88.『憶攫い』


「――要するに、判断は任せるから、責任だけ取ってね、ということですね」


「ほんとにさぁ……」


 出発前、ギルドマスターから渡された封書には、つまるところそんな文面が記されていたらしい。

 

 依頼内容やらなんやらが難しい言葉で並んでいたが、タマユラが噛み砕いた結果、そんな感じにぶん投げられていたことが判明した。


「責任って、自己責任ってことじゃないよね?」


「公的責任、ということでしょうね。S級としての責任を果たせ……と言っているのでしょう」


「……まぁ、わかってたこと」


 これは「死んでも自己責任ね!」なんて優しい注意書きではない。

 どちらかといえば、「被害を抑えられなかったら分かってるんだろうな?」という脅しに近いと思う。


 あのギルドマスター、俺たちの使い方が雑になってきた――いや、実際のところは信頼の裏返しなのだろうけど、それにしたってもう少し丁重に扱って欲しいものだ。


 というか、


「俺たちってただの冒険者だったと思うんだけど」


「その通りですが……まぁ、もうそんなこと言ってられる状況でもありませんからね。実質的に、私たちは対魔王軍の最終兵器です」


「無給でこき使われる最終兵器って……」


 なんて言っても仕方がないのは分かっている。

 だけど、馬車に揺られて1週間。そろそろ文句のひとつくらい溢れてくる頃合だ。


 無論、本気で不満があるわけではない。

 ギルドの状況を考えれば無給なのも納得せざるを得ないし、普段の依頼で充分にお金は頂いているから、今さら金銭面でケチを付けるほど困ってもいない。


 それに、やることは人助けだ。

 金のためにする人助けっていうのはちょっと印象が悪い。それが悪だとは思わないが、俺にとっての『S級冒険者』ってのはそんな守銭奴ではないことは確かだ。


「無給とは言っていませんでしたから、もしかしたら帰った時にサプライズでもあるかもしれませんよ」


「実はこっそり報酬を用意してましたー、って? だったら事前に言ってくれよ、なんで一旦隠すんだよ」


「……遊び心」


 そんな遊び心は求めてないし。

 まぁ、ないと思ってたものがもしあったら普通に嬉しくなってしまうものだけど。


「今回の任務はふたつ。ひとつは、謎の黒柱の調査。もうひとつは、疫病の調査です」


「考えてみれば、どっちも専門外なんだよね、俺たち」


「まぁ、ギルドもそれだけ行き詰まっているのでしょうね。疫病は、原因が掴めなかったとしても……ルリの回復魔法で治らないか試してみましょう。さて」


「――こいつを、どうするかだよね」


 俺たちが見上げているのは、天に向かって聳える巨大な黒柱だ。高さは5、6メートルといったところか。

 材質は不明だが、深い黒の上にところどころ紫の斑点が浮かんでおり、その禍々しさといったらタマユラが眉をひそめるほどである。


 とはいえ、例えばとんでもない魔力が込められていたり、近付くだけで身体中の血が沸騰するようなことはなかった。


 ただ、恐ろしい見た目のなにか。

 それ以上でも以下でもない、謎の黒柱だ。


「やっぱり、見ただけじゃわからないか」


「まぁ、見てわかるものならわざわざ私たちを使わないでしょう」


 それはそうなのだが――だからといって、じゃあどうすんだよという話である。

 こいつが疫病と何らかの関係があることはほぼ確実だが、壊して解決というほど簡単なものでもあるまい。


 それにもしそうだとしたら、今後の俺たちの仕事は世界各地を練り歩いて黒柱を破壊する職人になってしまう。


「……なんか嫌な感じ」


 と、ルリが嫌悪感を顕にする。


 明らかに悪いものなのにその正体が掴めない気持ち悪さは言い知れぬが、『嫌な感じがする』というのはこの黒柱を目にした者の共通意見だろう。


 現に、俺とタマユラがこの黒柱に抱いている感情も、「なんか嫌な感じ」に他ならない。


「……そうじゃない」


「え?」


 俺たちが薄ぼんやりとした嫌悪感を抱えている中、ルリだけは違う印象を持ったらしい。


 そう、それは――、


「……あの魔法陣の中と、同じような」


 かつてルリを毒牙にかけようとした、彼女の元仲間たち。彼らが用意した、ルリを蹂躙するための魔法陣と同じものを、この黒柱に感じたという。



 結局のところ、得られるものはないと判断した俺たちは、件の村に足を運ぶことにした。

