99.『人は変わらない』


 結局さ、俺って弱いんだよ。

 謙遜とか、嫌味とかじゃなくて、本当に。


 そりゃ、力の強さだけなら、そんなことを言ったら顰蹙を買うだろうけどさ。


 でも、俺は弱い。

 弱いんだよ。


 決めたのにな。

 皆の期待を背負って立つなんて、カッコつけて宣言したのにさ。


 自分の身に理不尽が振りかかったら簡単に折れちゃうくらいには、弱くて曖昧で甘えた男なんだよ、俺は。


 出来ることはある。

 やらなきゃいけないことはある。


 今、俺が見なくちゃいけない現実と、掴まなきゃいけない未来がある。


 それはずっと、途方もないくらい遠くにあったけど、今は目の前にある。

 今手を伸ばせば、届くかもしれない。

 

 ――今この場で魔王を倒せば、平和な未来がやってくるかもしれない。

 人々が安心して送る毎日を、掴むことができるかもしれない。


 でも、その未来にアリスはいない。

 多くの民は救われるだろうけど、アリスはいない。


 たったそれだけで、俺の心には重苦しい靄がかかっている。


 大事な仲間だった。

 今では、大事な友人だった。


 俺が見失ってからこれまで、彼女は一体どんな壮絶な人生を歩んできたのか、それは計り知れない。

 アリアではなく、アリスとして。

 ひとりの人生に終止符を打ち、新しい人生を歩み始めた彼女が、どんな未来を想っていたのか、それも分からない。


 でも、少なくとも、彼女は報われるべきだった。

 幸せに、なるべきだった。


 こんな道半ばで、失われていい人であるはずがなかった。

 それはきっと彼女だけじゃなくて、この街の全員がそうだ。


 それでも、俺の心を破壊するには、アリスは十分すぎるほどに心の多くを占めていた。


 ――アリスに、ただもう一度、会いたかった。



『――私は、生きるわ』



 頭の奥の奥、ずっとそこにしまってあった記憶が、凛と鳴った。

 まったく、仕方ないわねと、背中を叩かれた気がした。


『大事なのは、今とこれからよ。失った過去に悩むより――』


「――未来の自分に期待した方が、得」


 いつだったか、アリスからその言葉を聞くよりも前に、同じような言葉を聞いたことがある。

 アリアだ。アリスよりも先に、アリアからその言葉を聞いている。


 本当に――、


「――いつだって君には、敵わない」


 アリアは、アリスだ。

 アリスはアリアであり、アリスなのだ。


 人の根幹なんてものは、記憶を失ったくらいじゃ、そう変わらない。

 いつだって彼女は、彼女だったのだ。


 あぁ、俺は一体いつから、こうしてウジウジ悩むようになったのだろう。

 あの頃は――弱かったあの頃は、自信なんてものはなかったけど、自分の実力を見誤ることなんてなかったのに。


 女の子の背に隠れて膝をつくほど、腑抜けた人間ではなかったはずなのに。


 ――勝てる相手を目の前にして、蹲っている馬鹿ではなかったはずなのに!



「――【天籟一閃】」



 ――そして街は、白に包まれた。



 光が止んだ時、立っているのは4人だった。

 タマユラと、ルリと、魔王と――そして、俺だ。


「――ヒスイ」


 形のいい眉を歪めて、タマユラは唇を結ぶ。


「もう、いいのですか」


「――ああ。心配と迷惑をかけて、ごめん」


「――そのために、私たちがいるのですよ」


 泣きそうな表情から力を抜き、タマユラは頬を緩めた。

 数え切れないくらいの感謝を込めた視線を送ってから、向き直る。

 

「ルリも、ありがとう。想ってくれて」


「……言葉なんていらない。かわりに、同じだけ愛してもらうから」


 ジト目だ。かわいい。

 ルリに報いたいという気持ちはもちろんあるが――きっと彼女は、不自然に形にするよりも、等身大の愛をお返しした方が喜ぶだろう。

 言っておくけど、俺の愛は重いぞ。


 そして最後に、言葉ひとつ零さずに虚ろな目を向けるその男に向かって、視線を投げた。

 その胴体には、どうやったって生命活動を続けることができるとは思えない空洞が開いている。


「……ここまでとは、聞いてないよ」


「言ってないからな」


「もうちょっと、遊びたかったじゃん……」


 呟きながら、魔王の身体から力が抜け、そのまま重力に任せて後ろに倒れ込む。

 もうどこを見つめているのかも分からないくらいに焦点はバラバラで、呼吸も浅くなっていた。


 魔王はもう、終わりだ。


「……ふふ。いいね、ヒスイ君。想像、以上だ……未来を、託されるだけのことは、ある」


「……誰に託されたんだ。誰を、殺した」


「強、かったよ。魔力量もそこそこ、剣も振れる。なにより、根性ありすぎて、ちょっと鬱陶しかったな……でも、君たちの記憶からは、こぼれ落ちてしまっただろう、けど……」


