覚醒の章  2-6

「しかし、よかったんですかね……」

女の後ろをまるで従うように歩きながら男が声をかけてくる。

「かまうもんか……」

女はそう答えて足を止めた。

「ですが、せめてお館さまに連中が動いているとだけでも知らせるべきでは……」

その言葉を聞き、女は振り向く。

その表情には怒りがにじみ出ており、元々気が強そうな顔がより険しくきついものになっていた。

「どうでもよいわ、あんな男なぞ……」

その剣幕に後ろから付いて歩いていた男は後ずさる。

言葉を返すことなど出来ない。ただただその怒気に圧倒されてしまう。

彼の経験上、こういうときにいろいろ言うものではない。ただ黙って従うだけでよい。

そう考え、ただ頭を下げる。

そんな男の態度には目もくれずに女は言葉を続ける。

今の彼女には男の恐れおののく様子など目には入っていない。

ただ脳内に浮かび上がるニタニタしただらしない男の顔だけが今見えているもののすべてだ。

「他の女にうつつを抜かし、自分の大切な息子の事をないがしろにする男などわが一族に要らぬ」

それは彼女の本心である。しかし、それが全てではない。

その証拠というわけではないが、一瞬だけだが目が寂しそうな色を浮かべた。

しかし、それもすぐに怒りの底に飲み込まれていき、怒りに身を任せて感情を押し殺していく。

そして、怒気から隠微な笑みへと変化する。

「あのまま、連中にあの女と共に殺されればよいわ。それがあの男の末路に相応しいわ」

そしてくくくくっと笑う。

怒りと妬みがそうさせているとはいえ、その様は愛憎をごちゃ混ぜにした複雑な心境がそうさせているように男には思えた。

決してこの女が、お館様を愛していないわけではない。

いや、愛しすぎてしまったがゆえに……。

たが…、それは…

そこまで考えて、頭を振る。

今更考えても、もう道は分かれてしまっている。

決めたのだ。我々は……。

このお方についていくと……。

そんな事を男が考えている間に、女の笑いが収まって思い出したかのような表情を浮かべてやっと視線を男に向けた。

「ところで、例の準備はどうなっておる?」

「はっ。資金の半分近くはお館様には秘密で例の場所に移動させております。また、この国の情報などもまとめさせて用意を終わらせております。ご命令さえあれば、すぐにでも亡命の出来る様になっておりますのでご安心を」

頭を下げて男は報告する。

しかし、女が欲しかった情報はそれだけではなかったのだろう。

眉がピクリと動き、目つきが鋭くなる。

「私が知りたいのは、わが子のこと。わが子の移植の件はどうなっているのじゃ?」

その剣幕に慌てて男が報告する。

「はっ。明日の昼には移植技術を持つ医療魔術師と魔術に必要な触媒もそろう予定になっております。よって問題がなければ昼から移植儀式を行い、夕方までにはここを離れることができるかと思います」

