『まるで、⬛︎⬛︎⬛︎のような』


 ふんわりと吹いた風の正体は、とあるお客さんだった。

 

「この辺、意外と治安悪いんですよ。女性がひとりで歩くにはちょっと危ないので、大通りから回って行った方がいいかもしれません。あ、どうしてもこの道を通りたいなら、俺が着いていきますけど」


 私を心配するその瞳は、どこまでも優しくて――いや、違う。

 これは、優しさと――一抹の寂しさを孕んだ瞳だ。

 

 寂しい。何故、寂しいのだろう。

 どうしてこの人は今、寂しいのだろう。


 少しばかりのひっかかりを覚えるも――、


「――店員さん?」


 私の思考は、その優しさと怪訝さを織り交ぜた声に中断される。


「――あ、いえ。お気遣い、ありがとうございます。別の道を通ろうと思います」


「そうですか。それがいいと思います」


 もともと、この道に用があるわけではなかった。

 むしろ、私の目的を達成するためには、人通りの多い場所に行くのが得策だ。

 ここは忠告に従って、さっきまで歩いていた大通りに戻ろう。


 そう思い、踵を返すと――、


「あ、せっかくなので、一緒に歩きませんか?」


 そんなお誘いを受けたのだった。



「で、そこのお店に初めて行ったんですけど――」


 どんな展開が待ち受けてるかと思えば、他愛もない談笑だった。

 また何か、私に打ち明けたいことでもあるのではないかと勘ぐってはみたが、少し自惚れていたかもしれない。

 別にこの人だって、私しか話相手がいないわけではないだろう。

 

 周りに相談できる人もいなくて、でもひとりじゃ抱えきれなくて、どうしようもなく行き詰まった時、最後の手段としてあの店にくるのだろう。


 ここのところ来店の様子がなかったということは、悩みは消え去ったか、もしくは私に頼る必要もなくなったか。

 ともかく、私の驕りだったのかもしれない。


 ――それにしては、先ほどの瞳の色が気になりはするが、


「――そうなんですね。私も行ったことがあるんですが、やっぱりあそこの店主さんは変わってますよねぇ」

 

「あ、やっぱり? なんか失礼なこと言ったんじゃないかって不安になってましたよ……」


「あら、結構有名な話ですよ。あのお店の店主さんは、一旦は意味もなくお客さんを威嚇するって」


「なにその縄張りを荒らされた野生の獣みたいな」


 やっぱりさっきのひっかかりも、私の思い違いかもしれない。

 人の気持ちを考えすぎるあまり、空回りすることも多いのは私の欠点だ。

 今回も例に漏れず、そのパターンだったのだろう。


 私は気にするのをやめ、目の前の談笑に集中する。


「で、その後に出てきたモンスターが――」


「それは怖いですねぇ――」


 街を目的なく歩きながら、目に映る景色を語り合いながら、自分の話をし合いながら、時間がゆっくりと過ぎていく。

 ひとりだけで歩いていた時は、こんな時間の経ち方を知らなかった。

 なんとなく心地よくて、なんとなくまだ気まずくて、なんとなくもっと仲良くなれそうで――、


「でも、元気そうでよかったです。最近、お店に行けてなかったから」


 と、会話の温度がふっと変わる。


「……? はい、元気ですよ。あー……今度、お客様が誑し込んだおふたりも連れてきてくださいね」


「人聞きが悪いなぁ!」


「えっと……あれ? ごめんなさい、言い過ぎました、よね?」


「いや、いいんだけどさぁ……!」


 瞬間、私の頭の中は『?』で埋め尽くされる。

 無礼。失礼。不躾。

 ただ、人を不快にさせる言葉。


 それを頭では理解していたし、だから一度、無意識にストップがかかった。

 なのにその上で、一旦口に出すことを躊躇した上で、私は故意にそんな言葉を紡いだ。

 普段の私であれば決して口にしないであろうそれを、そうと理解した上で投げてしまった。


 自分でそれが信じられなくて、頭の中の疑念が消えない。


 ふと、会話の温度とこの人の声色が変わった途端、なぜだか自然とそうなってしまった。


 そして、


「――――」


 恐る恐る覗いたその瞳の色が、到底私では理解しえないほど複雑な想いががんじがらめになっているのを感じ、私は、私は――、


「――リア! どうし……」


 割れるほどの頭痛に、沈んでいった。



『――よかった、生きてて、本当によかった……』


『――大丈夫、私、勝手に死んだりしない、わ……』



 鳥のさえずり。

 ぽかぽかと眠気を誘う陽射し。

 穏やかな陽気だというのに視界が暗いと思ったら、まぶたを閉じているからだと気付く。


 眩しさを警戒してゆっくり目を開けると、


「――目、覚めました? よかった、本当に」


「……大丈夫、私、死んだりしないですから」


「――――」


 辛そうに顔を歪める、その人と目が合う。

 状況を把握するために、まだぼーっとしながら辺りを見渡す。

 ここは大通りから抜けて、裏路地。

 ちょうど陽の差す階段の一段目に、私は寝かされていたらしい。


 それにしてはやたら寝心地がいいもんだから、首を動かして見ると――、


「綿の……布団?」


「魔法で作ったんですよ。ほら、レディを固い石畳に寝かせるわけにはいかないでしょ」


 もこもこの白い綿に包まれていたことに気付く。

 優しくて、繊細で、だけどしっかりしていて。

 

「まるで――」


「え?」


「――いや、なんでもない、わ」


 まるで、なんだろうか。

 私は今、なんと言いかけたのだろうか。


 またしても、違和感だ。

 頭を悩ませかけるが、それはやめておく。

 だって、そのせいで私に異変が起こったのなら、またあの痛みを感じなくてはならないし、この人にも迷惑をかけることになるから。


「あの、介抱してくれて、ありがとう」


「いいんです。――また、失いたくないから」


 後半は上手く聞き取れなかったが、意図的に聞こえないように呟いたふうに見えたから、詮索はしない。


 私は、頭痛が完全に消え去ったことを確認して起き上がる。


「まだ横になってた方がいいんじゃないですか?」


「いえ、もう体調も大丈夫ですし、いつまでも階段を塞いでいるわけにもいかないので……本当に、ありがとうございました」


「気にしないでください。何事もないならよかった……一応、うちのパーティに回復魔法を使えるちびっ子がいるんですけど、診てもらいますか? 近々遠出する予定があるので、診てもらうならすぐにでも……」


「大丈夫です。ちょっと、疲れが溜まっていたのかもしれません。ほら、おかげさまでこんなにピンピンしてます」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねてみるも、どこにも響かない。

 やっぱりさっきのは一時的なもので、既に完全復活していると言ってよさそうだ。

 寝心地のいい布団が疲労回復に素晴らしい働きをしてくれたのかもしれない。


「――――」


「どうされました?」


「――なんかこう、お茶目というか、カフェの店員さんの時とはちょっとイメージが違うな、というか……」


 そう頬をかきながら控えめに笑うその人とは、目が合わなかった。

 そしてその指摘は、私の中にも小さな違和感となって残った。


 確かに、いつもの私ではなかった。

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