 頭の中で繋がる。

 やはり、失われていたのだ。

 この街の誰かが、この魔王の手によって。

 魔王に強かったと言わしめる実力と、俺たちの記憶の穴の大きさを考えれば、ギルドの中でもトップクラスの人だったのだろう。


 そして同時に、ひとつの結論に行き着く。

 予感はあった。確信が欲しかった。

 今魔王が告げた言葉が、確信だ。


「――アリスは生きてる」


 記憶を失わせる手段は分からないが、原因はこいつだ。

 こいつの手にかかっていたならば、俺はアリスのことさえ綺麗さっぱり忘れてしまっていたのだろう。


 無論、俺はアリスを覚えている。

 色褪せない思い出が、今でもまぶたの裏に映ってる。


 だからアリスは、死んでいない。


 アリスだけじゃない。

 この街で知り合った冒険者のことも、受付のお姉さんのことも、近衛兵団長であるアベンさんのことも、俺は喪っていない。

 がらんどうのセドニーシティではないどこかで、彼らは生きている。


 それが分かっただけで、十分だ。


「……なんにせよ、ここで終わりだ」


「終わら、ないよ、ヒスイ君……近いうちに、また会うことになる」


 だというのに、魔王はまだ、俺を解放してくれない。

 でまかせだと切って捨てるには、重みがありすぎる言葉だ。


「……どういう意味」


 投げかけたのは、ルリだった。

 タマユラも覗き込んで、魔王の言葉を待っている。


 素直に答えてくれるとは到底、思えなかったが――、


「準備が、終わったんだ……もうすぐ、僕が会える」


「……準備ってなに。まだこれ以上、私たちを」


 ルリが再び問いかけたところで、タマユラが首を振る。


「死にました。死んでいる、はずです」


 魔王が死んだ。

 そう、信じたかった。



「あれは、ヒスイの見た魔王で間違いないんですよね?」


「それは間違いない。レベルも、魔力も、全く同じものだった」


 その死体の傍ら、俺たちは魔王を討伐したとは思えない面持ちで、言葉を重ねていた。


 結論としては、これは魔王。

 そして、間違いなく死んだのだ。


 だけど、奴は手放しで喜ぶには不穏すぎる言葉を遺して逝った。

 その全てを信じる義理もないが、無視をするリスクも取れない。


 それに、違和感だってある。

 魔王軍七星だ。

 七星がそのまま数を表しているのだとしたら、まだ4人の幹部が残されていることになる。


 彼らの住処は『鏡の世界』で、侵略するためにこちらの世界に赴いているのなら、幹部を差し置いて組織の頭がたったひとりで出向く道理がない。

 少なくとも、勝機を見つけ出してから攻め込むべきだ。

 

 人間の戦力を軽視していたという線もあるが、魔王は一度俺を見ているはず。

 あるいは俺すらも舐められていた可能性だって完全には否定できないにしろ、俺を魔王軍に引き込もうとした以上、ある程度実力は買われていたと考えなければ不自然。


 考えれば考えるほど、今この場に魔王が現れた意図が見えてこないのだ。


 ――いや、たったひとつだけ、全ての合点がいく線がある。

 出来れば外れていて欲しい線だ。

 でも、どうしても避けて考えることはできない。


 そう、つまり――、


「本当の魔王は、別にいる……?」

 

 この足元で転がっている魔王が模造品――例えばあの丸い部屋で戦った、『素体』と呼ばれたモンスターがいた。

 あれは元は人間、という胸糞悪いモンスターだったが、つまるところ魔王軍は『モンスターを造る』ことが可能なのだ。


「準備が、終わった……」


「もうすぐ僕『が』会える、とも言っていましたね」


「……わからないことを考えるのは大事。だけど、それより」


 真っ黒なローブをはためかせ、ルリが俺の正面に立つ。

 ふわりと、花びらみたいな匂いが鼻をくすぐった。

 と思ったら、いきなり柔らかい感触に包まれる。


「……えい」


「えっと、ルリさん……?」


「……まずは、生きててえらい。お腹すいた」


 ルリが俺を、力いっぱい抱きしめていた。

 ちょっとだけきつくて、苦しくて、温かった。

 その小さな頭を、癖のある黒髪ごと撫でていると、タマユラが息を吐いた。


「そうですね。ご飯、食べましょうか。……あ」


 タマユラは何かに気づいたように口を開け、数秒考えてから、苦笑を見せる。


「馬車を回収しなければいけませんね。というか、私たちの家が無事に残っているといいのですが」


「まぁこんな被害だし、残ってなくても仕方ないよ。でも、街の人はどこに行ったんだろう」


 不自然なまでに人の気配がない街を走り、一番近い門へ向かう。

 

 ちなみに、ルリはやけに甘えてきたので、仕方なしに俺がおぶって走っている。

 重いとか言ったら殺されそうだ。

 いや、ルリは軽いんだけど、彼女の持つ杖がね。

 ルリの背丈くらいある、立派なやつだから。


 ともかく、街のみんなは無事だと思うしかない。

 今この場にいなくとも、記憶にあることが何よりの証明だ。


 そう改めて納得させて、ようやく門に辿り着いたところで、数歩先を走っていたタマユラが足を止め、表情を変えた。


「……ヒスイ。悪いお知らせがあります」


「え? まさかタマユラもおぶって欲しいとか? いや、重量的には大丈夫だろうけど、スペース的にどうかな……」


「それも非常に魅力的ですが……いや本当に魅力的ですが、そのうちやってもらうことにしますが、そんなことより」


 彼女は謎の葛藤を見せたあと、門の外を指さして告げた。


「どうやら、出られないみたいです。結界ですね。それと――」


「――――」


「――街の外に、見たこともないモンスターがうじゃうじゃいますね」


 セドニーシティを襲う悲劇はまだ終わっていなかった、その事実を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る