その報告を目を細めて聞いていたが、満足したのか女は再び進行方向を向いて歩き出す。

そして、女の口からは呟くような声が口から漏れた。

「もう少し、もう少しだよ。きっと助けてあげるからね……」

男にもその言葉は聞こえていたが、ただその後を黙って従うようについていった。



「どこに行こうというのかな?」

月明かりの中、浮かび上がった私と同じ程度の年齢の女性がそう聞く。

金髪のふわふわの髪と真っ白な肌に細くきつめの目。それでいて綺麗に整って顔。そして真っ黒な漆黒のようなゴスロリ。

そう、イセリナだ。

南雲さんといる時の無邪気でかわいい彼女ではない。

人を見下し、いたぶる事に喜びを見出すかのような『吸血鬼の』彼女がいる。

だがそんな事はどうでもいい。

私にはしなければならない事がある。

だからここで彼女と押し問答をする時間などない。

何も言わずに戻ろうとする私にイラついたのか、イセリナはちっと舌打ちすると再度聞いてきた。

「せっかく出れるのに、どうして戻ろうとする?」

すーっと私の進行方向に動いて邪魔をする彼女に私もイラつき、口を開く。

「そこをどいてっ。私はニーニャを助けるのっ」

その言葉に、イセリナは大げさに驚きの表情を見せる。

「なんだ?騙して誘拐の片棒を担いだやつを助けると?」

くっくっくっ……。

イセリナは楽しげに笑い、私を見下げた視線で見る。

「お前は、馬鹿か?」

そう言って少し考え込む。

「馬鹿と言うよりアホと言ったほうがいいのか、この場合は……。あるいは……うーむ……」

変なところで思考の空回りを見せるイセリナだが、それを無視して戻ろうとする私の手を掴み引き寄せる。

その勢いで相手の息がかかるほどぐっと顔が近づく。

口角がそり上がり、唇の割れ目から尖った牙が現れる。

「人の話しは最後まで聞くもんだぞ」

抵抗して手を振りほどこうとするものの、まるで鉄の塊で固定されたかのように動かない。

しかし、私は決めたのだ。

ニーニャを助けると。

無駄な抵抗であろうと私は決して諦めない。

「離せっ……、このっ……」

私の様子にイセリナは呆れた顔をする。

「困ったねぇ。どうしたもんか……」

するとすーっと影から人影か現れる。

黒装束に身を包んだマリサさんだ。

「霧島様に協力すべきかと……」

「なぜだ?」

「このままでは埒が明きませんし、あまりにうるさいと『静音』の魔法を使っているとはいえ連中に気づかれてしまいます」

その言葉に、ニタリと笑みを浮かべるイセリナ。

「ならこのまま力づくで連れて帰ればいい」

そう言うイセリナに、マリサさんはふうとため息を吐く。

「そんな気はまったくないのでしょう?イセリナ様」

その言葉に、イセリナがちっと舌打ちする。

どうやら図星だったようだ。

「わかったよ。やりづらいわ、あんた相手だと……」

そして、イセリナは私の顔をずいっと自分の方に向かせて聞いてくる。

「ニーニャを助けたいのはわかった。なら理由を話せ。そうすれば考えてやる」

私はイセリナを睨みつける。

「いいわ。話して上げる。理由を聞いたら、この手を離しなさい」

イセリナの目が細まり、楽しげに口が歪む。

「わかった。約束してやる。だから話せ」

私はイセリナを睨みつけながらはっきりと言った。

「彼女は私の友人で、ただ友人を助けたいだけよ」

その言葉に、イセリナは表情が固まった。

マリサさんは無表情のままじっとこっちを見ている。

ほんの数秒だが沈黙が周りを支配した。

しかし、その沈黙はくっくっくっくっというイセリナの笑いで破られる。

「友人だから助ける。騙されて、誘拐されたというのにか。くっくっくっ……、なるほど、なるほど……」

独り言のようにぶつぶつと言葉を吐き出し、イセリナは私を掴んでいる手を離す。

すーっとイセリナは私を見た。

その目にはもう楽しいものを見たという喜びの色が見え隠れしている。

「いい答えだ。なかなか言えないぞ。そういう事は……」

いきなりのイセリナの変化に私は戸惑う。

私は別にへんな事は言っていない。

ただ思っていることを言っただけだ。

しかし、イセリナの中では、私の言葉は別のものに聞こえたのだろうか。

「いいだろう。友人のためと言って命を張る。なかなか楽しいではないか。なぁ、マリサ」

イセリナはそう言いながらマリサさんを見る。

しかし、マリサさんは無言のままイセリナを見ているだけだ。

「くっくっくっくっ……。まるで誰かさんと一緒じゃないかっ。本当にお人よしで、馬鹿で、そして…」

今までからかうような冷たい口調だったものがすーっと熱を持ったものに変わる。

「暖かいあの方のようだ……」

目を細め、頬を少し赤らめる様子はまさに恋する乙女のようだ。

「そうですね」

沈黙を守っていたマリサさんがそう呟く。

「くっくっくっ……。そうだ。そういうことなんだな。いいだろう、霧島秋穂」

すーっと右手の人差し指を私に向けてイセリナが宣言する。

「お前の望みをかなえるため、我らはお前に協力しょう……」



少し時間がかかたったがイセリナと一緒に来た道を戻っていく。

マリサさんは別に調べる事があるらしく、今は一緒にはいない。

警戒して進む私の後ろで無警戒に歩いてついてくるイセリナを見ていると今自分がやっている事が無駄じゃないかとも思えたが、それは実力の差という事にしておく。

