第7話 初めての朝

 異世界に来て、最初の夜が明けた。この世界には魔法の力(明かりを灯したりもできる)があるが、それでも夜間の活動は活発ではなく、生活サイクルは朝型に偏っているらしい。

 それを知ったのは、もちろんだ。前日、ゴキブリは疲れていたせいか、夜はすぐに眠ってしまった。まさか夜明けとともに起こされるなんて思いもせずに。


「起きなさい」

「ふあ……?」

「朝よ。支度なさい」

「ふああああああ……むにゃ。あと五千年」

「了解。化石になるまで殴ってあげます」


 ちょんと頬に触れたのが棍棒の先だということはすぐに察した。そこから伝わった殺気に反応し、ゴキブリの体は全力で


 そこにいたのは言うまでもなくミーナ──品の良い金髪の、白ローブを着た女である。年齢は二十代前半(くらいに見える)、背はあまり高くないが、目つきの悪さからか、威圧感が並ではない。


「おはようございます。本日もよろしくお願いいたします」

「あなた、ちゃんと挨拶できるんじゃないの」

「はい。なのでその棍棒は片付けていただけますか?」

「ええ」


 棍棒がローブの内側へと仕舞われる。


「よし、じゃあ出て行け。俺はもう一度寝る」

「あなたは一度頭を割られないと立場を理解できないの?」


 再び登場する棍棒。その滑らかな輪郭は、これまでどれほどの血を吸ってきたのだろうか。


「冗談だよ。ところで朝ごはん、ある?」

「あるけど」

「じゃあ起きる……」

「早くしてくださいね。私はも起こさないといけないのよ」


 彼女が出て行くと、ゴキブリは寝巻き(ミーナが用意してくれた木綿生地のパジャマ)を脱ぎ、外出着(学校の制服)に着替えた。


 ダイニングに向かう。そこで寝巻き姿の女子高生ゆるふわ痴女に出会う。


「おはよ……」

「眠そうだな。ところで着替えくらいしてから出てくればいいのに」

「眠い……」


 どすりと椅子に腰掛ける彼女。男を目の前にして無防備この上ない姿なのだが、寝惚けていてよく分かっていないらしい。


「ほら、皿を置くからそこをお空けなさい。穀潰しどものためにわざわざ用意した朝食ですよ」

「おお、焼いたパンに半熟の目玉焼きか。百点。結婚してやっても良い」

「没収」

「嘘です」


 この世界の流儀は分からないが、とりあえず手を合わせて「いただきます」と言ってみる。するとミーナは1ミリくらい柔らかい表情になって、「どうぞ」と返事してくれた。

 一方、女子高生ゆるふわ痴女は「はるぐわこいのにき」と言いながら、テーブルの匂いを嗅ぎ始めた。さらに「のぐあさなかま、ぎゃろす」と言いながらフォークを舐め始める。


「ゴキブリ」

「なんだよ」

「この子、なにを言ってるの?」

「分からないけど、良い夢見てるんだと思うし、放っておいてやってくれ」


 ちなみにこの数分後、突然彼女は立ち上がると部屋に帰ってしまった(ミーナは困惑しながら彼女追いかけて、連れ戻してきた)。彼女が朝食を食べられるまで覚醒するのに三十分はかかったと思う。


「ゆるふわ痴女さん。朝はちゃんとしなさい。その男と同室にしますよ」

「ミーナさん……気持ち悪くなること言わないでください。せっかくの朝ごはんが不味くなる……」


 すでに不味くなった──とまでは言わないまでも、すっかり冷めてしまったパンと目玉焼きをモソモソと摂取しながら、彼女は言うのだった。



*****



「うう、肌寒い」

「そう? ちょうど良いくらいだと思いますが」


 女子高生ゆるふわ痴女が露出した両膝を擦りながら言うが、薄着のローブ女は平然と応じた。

 ゴキブリも寒いと思ってはいた。元の世界──日本で言えば、十月の後半から十一月の初旬くらいの気候だろうか。昼間は暖かくても、朝晩は冷え込む。太陽の光は弱々しく、風の冷たさに負けてしまっている。


 そこでゴキブリは英断をする。


「ミーナ、帰ろう。暖かくなってから行けばいいんだ」

「ダメです。私には一分一秒でも早くあなたたちを冒険者にする義務がある」

「一方俺たちには一分一秒でも長くタダ飯を食らう権利がある」

「そろそろ本気で頭割られたいの? もしかして期待してる?」

「いや待て冗談だ。棍棒をそんなに鋭く素振りするんじゃない」


 寒い寒い言いながら、ゴキブリたちは冒険者ギルドに到着する。早朝だし、きっと人はあまりいないだろうと思っていたら、なんと大賑わいである。


「人多いな」

「これから冒険に出発する人たちよ。朝は早く出て、日没までに帰ってくるのが基本だからね。朝食もとれるし、他の冒険者と情報交換できたり、チームを組んだりもできるから、みんなここに集まるのよ」

「じゃあ忙しいんじゃないか? アイラだっけ」

「彼女に用事がある人はあまりいないと思うけど?」

「ふーん」


 受付まで歩く。各テーブルではまさに老若男女の冒険者たちが、飲み食いしながら大声小声で言葉を交わしている。


「ほら、彼女、暇みたいでしょう」

「確かに」

「え、のにどうして暇って分かるの?」

「察しが悪いな、パンチラ皇女」


 ミーナが棍棒を取り出す。


「ゴキブリ、ちゃんと名前を呼びなさい。呼ばないなら……」

「あ、そうだな、悪かった。言い直すよ。察しが悪いな、ゆるふわ痴女」

「ゆるふわでもパンチラでもどっちでもいいよ……。で、どこが察しが悪いの?」

「ここにいないってことは、トイレにいるに決まってるだろ。受付業務が忙しかったらトイレ掃除なんかしてないだろ」

「あ、そっか!」


 納得したところで、近くで話を聞いていたが言う。


「アイラが戻って来なくて困ってる。冒険者登録情報を修正したいのだが……」

「パーティメンバーを募集したいんだけどさ」

「ギルドと提携している薬屋さんが最近休みがちなんですけど、理由を確認して欲しいなって」

「依頼リスト、昨日から更新されてなくない?」

「…………」


 ミーナが片手を額に当てて、頭痛にでもなったかのような仕草をした。いや、実際に頭痛になったのかもしれないが。


「ちょっとアイラをぶっ殺して……じゃなかった。えっと……ぶっ殺してきます」


 不穏当な言葉を言い直そうとしても、ぶっ殺すしか思いつかなかったらしい。


 その後、受付嬢アイラがトイレより帰ってきて、今日も血塗れホラーに笑顔で言った。


「トイレ掃除を邪魔する冒険者なんか全員便所虫に食われて死んでしまえ」

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