Childhood
ボタンを押し、落ちて来た缶コーヒーを手に取ると、その自動販売機の横にあるベンチへ気だるそうに座った。気だるそう、というか実際気だるかった。
この公園は、ここらではかなり大きい方で敷地面積はもちろん、遊具も充実している。滑り台、ブランコ、砂場、ジャングルジム、このご時世では珍しいシーソーもある。皆、それぞれ好きなところでガヤガヤはしゃいでおり、少し年齢が上がると鬼ごっこをしたり、ボールを持ち込んでサッカーをしたり、といった感じだった。
秋の休日の真昼間。そりゃあ、子供が多いはずだ。天気も多いし、暑くないし。絶好の公園日和ってわけだ。
僕は缶のタブを引っ張り、飲み口を開く。
「苦え……」
甘い方のボタンを押したはずが、どうやら間違えて苦い方を買ってしまったらしい。でもしょうがない。このまま捨てるわけにはいかないので、とりあえず二口目を飲む。やはり苦い。
公園の子供たちを見ながら、何故か、楽しそうだなと思った。純粋無垢という感じ。僕にもかつてあんな時代があったとは信じがたい。どんな大人も自分に純粋な時代があった事を忘れてしまう。腐れば腐るほどだ。自分もそんな奴らに仲間入りしかけていると思うと、飲みかけのコーヒーを目の前を通った男の子にぶっかけてやりたくなった。もちろんしない。そんな事で人生に汚点をつけたくない。こんな大学生になるまでに、色んなネジが飛んでいったが、まだ理性はある。
「あれれ? またサボり?」
「違う。今日は普通に授業ないんだよ、泉ちゃん」
声がした背後を振り返らずに言うと、
「泉先生ね! 先生!」
と訂正が入った。その泉ちゃ……先生こと泉千里が僕の隣に座る。三人座れるくらいの幅があるベンチなのに、僕の真横に座って来たので、僕は一人分空けてずれた。
「ちょっとー、逃げないでよ。あ、ブラックとか飲んで格好つけちゃって。私にも一口ちょうだい」
「好きでブラック飲んでるわけじゃないし、飲みたいなら自分で買ってくれ。あとウザイ。やめろ」
泉先生は「何よー」と頬を膨らませながら、自販機へと歩く。
「何しに来たんだよ」
「ここに来たらサボってる高梨君に会えるかなーって」
「その年でその喋り方、かなりあざとい」
「あのねー! 女性に年齢のことしゃべらないの!」
「はいはい」
僕と泉先生の関係は複雑だ。かつての担任であり、元恋人でもある。元恋人と言うほどの関係でもないのだが、何と言ったらいいのかな……。準恋人、みたいな。
お互いに好きという言葉を口にしたことはない。しかし休日に一緒に出かけたり、長期休暇の日には彼女の家に泊まりに行ったり。
冷静に考えれば異常なことをしていたと思う。でもそんなことをしてしまうくらい当時の僕の精神は終わっていた。
成瀬の自殺があまりにも僕を狂わせていたのだ。
高校二年の春のことだ。僕は昼休みに泉先生から呼び出された。
「冷静に聞いてね」
と言う彼女の口が震えていたのを覚えている。
「成瀬くんが亡くなった。お家のクローゼットで見つかったんだって。その首を……ね」
その頃、成瀬は学校を休みがちだった。心配してLINEをしてみても未読無視。既読がつけばいい方で返信が返ってくることはない。まあ、それはいつものことだった。成瀬がLINEを嫌っていることを知っていたし、学校を休みたいなら休めばいいと思っていた。
心配していることは伝えてある。向こうが何かアクションを起こしたくなった時に僕は対応すればいい。
成瀬なりに何か悩んでいるのだろう、そのくらい軽く考えていた。
「高梨くん、成瀬くんと仲良いから先に伝えておこうと思って。他の子にはまだ言わないでね」
僕と泉先生以外の先生たちが周りを通り過ぎていく。教員全員にはもう知らされているのだろうか。それとも、まだ僕と泉先生しか知らないのだろうか。
いいや、そんなことはどうでもいい。
僕はその日早退することにした。それからは何が彼を死に追いやったのかをずっと考えていた。
自分の創作が上手くいかなかった?
世界への絶望?
考えていくうちに、きっと両方とも正解であると思うようになってきた。
自分の創作を突き詰めていくうちに、世界に絶望した。
結局何を作ろうと世界は変わらない。
ただの創作者の満足にしかなり得ない。
そのことに気づいてから、僕も自分の創作が滞るようになった。
それからは、どんどん怠惰になっていった。勉強へできなくなるし、担任の家には転がり込むし。
辛うじて入学できたこの大学も死ぬほど面白くなかった。
何をする気にもなれない。無気力。
「変わらないわね、高梨くん。ずっと塞ぎ込んだまま」
泉先生は買ってきた微糖コーヒーの缶を開ける。
その迷いのない指の動きを僕は見つめた。
「変わってないよ俺は。友達はみんな道を歩いてた。紆余曲折はあれど、しっかり足で歩いてた。けど俺は大人へと続く道から逸れてしまった。昔のあの時間を求めて逆戻りしてる」
「高梨くん、あなたまさか」
口元まで持ってきた缶コーヒーを離すほど、彼女は慌てた様子を見せた。そのまま缶を地面に置き、僕の肩を力強く掴む。
「だめよそんなの。成瀬くんは一緒に来いって言ったの? 言ってないでしょ。ただあなたの意思なら私がそれを許さない。全力で食い止める」
彼女の言葉を無視して、肩を掴まれていない手にあるブラックコーヒーを一気に飲み込む。
「そんな気はないよ」
確かに、僕は成瀬みたいに何も作れなくなった。
だけどあいつと違うのは、僕はまだ生きているということ。そして死ぬ気もないということ。
と言っても、特技も何もない僕が生きるには余生が暇すぎる。
だからもう一度、かつて憧れを抱いた創作にもう一度手を出してみたいとちょっとだけ思うのだ。
あの子供時代を彩ったもので、彩っていた子供時代に戻る。
それがこれから進む道。
険しくても、僕に残った道はそれだけだから。
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