第34話 カオスなカラオケ

国貞くにさだ淑子としこ屋敷やしき美禰子みねこ清河きよかわ澄美すみの3人との渋谷デートの第3ラウンド、カラオケ合戦はいよいよ彼女たちの最終決戦場の様相を呈して来た。


ギャル人気絶大の我那覇ナミガナちゃんナンバーという必殺技をいきなり繰り出して来た清河に対して、何かを決意したのだろう、国貞はトレードマークの眼鏡を顔からゆっくりとはずした。


国貞の本気マジスイッチが入ったーー誰もがそう感じた瞬間だった。


僕は(たぶん他の3人もそうだろうが)、初めて裸眼状態の国貞を見た。


これまで眼鏡越しでも分からなくはなかったのだが、じかに見ると彼女は、とても長い睫毛まつげと澄んだ大きな瞳をしていた。そのまなじりはかすかに上がり、彼女の意志の強さを感じさせた。


すでに曲は入れてあったのだろう、スローテンポのバラードが流れ始めた。


ディスプレイに映し出された曲名は、「告白(I Love You)」。


1974年、キャサリン・マクリーンの曲とある。この曲、僕も知ってる。母がよく聴いていたからだ。


キャサリンはニュージーランド生まれの女性歌手。ブロンドの髪にあおい眼という典型的な白人美女で、70年代に全世界でブレイクした人だ。


日本でも凄い人気で、のちに安珠あんじゅという女性シンガーソングライターが「キャサリンの歌が聴こえる」というオマージュ・ソングを出したくらいだ。


「50年近くも前の曲、どうして知ってるんだよ。きみ、本当はいくつ?」とツッコミたくなる衝動を抑えつつ、僕は正面フロアに立ってマイクを構えた国貞を注視した。


「I am always looking for a man


That I can I really turn to」


流暢な発音で歌い始めた彼女。英語の成績がいつも上位な彼女らしい。


澱みなく歌詞が、彼女の唇から流れ出ていく。


だが、その視線は歌詞が映し出されるディスプレイにではなく、僕を直接捉えていた。


彼女の大きな瞳に、僕の顔が映り込んでいる。


『えっ、国貞はこの曲の歌詞を、全部暗記しているの?』


僕はそう驚かざるを得なかった。


その後も、国貞の視線は僕を完全にロック・オンし続けた。


「You never said a word of love to me


But you did everything you can do for me


That’s good enough to please me


I believe you’d better know my feeling


国貞の眼差しは、歌い進むにつれて熱っぽさを増していく。


「I love you, dear


I love you forever」


その歌詞を唄うときの国貞は一瞬眼を閉じ、口づけをする時のように唇をすぼめた。僕はドキッとする。


こうなるといかに鈍感なヤツでも、この「告白」というバラード曲は、ひとりのリアルな男性(つまり僕)に対して歌われていることは明白にわかった。


僕の右隣りにいる屋敷は「ぐぬぬぬ」という声にならない声を獣のように上げているし、対面の清河はやはり同様に歯噛みして、敵意ある視線を国貞に向けている。国貞の挑発行為に、一座は一触即発状態だ。


曲は4番コーラスまで延々と続いた。


サビのたびに国貞はキスの表情となり、最後は艶っぽい溜息混じりの「I love you forever」を、僕の目を再びしっかりと見つめながらささやいたのだった。


曲が終わるや、僕は思わず拍手をした。惜しみなく。


「淑子、とても素晴らしいよ。選曲も、歌いっぷりも最高だ」


他のふたりも(いかにもイヤそうではあったが)それに続いて手を叩いた。


「いつかこの曲を唄うチャンスがあるんじゃないかと思って、1年ほどひそかに練習していたの。


その甲斐があったわ」


顔を少し上気させながら、国貞はそう言って、僕の左隣りに戻って来た。そして再びその足を僕の足に重ねてきた。


清河、僕、国貞と来ると、お次は当然、屋敷の番だ。


彼女も覚悟を決めたようで、しっかり曲を入れていた。


「やられた!って感じ。


ここまでベタに、ど直球な曲をやるとは思いもしなかったよ、クニクニ。


でも負けないよ、わたしも」


そう言って、屋敷は立ち上がった。曲がほどなく始まった。


重厚なストリングスのイントロ。


僕も記憶にある曲。そう、女性演歌歌手・加賀かがしおりの「いのち燃ゆ」だ。


加賀は歌手歴約50年の超ベテラン。10代半ばにアイドルとしてデビューしたが、じきに演歌畑にシフト、その歌唱力で数々のヒットをものにした人で、中でも「いのち燃ゆ」は最大のヒット。いまだにカラオケリクエストでベストテンをキープしている。


