


「彼らはね、命名の女神を倒して改名したいらしい」


 テトラはポンと手を叩いた。


「なるほど。確かに生きているのが嫌になるほどの恥名ですもんね。ゴキブリ死ねばいいのに便所虫とゆるふわ痴女変態革命」

「フルネームで呼ぶな」

「フルネームで呼ばないで」


 ケルヴィンがクッキーを手に取る。彼はそれを一口齧ると、珍しく笑いながら言った。


「テトラ、あまり茶化すな。で、僕は別に君たちを追い詰めるためにこんな話をしているわけじゃなくてね。まだ確かじゃないが、ちょっとした大物がらこの街に向かっているらしい。リンの知り合いだから、頼ることはできると思う」

「大物?」


 女子高生ゆるふわ痴女が尋ねると、ケルヴィンは頷いてから答えた。


「勇者だよ」

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