第22話 国貞淑子の憧れ

風紀委員清河きよかわ澄美すみという予期せぬ新キャラによる妨害工作のせいで、その日の昼食タイムはまるで盛り上がりを欠いたものになったが、とりあえず僕的にはまったく問題なかった。


このまま、バカップルならぬ「3バカ隊」の行動がどんどんエスカレートしていって、良からぬ評判が校内じゅうに広まるのは、僕としては避けたいところだったからね。


むしろ心中では、ストッパー清河投手の登板に拍手喝采して喜んでいる僕だった。


もちろん、女子ふたりの前ではそんなこと、おくびにも出すわけにいかないけどね。



昼休みが終わり、僕たちは2Bの教室に戻った。


あまり興味の湧かない数学の授業を聞き流しながら、僕はふと思った。


「昨日僕は、水曜日の約束を果たして屋敷やしき美禰子みねこを家まで送って行った。


ということは、きょうは当然、残る国貞くにさだ淑子としこを家まで送って行く番になるよな。


昼休み、茂手木もてぎ先輩にこう言われたっけ。


『ひとりの子と少しだけ親しい関係になってしまった以上は、バランスをとって、もうひとりの子とも同じぐらいのところまで仲を深めておいた方がいい』


ということは、きょうもある程度のところまでは捨て身になって、相手のふところに飛び込んで行けってことか。


国貞がこれまでとってきた行動から推測するに、彼女も家までやって来た僕をそのまま帰すとは、とうてい思えない。


当然、何かしらの引きとめ策を講じてくるはず。


それを出来る限り受け入れるようにして、でもある一線は踏み越えないようセルフコントロールしろってことだな、うん。


国貞の家庭はかなりトンデモなところのある屋敷家に比べたら、まぁ常識的なほうだろうから、昨日のような想定外の珍事はそう起こらないだろう。


楽勝、楽勝」


そんな計算をして、ひとりニンマリしている僕だった。


      ⌘ ⌘ ⌘


放課後になった。


きょうは部活などの用事もないので、そのまま帰宅する日だ。


僕が席を立ち上がろうとすると、当然ながら後方の席から、国貞がいそいそと僕のもとへやって来た。


「じゃあ屋敷さん、きょうはわたしのターンね」


国貞が僕の隣りの席の屋敷に、そう声をかける。


屋敷は、こう返事をする。


「そう…、そうだったね、クニクニ」


屋敷はそして、僕にもこう言った。


少し淋しげな声で。


「ホッシー、また来週ね。バイバイ」


そのままあっさりと、ひとりで教室を退出する屋敷だった。


「ふぅ、余計者がようやく消えたわ」


屋敷が帰ったとたん、ひどいキャラに変わる国貞だった。


ちと怖い。


そこですぐに僕にピタッと寄り添って来るかと思いきや、僕が歩き始めても、半歩後からついて来るだけの国貞。


『ははぁん、昼休み清河に警告を受けたから警戒してんのかな、国貞』


そう、ピンと来た。


校内では自粛、校外でそれを解くつもりなんだろう。どこで清河が監視の目を光らせているか分からないしな。


はたして校門を出たとたん、ピトッと僕の左腕にすがり付いてきた国貞だった。


分かりやす過ぎるだろ、まったく。


その体勢で僕と国貞はワンブロックほど歩き、バス通りへと出た。


停留所の前で、しばらくバスがやって来るのを待つ。


相賀あいがくん、うちの話はおととい少ししたわよね」


「あぁ、聞いたよ。和菓子屋さんをやっているんだよね」


国貞はうなずいた。


「国貞さんには、弟さんがいるんだったね。


中学生だったっけ?」


「うん、中2よ。


いま、部活がとっても忙しいの。


野球部でレギュラー選手になったからって、すごく張り切っているわ。


ほぼ連日、練習。


きょうも練習で遅くなりそうだと言っていたわ」


「ふぅん。弟さんは国貞さんとは違って、バリバリの体育会系なんだね」


「そうなの。


インドア派のわたしとは、実に対照的ね」


そんな話をしているうちに、国貞家があるという御幸みゆきちょう方向へのバスがやって来たので、僕たちはそれに乗り込んだ。


バスに揺られること、10分余り。


目的地の「御幸町2丁目」に着いたので、僕と国貞はそこで降車した。


「見て。向かいにあるあの店がうち、『うさぎや』よ」


国貞が指し示す先を見ると、兎の絵、そして「うさぎや」という店名を染め抜いた暖簾のれんのある一軒の店舗があった。


あの店が、国貞の家業ということか。


「自宅の玄関は裏手にもあるけど、まずは店番をしているわたしの親に挨拶していってね」


そっか。僕の家庭のようなサラリーマン家庭と違って、常にご両親が家にいるわけだ。


まだ正式な彼氏とも言えないのに、最初の訪問から親御さんに挨拶しなくちゃいけないってのは、ちょっと抵抗があるけど。


……ていうか、僕が国貞家にお邪魔するってことが、既定事項になってません、国貞さん??


