50.『作り物のあなたは』
白い、場所だった。
俺は気が付くと、ただ何も無い広大な純白の中にいた。
見渡す限りの白に、俺は失敗を察した。
元の世界に戻ることが出来なかったのだ。
世界と世界の狭間、その切れ端に、運悪く流れ着いてしまったのだろう。
見たところ入口も出口もないし、残念ながら俺はここから出ることは出来ない。死ぬ事が出来るかさえ、わからない。
俺はこれから、気の遠くなる時間をひたすらにこの虚無の中で過ごさなければならないのだろう。
それがわかって今思うことは、ルリに申し訳ないことをしたなぁという罪悪感のみだ。
それだけが頭の中をぐるぐると巡っていたせいか、目の前にいる純白の長髪を床まで垂らした女性のことは、あまり意識に入らなかった。
「まさかここに辿り着くなんて――まぁこれも運命さだめですかね。ようこそ」
「……一応確認しておくけど、実はここは死後の世界で、あんたは神様か何かだったりする?」
「うーん、違いますよ。あ、神様ではあるんですけど、あなたは亡くなっていません」
「じゃあシンプルに迷い込んだってことか……」
終わりの見えない世界の中にポツリと置かれた椅子に座る女性の存在は、異質と言わざるを得ない。
もしここが超絶金持ちの豪邸だとしたら、一体いくらで買えるのだろうか。
もちろんそんな話は現実的ではなく、この女性は自分を神だと言った。
俺としては、何かを拗らせた自称神のマイホームである方が嬉しかったのだが。
「私にとっては世界が丸ごとマイホームみたいなものですから」
「一生に一度は言ってみたいそのセリフ」
「……? 言ってみたらいいんじゃないですか?」
「ジョークは通じないタイプ?」
言葉通りに受け取りすぎではないか。
人当たりが良さそうに見えて、案外一番疲れる系統な気がしてきた。
そのおかげというわけでもないが、少しばかり冷静に状況を鑑みるきっかけにはなった。
ここは神の世界で、俺は偶然迷い込んでしまった。
話し相手はこの人……この神だけで、相当な暇を持て余す事になるだろう。
「あ、神様なら俺の家をここに建てることはできる? 流石にずっと野ざらしってのも、ちょっとプライドが傷つくっていうか、悲しくなるっていうか……」
「帰れますよ」
「それから、俺は山菜がそんなに好きじゃなくてさ。酒……はまぁ諦めるけど、せめて肉料理は定期的に食べたいんだよね。肉どころか他の生命が存在しないけど出来れば……」
「帰らないんですか? 元の世界に」
「……っ。帰り、たいよ。だけど、せっかく中々来られない場所に来ることが出来たんだから――」
「怖いんですね。魔王が」
「――――」
わかっていた。なんせ、神様のことだ。
人をひとり他の世界に送り込むことなど造作もないことだろう。
そして、図星だ。俺はビビっている。
魔王という絶望的な存在に、恐れをなしている。
何故か。決まっている。
レ・ベ・ル・が・8・0・0・0・も・あ・る・存・在・に、俺が敵うはずもない。
そして俺が敵わない存在は、残念ながら人間にはどうすることも出来ないのだろう。
ここで、詰みだ。
「逃げるのですね」
「……仕方がないだろ。だって、勝てないんだ。戦う前からわかるんだ。それくらいに、意味不明な奴なんだよ」
「信じてくれた仲間を捨てて、あなたは逃げるのですね。S級の信念があーだこーだ言って、一番大事な所で尻尾巻いて逃げるのですね」
「……ルリだって、勝てない相手に挑むほど無謀じゃない。きっと上手く逃げてくれるさ」
「本当にそう思うのですか?」
「――――」
「あなたを信じてくれる仲間は、ここ一番で腰が引けて無様に逃げ出す程度だと本気で思うのですか?」
もちろん、思わない。
ルリは、あの馬鹿正直なちびっ子は、ああ見えて俺以上に信念の強い強情者だ。
ここ一番という時こそ、何があっても逃げないだろう。
たとえ俺がいなくとも、ひとりで魔王に挑んでしまうような子だ。
タマユラだって、きっとそうするだろう。
「どうでしょう。むしろ、あなたが帰ってこないなんて想像もしていないと思いますけど。あなたが腰抜けで意気地無しだと知ったら、どんな反応をするんでしょうね」
