第38話 モテ男のさだめ

新宿のカフェで僕は茂手木もてぎ先輩と仲真なかま友樹ともきに、今後女子たちから「1ステージ上」を求められたら果たしてどうするべきか、教えを乞い求めていた。


先輩はしばらくの沈黙ののち、ゆっくりと口を開いた。


「それはつまり、いわゆるABC的な話だよな?」


「そうです」


僕はうなずいた。


「それは本質的にして、実に奥の深い問題だな。


何しろ、きみ自身の肉体的欲望の問題と、直接つながっているんだから。


だが、僕はきみ自身の欲望や感情をあえて無視して、理想論だけ言わせていただく。


本来は因数分解出来ないものをあえて分けてものを言うわけだから、当然無理が生じるだろうが、問題点を明らかにするためには、それもいたしかたないと思っているんだ。


ズバリ、言おう。当面、きみに許されるのはキス、それもとても軽い、一瞬だけのキスだ」


僕は息を呑んだ。


「軽いキス、だけですか?」


「そうだ。それ以上は、何もしちゃあいけないってことだ。


おや、なんとなくガッカリしたような表情をしているね。


まぁ、無理もないよな。軽いキスなんて、これまできみがしてきたハグと似たようなレベルのことだからな。せないのも分かる。


じゃあ、理由をきちんと言うことにしよう」


そう言って、彼はジャケットの内ポケットから一冊の新書サイズの本を取り出した。


赤一色の表紙。まるで某国の国家主席語録のような体裁の本を見せながら、先輩は言う。


「これは僕が日頃愛読し、大いに参考にさせていただいている本だ。


著者はかつてカリスマキャバ嬢と呼ばれ、業界入り以来史上最高記録の売り上げを達成しながらも3年で引退、その後顧客層からの膨大な支援をバックにアパレル会社を創設、今はカリスマ女社長として倍々ゲームでビッグブランドへの道を邁進まいしんしているという星崎ほしざき聖奈せいなさんだ。


その中に、こういうくだりがある」


先輩は付箋を挟んでおいた箇所を開いて、読み始めた。


「わたしの信者たちは、何も与えなくともわたしのことをあがたてまつってくれる。


だが、まったく何も与えないでいると、彼らもそのうち飢え死にしてしまう。


めすなわちわたしへの崇拝も、そこで途絶えてしまう。これでは元も子もない。


だからわたしは彼らに、最小限のご褒美だけは与える。


たとえばごく軽い、一瞬だけのキス。


これが普段から飢えに飢えている彼らには最高のご馳走となる。またわたしの元へと通おうというモティベーションになる。


わたしから軽いキスをもらうだけで、彼らは天にも昇る気分となれるのだ。


信者がそういう風になるためには、普段から愛情を大盤振る舞いしてはダメだ。飢え死に寸前になるまで、愛に飢えさせておかなければいけない。


普段から十二分な食事を与えられていては、どんなご馳走でもまず喜ぶことはないが、粗末な食事しか与えられて来なかったものにとっては、軽いキスでさえも奇跡的な聖餐せいさんとなる。


だからわたしは心を鬼にして、普段は信者たちに粗食しか与えない。


余計な情けを出していては、カリスマ的存在には到底なれないのである」


先輩は本を閉じて、ニヤリと笑った。


「どうだい。僕の考えが、いまの彼女の文章からおおよそ分かっただろ」


僕はその言葉に、無言でうなずいた。


「きみは自らの欲望から相手にキスをするのではなく、彼女たちより常に優位でいるための手段として、キスをレアなご褒美として与えねばならないのだ。


だから、ディープなキスは、ゆめゆめご法度だ。


それはきみ自身の性的欲望を呼びさましてしまい、ミイラ取りがミイラになりかねない危険性をはらんでいる。


とにかく一瞬だけ、風のようなキスをする。


ハグをするにしても、むやみに性的なニュアンスを込めてはいけない。あくまでも欧米人が日常的にするようなスキンシップ、コミュニケーションの一環にとどめておく必要がある。


