第16話 そして始まる物語

 まずはマヨネーズ問題についての顛末を語ろうと思う。


 ミーナは真っ赤な野菜炒めを、なんとすべて食べきった。大量の水を摂取しながら、大量の汗と涙と鼻水を垂らしながら、一欠片のベーコンも残すことなく食べきった。

 そして彼女は──


「いまさらおもったのだけど、とうがらしをあらいながせばよかったのではないの?」


 そう言い残し、意識を失ってしまった。


「あ、ミーナ!」


 その場でリンが命に別状がないことを確かめたが、しかしすぐに意識を取り戻すということもなく、ミーナはリンにより寝室に運ばれた。

 リンは朝になれば目を覚ますだろうと言いつつも、大事をとって一晩ミーナを看てくれることになった。

 その後、アイラは帰宅。ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女は寝巻きに着替えると、リンに挨拶してからそれぞれ自室で眠りについた。


 お風呂入りたいなんて、言える雰囲気ではなかった。つまりは、そのくらいのことを思う程度には心の余裕があり、重大な事態だと少しも考えてはいなかったのである。



*****



 翌朝。

 ダイニングには、四人の男女が集まっていた。

 ゴキブリ女子高生ゆるふわ痴女、リン、ミーナ。女子高生ゆるふわ痴女は必死にテーブルを食べようとしていたが、豆腐の材料にプラスチックが使われていたため、栄養の偏りについてモンシロチョウと議論する必要があると、パ行の発音にアクセントを入れつつ語っていた。


 夢の中から出てこない彼女のことは置いておいて。


 ゴキブリはというと、スーツ姿の長身女、リンと会話をしていた。今の話題は服装についてである。


「その制服とやらだけでは大変だろう。早いうちに着る物を揃えないといけないな」

「ああ。ただ金がないし、どこまで甘えていいのかも分からない」

「下着類はさっさと買い揃えなよ。何日目だ?」

「三日目……」

「そっちの──テーブルに上半身こすり付けて悶えている女の子もか?」

「たぶん」

「君には私の服を貸すよ。ちょっと大きいかもしれないけどね」

「悪かったな、チビで」

「卑屈にならないでくれ。君の身長はこの世界でも平均的なものだ。いや少し……小さいか」


 一応、日本人としては平均的な身長なのだけど。異世界でそんな言い訳は自己肯定にすらならない。


「俺はそれで良いとして、ゆるふわ痴女はどうする」

「ぶっ……ゆるふわ、痴女。ふふ、笑ってはいけないな。ああ、なんて名前を付けるんだ、女神め」

「それは同感だが、そろそろ慣れろ」

「ああいや、まあ。大丈夫。うん、大丈夫。しばらく笑わない。えっと、彼女の分も最低限の生活ができるように服を揃えよう。下着類も早めに買いに行こうか」

「ちなみに俺ら金ないぞ」

「私も金ないぞ……笑いごとじゃないな。まあ実はミーナからすでに相談を受けていたし、事情もあるから市からお金は借りられる。君たちは早く生計を立てる方法を見つけるのだな」


 リンが立ち上がる。彼女は女子高生ゆるふわ痴女の背後に立つと、羽交い締めにする。


「やめるんだ。男もいるんだ。下半身をテーブルにこすり付けるのはやめろ」

「小さなの」

「なにがだ。小さいのか、それすらも分からない言葉を使うんじゃない」

「えらが大変」

「大変なのは君の下半身の動きだよ。エラの心配はお魚さんに任せなさい」


 寝惚けた女子高生ゆるふわ痴女は、しばらくジタバタした後、突然、眠った。

 リンは彼女をテーブルの上に横たえると、ゴキブリの隣に座った。


「さてと、なんの話だったかな」

「仕事。それは探すとして、あと買い物にも早め行くとして。うん、ゆるふわ痴女もそのうちに目を覚ますとして。その話は良いんだ。問題は……」


 ゴキブリとリンはミーナを見た。彼女は視線に気付くと、不思議そうに首を傾げる。

 無垢な瞳。宝石のようにキラキラと輝くそれがこの暴力女の眼窩がんかに埋まっていたことが信じられない。

 正直、可愛いと思った。でもそれは、女性として可愛いという意味ではない。どちらかといえば、犬猫を可愛いと思うのに似ている。


「リンおねえちゃん。ゴキブリおにいちゃん。おはなしおわった?」


 ミーナは調そう言った。ゴキブリはまたリンと目を合わせる。


「これ、どうしようかな」

「俺に聞くな。というか、どうしてこんなことになったんだ」


 いくら考えても結論は出そうもない。まだなにも知らず、寝息を立てている女子高生ゆるふわ痴女が羨ましかった。

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