 黒柱から馬車を走らせること数十分、ここまでの旅路を考えるとあまりにもあっさり辿り着く距離だ。


 遠目に見えてきたそれは、村というには少しばかり荒廃しすぎている集落だった。

 しばらく手入れされていない外壁や、放置されるがまま伸び続ける植物が目につく。


「おかしいですね……こんなに荒れている村だとは聞いていなかったのですが」


「確かに想像よりボロボロの村だけど、おかしいっていうほどかな?」


「仮にもアマガサ領の管轄にあるならば、辺境伯がこの状況を看過するとも思えません。それに――」


 と、タマユラの目線の先には、地べたに苦しそうに横たわる数人の男たちの存在があった。


「被害はないと聞いていました」


「――たしかに」


 この村についてギルドマスターから与えられた情報はふたつ。


 謎の病が流行り始めたということ。

 そして、それは差し迫ってはいないということ。


 それがどうだ。

 外傷もないのに、彼らは何が原因で苦しんでいるのか。

 そんなの、謎の病以外にありえないのではないか。


「想定より、病の進行が早い……?」


「そういうことになります」


 俺たちは馬車から降り、力を込めて地面を蹴った。

 これくらいの距離であれば、もはや自分で走った方が早い。

 遠目に見えていた村は、あっという間に俺たちの目の前にあった。


 俺たちは倒れている男性のひとりに駆け寄り、目で合図を送るよりも先にルリが回復魔法を使うと、柔らかい光が辺りを包む。


「大丈夫ですか? 喋れますか?」


「……あ、あぁ。これは……回復魔法……? 凄い力だ……」


「そうです、もう大丈夫ですよ。うちの魔法使いは超優秀なんで」


 回復魔法は、術者の素質によって効力が変わる。

 新米の魔法使いでは擦り傷程度しか治せないが、熟練の魔法使いなら不治の病だって治せてしまうのだ。


 無論ルリは後者であり、その治癒能力に疑いようはない。


「そ、そうか――うっ、が、あぁ――ッ」


「――どうしましたか!?」


 だというのに、男性は苦しむのをやめない。

 顔を歪めたまま、起き上がることすらできない。


「はぁ、はぁ……もう、ダメみたいだ……身体中が軋んで、動くことも出来ない……」


「なんで……ルリの回復魔法でも治せないなんて……そんなことが……」


 段々と聞き取りづらくなっていく声を、聞き逃さないように必死で拾う。

 ルリほどの回復魔法で助けられないことなんて、あるはずがない。

 もしあったとしたら、この世の誰にも治せないことになってしまうのだから。


「大丈夫です、治しますから。絶対治して、他の人も治して、びっくりするほどの健康体にしますから」


「……ぁ、あ…………」


 確実に男性に忍び寄る魔の手は、もうすぐそこまできている。

 ルリの奇跡のような回復魔法を全身に浴びながら、それでも良くなるどころか数秒前より明らかに病状は悪化している。


「――ルリ! もっと魔力を!」


「……やってる。やってるよ。私、手なんて抜いてない」


 そんなことわかってる。

 わかってるが、


「ならどうして――!」


「――ダメなの。魔力を込めてるのに、すり抜けてるみたいに……っ」



「あぁ、じい……ちゃ……ん……」



「……ぇ?」


 どういうことだ。

 一体、どういうことなのだろうか。


 今確かに、ここに――、


「――誰か、いたよな」


「――――」


「――誰か、いたよな?」


「――いました。ですが」


 二度、どこへ向けたでもない問いを投げる。

 未だ理解の追いつかない中、タマユラが簡潔に答えた。


 一瞬前までここに誰かがいて、その人のために俺たちは何かをしていた。

 なのに、そんな事実はまるで最初からなかったように、


「……思い、出せない」


 俺も、ルリも、タマユラも、そんな信じがたい思いを抱いたのだった。


「おや、あなたがたは……?」


「――――」


 呆け続ける俺たちに声を投げかけたのは、見知らぬ老人だった。

 一体この老人は誰で、この村はどうなっていて、俺たちがするべきことは何か。

 聞きたいことは山ほどあるが、やっぱり真っ先に出てきたのは、


「……ここに誰か、いませんでしたか」


 目の前の疑念。それだけだった。


「……あなたがたも『憶攫い』に遭ったか。着いてきてくだされ」


