旅立ちの章 3-9
「はいっ。アキホ」
ミルファから差し出された小瓶の中身、白っぽい軟膏のようなものを少し指にすくって上唇と鼻の間に塗る。
すーっとさわやかな匂いが鼻を満たし、鼻と口を覆う悪臭対策のゴーグルをセットする。
全員の準備が完了しているのを確認し、私達はゴブリンの巣となってしまった洞窟に入っていく。
それまで感じなかった悪臭が悪臭対策をしているのにもかかわらず鼻の奥に流れ込んできた。
腐敗臭とゴブリン独特の体臭が交じり合い、不快であり気分が悪い。
防臭対策をしてこれなのだから、してなければ入るどころか近づくことさえも拒否しためらうほどの悪臭に違いない。
隊列を組み少しずつ前進する。
前衛はリーナとノーラさん。その後ろにミルファ。後衛を私という隊列だ。
本当なら、私が前衛で、リーナが後衛としたかったのだが、罠がある可能性が捨てきれずにこういう隊列になった。
いざ戦闘になったら、リーナは後方に下がり、私が前に出るつもりだ。
しかし、その必要はなかったようだ。
最初こそ二列程度の幅しかなかった洞窟だが、ある程度まで行くと大きく広がっており、枝分かれしている。
多分、全部調べるのはとてもじゃないが時間が足りないし、危険すぎる。
だから、幅の広いところのみを調べていく。
床は、骨や食べ残しの残飯、糞尿で汚れ不衛生極まりない。
時折、食いかけの肉片とかがあるが、どうも同族の死体のようだ。
前日、私とミルファが倒した分なのかもしれない。
そんな不快な光景で、匂いだけでもムカムカするのに吐きそうな気分になってしまう。
それを何とか抑えつつ、前進していくと大広間みたいに開けたところにでた。
その奥の壁に祭壇らしきものが作られ、その近くに積み上げられていたのはハルカの実だ。
「おい、あれってハルカの実じゃ……」
ノーラさんが呟くように言う。
「ええ。そうですね」
それを見てなんとなくだがわかったのだろう。
ノーラさんがリーナを見て納得したような顔をした。
「それでいろいろ嗅ぎまわってたんだな……」
「そういうことです」
ミルファが返事をするとノーラさんはため息を吐き出した。
「まだ信用されてないみたいだな」
「ごめんなさい。簡単におおっぴらに出来るモノじゃなかったからね」
私が謝ると、「ハルカの実が絡んでるんじゃな。それにだ。あんたの判断は間違ってない。まだ私達は組んだばかりだからな。仕方ないってことだ」そう言って笑うノーラさん。
そしてその後、「今度は仲間はずれはなしでお願いするよ」と付け加える。
「わかったわ」
そう答える私に、「あと、さんづけはいらねぇよ。他人行儀過ぎるわな」とノーラは言う。
「わかったわ。ノーラ。私もアキホでいいからね」
「了解だ。アキホ」
そう返事をして周りを見渡す。
「それでだ。どうするよ?まだもう少し調べてみるかい?」
その言葉に、私は首を振る。
「お宝があるわけでもないし、生き残りが居ないのなら急いで村に戻りましょう。嫌な予感しかしないのよ」
「ああ、私もそう思うよ。とても嫌な感じだよ」
「それじゃあ、みんな外にでるわよ。でたら、洞窟の入口は破壊して生めてしまいましょう。ミルファ、魔法でいける?」
「任せなさいよ。派手なのは得意だからね」
「ハルカの実は?」
そう聞くリーナ。
この騒動の元凶になったものだけに気になるのだろう。
「とてもじゃないけど、量が多いし、持っていてもお金に出来るわけでもないし、リスクばかり大きすぎますから、ここに放置します。所持していて死刑になりたくないですしね」
最後は軽い口調だったが、リーナは真剣な表情で頷いた。
「じゃあ、撤収を開始しましょうか」
こうして、私達は急いで出口に向うのだった。
洞窟から出ると、ミルファの魔法で入口を破壊して洞窟に入れなくした後、私達は村に急いで戻る。
しかし、急ぎすぎて着いた途端ヘタって何も出来ない状態では意味がない。
だから余力を残しつつ、急ぐ。
多分、何も知らない元の世界の人は、そんな私達を見たら非難をするだろう。
だが急ぐ事は大切だし、村人達の命を粗末にしているわけではない。
何より大事なのは、自分の命や仲間の命なのだ。
だからこそ、私達は無言で途中一回だけ軽く休憩を取り、軽めの食事と水分補給、それに武器や装備の簡単な確認と点検をした。
予想通りなら、これから多分、何十倍と言う数の敵と戦わなければならないのだから。