「……意気地無しなのは、もうバレてるけどな。っていうか、あんた神様なのに辛辣すぎない? 慈悲の欠片もないんだけど」
「むしろ優しすぎるくらいですよ。私も、あなたにここで潰れられたら困るので」
意味がわからない。神様なんて高尚な御方が、腰抜けで意気地無しな俺に何の期待をかけているというのか。
少しばかり意気消沈することさえ許してくれないほどに、一体何を。
そもそも、魔王軍とかいう存在が理不尽だ。
俺じゃないと戦いのスタートラインにすら立てない相手が多すぎる。
っていうか、レベルのインフレが激しすぎるだろ。
最初はS級ですら大体レベル90程度だって聞いてたのに、レベル8000の敵なんて初めから勝てるようにできていないじゃないか。
「それはそうですよ。初めから、あなた以外に勝てるようには出来ていませんから」
「はぁ。それは随分と俺贔屓なことで。世界は俺を中心に回ってるとでも勘違いしとけばいいの?」
「勘違いではありませんよ。あなたの『レベル分配』が覚醒したあの日が――あの世界の、始まりですもん」
「――そんなご都合主義な話があるか。俺はただの冒険者だよ」
「本当ですよ。あれより以前の世界は存在しません。あなたが持っている記憶も、書き留められた記録も、ぜーんぶあの日に創られた虚構です。まぁ、だからなんだって話ですけどね」
言っている意味がわからない。
仮にそうだとして、アゲットやアリアと旅をした記憶は確かにある。
それは俺だけではなく、他の誰だってあの日よりも前の自分はいたはずだ。
それが創られた物だと言われても、いまいちピンと来ない。
いや、いきなり胡散臭い話だ。やっぱりこいつは自称神様のヤバい奴なんじゃないかと思い始めてきた。
「おかしいとは思いませんでしたか? なぜ、自分だけがあんなに卓越したスキルを持っているのか。なぜ、取ってつけたように魔王軍に狙われるのか。大した努力もせずに、世界最高峰の実力を身につけることが出来たのは、まさにあなたが特別な存在だったからです」
「……全部、嘘っぱちだなんて、信じられない」
「別の世界の言葉で言うと――『世界五分前仮説』というやつでしょうか。でもそれは大した問題じゃないんです。重要なのは、あなたがこの物語の『主人公』だということ」
「……聞いたこともない。俺たちは、あんたの操り人形だったって言うのか」
「あの日までのあなたは創られたモノとしても、それ以降は私の制御下にはありません。あなた自身が選んだ道ですよ。他の人もそう。自我を持っています。だからこそ、こうしてへこたれてるあなたに憤りを覚えてるんです」
これが事実なら、とんでもない話だ。
全部全部、こいつのシナリオ通りに事が運んでいたということか。
なんのためにそんなことを――いや、考え方が違うのか。
何故、俺たちは生み出されたのか。
何故、俺が選ばれたのか。
何故、魔王を倒させようとするのか。
そこに、『神』という存在の根幹があるのではないか。
きっと、人間の尺度では到底想像もつかないような大きな理由があるのだ。
この問の答えさえ聞ければ、俺はこの神を初めて理解することが出来る気がする。
そんな縋るような考えは、意図しない方向からぶん殴られたように壊される。
「……? 主人公が勝たなきゃ面白くないじゃないですか」
「――――とんだ悪神だな、お前は。お前にとって俺たちは暇つぶしの道具かよ」
「あなたにとって重要なのは、そんなことですか? 守らなければならない場所があるのではないですか? 私に怒りを向けるより、やるべきことがあるのでは?」
「――――」
どこまでも見透かしたように、感情の籠っていない顔で言う。
そうだ。俺にとって大事なのは、ルリで、タマユラで、セドニーシティで、あの世界だ。
そのために、こんなところで燻っている場合ではないのだ。
だからといって、この嫌悪感は消えないし、魔王には勝てないのだ。
余計に絶望が深くなっていくのみだった。
俺は、一体なんなんだ。
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