 呆然とするしかない俺たちは、言われるがままに老人の後を追った。



 荒れた村の中でも、唯一綺麗なままの家だった。

 否、唯一ではなかったかもしれない。


 村を歩くと中には手入れの行き届いた家も何軒かは存在したのだが、ボロボロの家屋とのコントラストが妙に不気味だった。


「……儂はこの村の村長をやっておる者。名はラウル。あなたがたはこの村で何を?」


「……冒険者です。依頼で、謎の黒柱と病の調査に」


「病。ふむ、病……」


 そう言って考え込むラウル。

 何かおかしいことを言っただろうか。

 少なくとも、そんな難しい顔で考え込ませるようなことはなにも言っていないはずだ。


「……あれは、病ではない」


「……と、いうと?」


「不可解なことが起き始めたのは、ちょうどひと月ほど前だったか、もしかしたらそれよりも前だったか……とにかく、気付いたのはその時だった」


 そう言って顔を歪めるラウル。

 大袈裟なほどの深呼吸を置いてから、表情を変えずに続けた。

 

「この村から、子供がいなくなっておった」


「子供が……?」


「誰にも気付かれずに、みな消えていた。初めからこの村には子供なんていなかったのではないか。そう言う者もおったが……そんなはずはない。番は多くおるのに、子供がひとりも産まれぬ村などない」


 ――誰にも気付かれずに消えていた。

 それは、ついさっきの俺たちが苛まれた違和感に近いものだと、感覚で理解する。

 そしてその予想は外れなかった。


「それと同時期だったか。時折、今ここに誰かいたはずだ、煙のように消えたのだ、と騒ぐ者が現れ始めた。最初は誰も相手にしなかったが……あまりにも頻発するものだから、村で調査をした。そうしたら」


「――――」


「――確かに消えていたのだ。正確な数はわからぬが……数十人の規模で、人が消えていた。そしてそれを、誰も覚えていなかった」


「それって……」


「神がおるのだ。それしか考えられん。儂らの記憶と、人間を攫う神が。……この村はもう終わる。あなたがたも、神の御心に触れて攫われぬうちに引き取るのがよい」


 他人の記憶ごと存在を抹消する。

 確かにあの神のやることだと考えれば腑に落ちてしまうと、そう考える自分が嫌になった。



「……どう思いますか」


 村長であるラウルから聞いた話を持って、俺たちは馬車に戻ってきていた。

 どこまで信憑性のある話かはわからない。

 それに、このまま手ぶらで帰るわけにもいかない。


 だから逃げ帰るわけにもいかないのだが――あの場所に長く留まれるほど、俺たちの神経も完成されていなかった。


「現に人が消えたような感覚はあった……けど、それが本当の記憶かも分からない」


「人の存在が記憶ごと抹消されたのではなく、私たちにありもしない記憶が植え付けられたものかもしれない、ということですね」


「そう。というか、他人の頭の中身を消すなんて所業よりは、そっちの方が現実的だ」


 だけど、それが正しい保証なんてものもない。

 とはいえ、本当に俺たち全員の記憶が改竄されていたとしたら、それが出来そうな人物はそれこそ神くらいしか心当たりはないが。


「……神。ヒスイは信じる? 神がやったって」


「俺は……」


 神の存在については、もはや疑うことなど出来はしない。

 もしあいつが本当は神を騙ったただの極悪人だったとしても、本物の神と同じような力を持っていることは確かだ。

 つまり、神はいる。そう結論づけるしかない。


 だが、


「……これは、神の悪戯なんかじゃない」


 これは、あの悪神の悪戯なんかでは断じてない。

 なぜなら、


「あいつ――神は、傍観者じゃなくちゃいけない。気分次第で好き勝手人間を弄べるなんて、そんなふざけたこと認めてたまるか」


 願望込みの結論を、俺は心の底から絞り出した。

 もしそんなことが許されるなら、この世界で生きる人々が馬鹿みたいじゃないか。


 そんなこと、許せるはずがない。


「絶対に突き止められる原因がある。俺たちでやろう」


「……ん。任せて」


「そうですね。できることはあるはずです」


 謎の黒柱。病。『憶攫い』。

 その全ては繋がっているはずだ。


 ほんの小さな引っ掛かりを覚えつつ、俺たちは村に戻った。

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