いわば加賀しおりの、キラーチューンだ。


「ふとしたはずみに ぎつけた


わたしのではない 誰かの香り


あなたの胸に 住んでいる影


抱かれながらも そのひとを呪う」


16歳の少女にしては、あまりにドロドロとしたエロティックな歌詞をさらりと唄い始める屋敷。


その歌声、節回しは意外と安定していて、危なげがない。要するに女子3人の中では、一番上手い。


さすが、和風スタイルの生活が板についた屋敷だけあって、演歌はピッタリだ。


いま着ているゴスロリワンピだけはいかにもミスマッチだが、まぁそれも一興だ。ゴスロリ演歌、意外といけるかも?


「会えばいつもの いさかいを


繰り返しながらも 別れぬふたり


嘘と知りつつ 甘い言葉を


交わせば心も からだも濡れる」


こうして改めて歌詞をディスプレイに映し出された文章で読むと、相当アブない女とのアブない恋を歌った曲なんだなと再認識する。


屋敷も恋のためには理性を失って、とことん奈落まで堕ちていくタイプの女なのか?


前髪の長い屋敷は、国貞と違って目を見せない分、先ほどの国貞みたいな僕を圧迫、圧倒してくる勢いは感じずにすんだが、それでも要所要所でエグい歌詞が僕をドキッとさせた。


「何度も何度でも むさぼり求め合う


最果ての宿で 心たぎらすふたり」


二度ともう会ってはいけない相手だと理性では分かっていても、からだがその男を求めてしまう。そんな背徳的な恋に身を焼く女。


僕にはとても想像がつかない世界だが、どうやら屋敷は国貞(そしてひょっとすると清河も含めて)別の女とひとりの男を奪い合っているという今のシチュエーションと、この歌の世界を重ね合わせているかのようだった。


ある意味、スゴい「ヒロインりょく」だ。怖くすらある。


「あなたとこのいのち 燃え尽きるまで」


最後のフレーズを唄い終わった彼女は、憑き物の落ちたような、この上なく満足げな表情を浮かべていた。


それは「魂の浄化カタルシス」と言ってもよかった。


学校での、いるかいないかよく分からない、存在感を消した屋敷からは想像もつかない彼女を目の当たりにして、僕は感動に近いものを覚えていた。


恐るべし、カラオケの力。


歌はそのひとの本性を、むき出しにする。


僕は力の限り強く手を叩きながら、頬を上気させたままの屋敷に声をかけた。


「おつかれ、美禰子。


とてもよかったよ、恋人への強い思い入れが感じられて。


さて、これで一巡だな。


きみが熱唱している間に、スタッフさんが飲み物を運んで来てくれたようだから、乾杯といこうか、みんな」


「そうね、わたし消費カロリーの高い曲を唄ったから、喉が渇いちゃって」


そう言ったのは、清河だ。


他のふたりも異存はなかった。


僕はコーラ、国貞はオレンジジュース、屋敷はジンジャーエール、清河はウーロン茶を手に取って、乾杯!!


清河は見る間にウーロン茶を飲み干して、グラスを空けてしまった。


「すげー勢いだな、清河さん。一気飲みかよ」


「あー、スッキリした!」


清河は気持ちよさそうに言った。



と次の瞬間、顔色を真っ青にしたお店のスタッフが部屋に飛び込んで来た。先ほど、ドリンク類を持って来た男性だ。


息を荒げながら、僕に聞いてくる。


「すみません、さっきのドリンクオーダー、もうお飲みになられましたか?」


「うん。飲みましたが、何か問題があったんですか?」


「実はこちらにお運びした後に、別のお客さまにもドリンクをお持ちしたのですが、そちらで『ウーロンハイを頼んだのに、ただのウーロン茶になっている』とお叱りを受けまして……。


もしかして、こちらに間違ってウーロンハイをお持ちしてしまったのではないかと……」


僕、国貞と屋敷は、思わず顔を見合わせた。


僕たちが恐るおそる残りのひとりの方を見やると、そこにはすでに陶然とうぜんとして顔を赤らめている清河の姿があった。(続く)



(お断り)キャサリン・マクリーン、加賀しおりは架空のアーティスト名です。また、「告白(I Love You)」「いのち燃ゆ」という曲名も、ともに架空のものです。ご了承ください。

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