そして、夕方近くになって村の近くまでたどり着く。
その途中で遭遇するかもしれないと警戒したが、遭遇する事はなくここまで来れた。
多分、遭遇したらもっと遅くなっていただろう。
そうすれば、よりこっちが不利になる。
ゴブリンたちは、暗視の目を持っているため、夜の行動も問題ないが、こっちは夜は光に頼るか、魔法のお世話になるしかない。
先行したリーナが帰って来る。
「多分、生き残りはいない。抵抗らしき争いの跡はまったくなかったし、村の中はゴブリンたちが我が物顔で歩き回っている」
そう報告し、リーナは険しい表情のまま黙り込む。
かなり悲惨な状況なのだろう。
「作戦はどうする?」
私がそう言うと、「数が数だけに時間がかかるとこっちが不利になるな」と呟くノーラ。
「夜になると、下手したらこっちが狩られる方になってしまう恐れがあるしね」
リーナがそう付け加える。
そう。出来る限り日が昇っている状態で決着を付けたい。
そう思っていたら、さっきから黙っていたミルファがリーナに尋ねる。
「連中、足腰しっかりしてた?ふらついてたりしなかった?」
そう言われ、考え込むリーナ。
「そういえば……。なんか少しふらついてたかも……」
「どういうこと?」
私が聞くと、ミルファはニタリと笑う。
「連中は、ハルカの葉が目当てで村を襲ったはずよね。つまり、それを手に入れたら何をすると思う?」
そう言われてゴブリン達の目的を思い出す。
「多分ね、ほとんどのゴブリンがハルカの葉と実でキメてるんじゃないかしら?実際に中毒の連中と戦った事あるから言える事だけど、それで戦うとなると戦闘力としてはかなり落ちる可能性が高いと思うの」
「それを踏まえればなんとかなるということかな?」
「まぁね。ただ、判断力や感覚が鈍っていると言う事は、痛みや恐怖なんかも感じにくくなっている可能性もある。だから注意は必要だけどね」
そう言って、座り込みミルファは村の建物の配置を簡単に書く。
みんなも座り込み、その図を見る。
ミルファは、図を指差しつつ、説明を始める。
「多分、こことここの間に敵を誘導できれば挟撃される事もなく戦えると思うのよ。まずは、大き目の魔法で広場にいるゴブリンの連中を攻撃し、派手に騒ぐ。そして私達はこっちから入り込んでここで戦うというのはどうかしら。ここなら、狭いから一気に押し寄せてくる事も出来ないし……」
「なるほど。なら、ここの広さ程度なら私一人で何とかなるな」
ノーラがそう言って自分の武器であるハルバードに視線を向ける。
「そうね。大型武器のノーラなら、一人で任せられるわね。私も魔法で援護するわ」
「ほほう。こりゃ頼もしいな。あんたの魔法の腕は今までの魔術師の中でも最高だからな」
ニヤリと笑ってそう言うノーラに「褒めても何もでないわよ」と言って笑うミルファ。
「私はどうすればいい?」
リーナがそう聞くと、ミルファは防衛線を張る反対側の路地を指差す。
「ここに入り込んでくるのを狩ってくれない?」
「それは構わないけど、アキホの方がよくない?」
そう言うリーナに、私は答える。
「私本来の戦い方だったら、そこは狭いかな……」
「狭い?」
リーナが聞き返すが、私はリーナに笑顔を返した後、ミルファの方を向く。
「私を防衛線から外したって事は……」
「そういうことよ、アキホ」
私を見てニヤリと笑うミルファ。
多分、ミルファは、私の実力ならそれが出来ると確信しているのだろう。
なら期待に答えないとね。
「ふふっ。わかったわ。遊撃にまわるわ。連中を誘導するなり、追い立てるなりしてそっちに向わせればいいんでしょ?」
「そういうこと」
「なら、私の道具と槍、預かっていてね」
「オッケー」
私とミルファで進む会話に入り込めず、驚いた表情のままのリーナとノーラ。
そして、はっと我に返ったのだろう。
「何で武器まで手放すんだ?」
「それに、単独行動は危険すぎます」
二人の言葉に、私は微笑んで答える。
「私、一番得意なのは、格闘なの。だから、槍もいらないし、荷物もない方が身軽になってすばやく動けるしね」
そう言って立ち上がると、篭手の拳の部分のカバーを下ろし、軽くステップを踏みながらパンチを繰り出す。
シュッシュッ。
ただ、風を切る音が響く。
「どう?」
そう言っておどけて見せると、ノーラが笑い出した。
「そうかい、そうかい。あんたの本当の戦闘スタイルはそういうことかっ。納得したよ、アキホ」
ノーラが立ち上がって拳を突き出す。