それがイヤってわけじゃないけど、あまりにも自然に言うものだから、危うくそのまま「はい」って返事をするところだった。


ここは「フリ」だけであっても、ひとまず遠慮をするのが正解だろ、自分。


僕はそう考え直して、こう答えた。


「いやぁ国貞さん、僕はここで失礼するよ。


ご両親には、また別の機会にご挨拶するということで」


そう言って、国貞に一礼したところ、


「ダメよ、ここで帰っちゃ」


ガッチリと腕をホールドされた。


それも2本の腕で。


なんか、ふわっと柔らかい感触までするんですけど、国貞さん。


国貞が、いつになく真剣な表情でこう訴えてくる。


「相賀くん、すっかり忘れているでしょ。


わたしと屋敷さんは、常にたがいの行動について情報を共有しているってことを。


昨日、あなたが屋敷さんの家で夕食までごちそうになって帰ったことの報告、受けているんだから」


そうだった。


うかつにも、すっかり忘れていた。


彼女たちのホットラインの存在を。


「それとも、屋敷さんはわたしに見栄を張ってウソの報告をしていると、あなたは言いたいのかしら?」


「いや、その……」


「そんなわけないわよね。


何かあっても何事もなかったと過少申告するならともかく、過大申告をしたって彼女にとって一文の得にもならないでしょうから。


実はウラも取ってあるんだけれど、詳しい手口を言うとあなたが引くでしょうから、それは言わないでおくわ」


いや、それにはもう十分ドン引きしてるよ! どうやって事実確認したんだよ、怖いわ!


「ということで、相賀くんが昨日屋敷さんのおうちで受けた歓待を、うちでもして差し上げたいの。


それが終わるまで、帰しませんことよ?」


そう言って、国貞はニッコリと笑った。


それは他人から見ればまことに見事な、甘美なことこの上ない笑顔だった。


だが僕には、見た者の心身を凍りつかせるという、雪女の「氷の微笑」にしか見えなかった。


      ⌘ ⌘ ⌘


道路を渡って、僕と国貞は「うさぎや」の暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませ」


落ち着いたアルトの声で、アラフォーとおぼしきエプロン姿の女性が出迎えてくれた。


彼女が、国貞の母親なのだろう。


だが、娘とはだいぶん雰囲気が違う。


目鼻立ちがはっきりしていてメイクも濃い目、ひとことで言えば派手な感じだ。


まぁ、美人の部類に入るだろうな。


「ただいま」


国貞に続いて、


「こんにちはー、おじゃまします」


僕もつとめて明るい声で挨拶をした。


「おかえり、トシコ。


お友達のかたかい?」


「そうよ。同じクラスの相賀さん。


最近、よくお話するようになったの」


「は、はじめまして。相賀です。


よろしくお願いします」


僕は国貞母に、頭をペコリと下げた。


「トシコがお友達を連れて来るなんて、珍しいわね。


それも男性なんて。


初めてじゃないかしら?」


「もう、お母さん。


そんなこと、どうでもいいから。


それより、お父さんはどうしたの?」


「それが、午後から出かけて行っちゃったのよ。


ちょっと買い物に行くとか行って、いまだに帰って来ないんだから。


わたしが夕食の支度を始めるまでには帰ってくれないと、店番をする人間がいないのにね。


まったく、どこをほっつき歩いているのかしら」


「そうね。でも4時すぎぐらいには帰ってくるんじゃないかしら。


安心して。わたしもいるから、店のほうは大丈夫よ」


「そうかい。それは助かるわ」


「じゃあ、奥に行って、しばらくはわたしが相賀さんのお相手をしているわね」


そう言うと、国貞は僕を促して、店の奥にある自宅へと案内したのだった。



彼女に連れて来られたのは、茶の間と思われる10畳程度の広さの和室だった。


オーディオセットに大型テレビ、そして四角いテーブルが置いてある。


座布団をすすめられ、僕はそこに腰を下ろす。


しばらく隣りのキッチンに行って、お茶の用意をしていた国貞が、茶器をお盆に載せて運んで来た。


日本茶をれ、僕に出してくれる。


国貞は僕のはす向かいの位置に座布団を置いて座り、自分もお茶をいただく。


ほどなく彼女は、先ほどの自分の父母のことを話題にしてきた。


「お店商売って、いつも夫婦がひとところで顔を付き合わせて過ごさないといけないという宿命があるのよね。


年柄年中、そういう生活の繰り返し。


だから、いいかげん息が詰まってきて、大した用事でもないのにちょくちょく出かけて息抜きをするんでしょうね、うちの父は」


「ふぅん、そういうものかな。


僕のところは典型的なサラリーマン家庭で、しかも母も働いているし、母が残業で遅くなる日さえあるからね。


夫婦がまともに会話をする時間なんて限られているから、はたして父と母の夫婦仲は大丈夫なのかと思うときがあるよ」


「そうなの? でも、いつも一緒というのも、どうかという気がするの。


ベタで密な関係って、それはそれで結構しんどいし、マンネリにおちいりやすいらしいわ。


サラリーマン家庭のほうが、夫婦それぞれが自分の時間を持つことで適度にリフレッシュ出来て、いいみたい。


わたしは憧れるなぁ」


そう言って、メガネの奥の目で僕をじっと見つめて来る国貞。


思わず、視線をそらしてしまう僕。


サラリーマン家庭に憧れるってことは、そういう家庭に嫁入りしたいって意味?


つまり、それって……。


まだ高校生なのに僕たち、なんでこんな妙に生々しい、具体的な話をしているんだろう。


こんな感じで、あとどれくらい僕のメンタルが保つのだろうか?


正直、不安しかありません。(続く)

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