或いは、無警戒のようで警戒しているのだろうか。

ともかく、やっと私が捉えられていたところまで後少しというところで、前方からざわつきと何人かの走ってくる騒がしい音が響く。

「ああ、来たようだぞ。お前の実力を見せてもらおうか……」

そんなことを言いつつ霧のようになって姿を消すイセリナ。

「協力してくれるんじゃないの?」

少し嫌味っぽく言ってやる。

もとより一人で戻るつもりだったから期待はしていない。

「なぁに、危なそうだったら手伝ってやるよ」

上から目線のその言葉に、私はふんっと鼻を鳴らすだけにとどめた。

なぜなら、前方の扉が開き、男が3人現れたからだ。

それぞれが違う形の革製の鎧を身にまとい、一人は筋肉むきむきの大男で背中に大剣を、残りの二人は普通の体格だが腰に剣をぶら下げている。

彼らは私を見つけると武器を抜いた。

「こんなところにいやがったか、このアマ」

「逃がすなよ。逃がしたら俺達殺されてしまうからな」

「手足は構わないが、身体と顔は傷つけるなよ」

まさに三下と言う感じだが、果たして私の格闘技が通用するだろうか。

旅の途中でやった模擬戦では、訓練された兵相手でもほとんど勝てていた。

しかし、練習と実戦では大きく違う。

一つ間違うだけで、終わってしまう事さえあるのだから。

すーっと汗が流れる。

篭手をつけた手をぐっと握り締めて構える。

その様子を見て、男達がせせら笑う。

「おいおい、このお譲ちゃんは、俺らと戦うつもりだとよ」

「そんな変な構えで俺達を倒そうってのか?」

「おおっ、怖い怖いっ。怖いよぉ~」

笑いながらの見下しとからかいの言葉だが、それを私は受け入れる。

それはつまり、油断しきっているという事になるからだ。

まずは一番手前の男から…。

私は一気に距離をつめると身体を沈みこませて思いっきり革鎧の上から鳩尾の部分を下から打ち上げる。

男の身体が浮き上がり、一気に見下した表情が驚きのものへと変わったが、それ以上変化はしなかった。

いや、それ以降の顔の変化を確認できなかったというのが正しいだろう。

なぜなら、そのまま勢いに任せるように後ろに飛ばされて壁にぶつかってしまったからだ。

多分、死んではいないと思うけど、かなりの手ごたえがあった。

人を殴る感触…それを感じた瞬間、ゾクリとしたものが背中に走る。

ぶるりと身震いしそうになった。

しかし、今はそんな暇はない。

わたしはそのまま次の男に向かう。

仲間が倒されたのを目のあたりにして、男達はパニックになっている。

簡単に捕獲できそうな相手が、実は恐ろしい猛獣の類であるとわかったからだ。

慌てて剣を構えるがもう遅い。

私は二人目の懐に入り込む。

男は慌てて剣を振るおうとするが、私はその一撃を剣の根元の部分を滑らせるように右手の篭手で受け流す。

そして左手の拳を鳩尾の部分に叩き込む。

「ぐふっ…」

男の悲鳴が口から漏れるが関係ない。

そのまま男の身体を押し込め、盾のようにしながら三人目のほうに踏み込む。

三人目の大剣使いは剣を振るおうとするが、仲間の身体と狭い部屋の中のため思ったように剣を振るえない。

そして、その隙を私は見逃さなかった。

盾にしていた男の身体を相手のほうに押し込み、大剣使いの懐に入り込む。

大剣使いは、押し込まれた仲間の身体を避けながら大剣から手を離し、体制を整えようとしたもののすでに遅い。

私は懐に入り込み、拳を打ち上げる。

吹き飛びはしなかったもののぐらりと身体がゆれ、大剣使いの大きな身体がその場に崩れ落ちる。

「ふう……」

私は、三人が完全に戦う能力を失っているのを確認すると息を吐き出した。

パチパチパチと手を叩く音が響く。

いつの間に現れたのかイセリナが面白いものを見たという感じで手を叩いていた。

「話には聞いていたが、なかなかやるじゃないか。油断していたとはいえ、そこの大男を一撃とは……」

「何?こいつ、知り合いなの?」

私が怪訝そうな目をしてイセリナを見ると、イセリナはふふんと鼻で笑う。

「なぁに、ここ最近、我の領地の近くで暴れているところを眷属が見かけてな。かなりスタミナとか頑丈さはありそうだったからな…」

「あ、そう……」

つまり、狭い部屋という利点があったとはいえ、そこそこ強い相手に渡り合えるという事は、ある程度は私は強いのではないだろうか。

自分の手を握ったり、緩めたりを何回か繰り返す。

しかし、今、人を思いっきり殴った時の感触は何だったのだろうか。

それこそ武道大会で防具をつけてとはいえ、今まで何度も人を殴った事はある。

しかし、今回のようなゾクリとしてものが背中に走ったりはしなかった。

ただただ拳に感じる痛みと衝撃だけだった。

だけど……、なぜ……。

実戦だからなのだろうか……。

そんな事を考えていると、イセリナが顎を右手で触りながら言う。

「いいのか?」

「な、何がよ?」

私の言葉に、呆れ返った表情を浮かべるイセリナ。

「男達が来たと言う事は……」

イセリナは、そこで言葉を止める。

いや、最後まで言わなくても私には意味がわかった。

すーっと血の気が引く。

彼らがここに来たと言う事は……。

私は、慌てて駆け出した。

もう、一刻の猶予もないという事がわかって……。

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