私も拳を軽く当てる。
「驚きました。私より素早いじゃないですか」
そう言いつつ立ち上がるリーナ。
「でも、素早いだけで、警戒や感知なんかはとても敵わないけどね」
「それでも、その素早さは大きな武器ですよ」
「確かに、あの素早さなら、私のハルバードを掻い潜って懐に入り込まれそうだ。無事帰れたら試合を申し込むぜ」
「いいわよ。その時を楽しみにしてるわ」
最後にミルファが立ち上がり、みんなの顔を見る。
「では、始めましょうか」
「ああ」
「ええ。行きましょうか」
「もちろんだ」
こうして、戦いが始まった。
広場には、魔術師らしきゴブリンと側近らしいホブゴブリン二匹がなにやらわめいているが、なんせ薬をキメているものばかりの為、統率は取れていない感じだ。
ざっと見て、広場にいるのは二十匹程度。
そろそろかな…。
そう思っていたら、魔術師らしきゴブリンを中心に三本の火柱が立つ。
その場に居たほとんどのゴブリンが巻き込まれ、当たりには悲鳴が響く。
直撃しすくに倒れるもの。火達磨になって逃げ惑うものの少し歩いて崩れ落ちるもの。
さまざまだが、ここにいたほとんどのゴブリンたちは全滅したと思っていいだろう。
そして、わざと派手に声を上げながら村に突入していくミルファ達三人。
私が静かに村に入る込んだのとは正反対だ。
その音と光に反応し、家々からゴブリンやホブゴブリンがでてくる。
そして、ほとんどの連中が侵入者であるミルファ達に向けて動き出す。
薬をキメても恐怖に駆られるものはいたのだろう。
反対方向に駆け出すゴブリン達の前に私は立ちふさがって構える。
ゴブリンたちは武器を取り出し、私に襲い掛かってこようとする。
その攻撃をすーっと軽く身体を揺すってかわし、拳を軽く叩きつける。
パンッ。
乾いた打撃音が響き、襲い掛かってきたゴブリンが吹き飛ぶ。
私は、リズムに乗るかのように身体を動かす。
そして迫ってくるゴブリン達に拳を食らわせていく。
五、六匹倒しただろうか。
襲い掛かってくるゴブリンは気がついたようだ。
単体では自分達がどうしても勝てない相手だと。
ならこれはどうだと、二匹での連携を取った攻撃。
まぁ、連携と言うより、同時に攻撃と言った方がいいのかもしれない。
ゴブリン程度の知能なら複雑な連携なんて取れないと思うから今の連中に出来る精一杯の攻撃だ。
ゴブリン達の攻撃は単調で読みやすい。
その攻撃を気配感知で感じつつかわしていく。
そして懐に入り込んで殴っては離脱を繰り返す。
気がつくと私の周りには二十匹近くのゴブリン、ホブゴブリンだったものの肉片が転がっていた。
「ほうれっ…」
楽しそうにハルバードを振り回すノーラ
そして、そこから漏れた相手に魔法の矢を放つミルファ。
あっという間にゴブリンとホブゴブリンだった肉片の山が出来上がる。
路地の方に回りこんでくるゴブリンやホブゴブリンはいないようだ。
それでも警戒しつつ、リーナは目の前の戦いを見る。
圧倒的だった。
ここまで圧倒的とは思わなかった。
あの火柱の魔法にしたって、かなりの威力だし、今放っている魔法の矢にしてもかなりの威力がありそうだ。それに、ゴブリンの巣でもかなり強力な魔法を使っている。
どれだけの魔力があるのだろうか。
そして、あの圧倒的暴力を体現したようなハルバードの攻撃。
大降りでありながら相手の動きを読んで振り回される凶器は、間違いなく連中にとって最悪な攻撃だ。
これらと対峙したゴブリン達に同情したくなるほどに……。
私なら、さっさと逃げるね。
そう思うリーナだったが、ゴブリンは薬でラリっているのかただ突っ込んでくる。
恐怖を感じないとかえって危険だなと思う。
ともかくだ。ここは問題ない。
心配なのは単独行動して遊撃にまわっているアキホだ。
確かに彼女はかなりの使い手だろう。
動きを軽く見ただけでその実力は垣間見れた。
しかし、心配はしてしまう。
私にとって彼女は友なのだから。
そして、リーナは驚く。
自分が誰かを心配し、無事を祈りたいと考えている事に……。
何年ぶりだろうか。
こんな気持ちになったのは……。
昔なら、こんな気持ちは邪魔なだけだと思っていたが、今は悪くないと思っている。
ふふふっ。
リーナは無意識のうちにそんな変わった自分がうれしくなっていた。
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