もし相手からそれ以上のものを求められても、たくみにかわさないといけない。『それは僕たち高校生には、まだ早すぎる』とか言ってね。


幸いというかなんというか、国貞くにさださんも屋敷やしきさんも平均的なJKとは違って、これまでずっと本来の自己の欲望を抑制してきた子たちのようだ。


だから、そういう禁欲的な考え方に対しても、さほど拒否感はないはずだ。むしろホッとして、きみに対する信頼の情を深めるのではないかな。


ただ、一番最後に登場した清河きよかわさん、彼女は要注意だろうな。


渋谷での様子を聞く限り、彼女はかなり突発的な行動に走る危険性が高い。その要求を拒否することで、さらにその上をいく突飛なことを仕掛けてきてもおかしくない。


だから、用心するに越したことはない。


ともあれ、これでモテ道とは意外とストイックなものだということが、きみにも分かったんじゃないかな。


キスひとつだって、気軽に出来るわけじゃないんだから。


セルフコントロール、そして相手のコントロール、ともにけた者でなくては、真のモテを成就じょうじゅできないのだよ」


いたずらっぽく、先輩が笑った。


「はい。そうですね。まるで『葉隠はがくれ』のようです。にんの一字ですかね」


僕がそう感想を述べると、今までずっと聞いていた仲真が反応した。


「ホッシー、それそれ、それなんだよ。モテるって、結構大変なことなのさ。


だから、僕は危うきに近寄らず、すべての女子とはお友達スタンスを保っている。あえて火中の栗を拾うホッシーには頭が下がるよ」


これには僕も、苦笑いだった。


「まったくよく言うよ、仲真。


実際、ラクじゃないことがこれでよく分かった。でも、モテたいという気持ちに変わりはないさ。


やるからにはとことんやって、モテどうを極めてやるよ」


仲真はそれを聞いて、顔をほころばせた。


「それでこそ、ホッシーだよ。ヒューヒュー!」


それってエールなのか、ただの冷やかしなのか。まぁ、どちらでもいいけど。


先輩が穏やかな表情で語った。


「気持ちがしっかりと固まったようだね、相賀あいがくん。


モテるという大目標を極めるためには、おのれの諸々の欲望を最大限セーブしていかないと、たどり着くことは出来ない。


そういうある意味、絶対的な矛盾と対峙たいじしなくてはならない。仙人になる修行にも似ているな。


きみはその覚悟が出来ているようだ。さらなる研鑽に励みたまえ」


「分かりました。ご教示、ありがとうございます。


さっきの星崎さんの本にもとても興味が湧きましたので、後で本屋で買って帰ろうかと思っています。


ところで先輩、この後はご予定があるんですか?


出来ればもう少しお時間をいただいて、さらにいろいろなお話をお聞き出来るとありがたいのですが」


最初に「30分でも」と言った手前、図々しい頼みではあるなと思いながらも、僕はダメ元で先輩に尋ねてみた。


困惑を隠しきれない表情で、先輩は答えた。


「うーん、申し訳ないんだが、実はこのあとすぐ、別のひとと会うことになっているんだよ。


悪いけど、また学校でな。いつでも呼び出してくれ」


やっぱり、ダメだった。モテる茂手木先輩だけにその別のひととは、たぶん「彼女」なんだろうな。


僕のはす向かいの仲真は、意味ありげに小指をちょっと立てているし。


「彼女」に対してマメになれない男は、モテない。


それは古今東西を通じての、普遍の真理だ。


そう、モテ男に、完全オフの休日は許されない。それがさだめなのだ。


そして僕も、モテ男を志願した以上、同じように覚悟を決めなければならない。


女子連中と関わることなく過ごせる休日など、これが最後になるのかもしれないな。


僕は一縷いちるの望みをかけて、わが朋友に尋ねた。


「仲真は、このあと時間あるの?」


仲真は指でOKサインを作りながら、微笑んだ。


「僕は大丈夫。きょうはホッシーに付き合うよ」


「ありがとう。持つべきものは、なんとやらだな」


なんとか、朋友は繋ぎ止められた。これでひと安心だ。ぼっちで1日過ごすのは、少々辛いものがあるからな。


「じゃ、僕はこれで失礼」


そう言って立ち去る先輩を見送ったのち、僕と仲真は河岸かしを変えることにした。


向かう先は、新宿西口公園。


それ以外に仲真のほうからカラオケに行くという提案もあったが、昨日のきょうで2日連続カラオケというのもどうかと思ったし、きょうは天気も悪くないので1日屋外で過ごすのもありだろう、ということで公園行きに決まった。


日曜日だから、公園で何かしらのイベントをやっているかもしれない。


僕はすでにブランチをとっていてお腹は空いていなかったが、仲真は起きてからまだ何も口にしていないと言うので、道すがらのコンビニでサンドイッチやおにぎりなどを購入した。


目的地の公園で、思いもかけぬ椿事ちんじが待ち構えていようとは、そのときの僕たちは、もちろん知るよしもなかった。(続く)


(お断り)星崎聖奈は架空の人物です。ご了承ください。

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