第4話 ラブ・ポーション
午後の授業が始まった。
名は体を表す。
ゴリゴリの文系志望の僕にとっては、一番聴く気の起きない授業のひとつであった。
おまけに先ほど、弁当を平らげたばかり。
否が応でも、睡魔が襲って来る。
いつもなら授業の間、眠らないでいるのが精一杯の僕だった。
だった、が……。
少しうとうととして、ふと気がつくと、自分の机の上にメモ用紙が一枚置いてある。
そこには、シャーペンでこんな走り書きがしてあった。
「昼休み、
手つなぎとか、いつの間に仲良くなったの?」
こんなメモ書きを置いたのは、あるひとりの人物しかあり得ない。
僕のすぐ右隣りの席に座っている女子、
ホッシーという僕のあだ名は、もともと
他の女子は絶対その呼び方をしないから、もう100パーセント、屋敷の
そこで僕が視線を屋敷のほうにやると、彼女は僕と目を合わせないよう、即座に顔を右に向けてしまった。
それまでは、僕の様子を注視していたに違いない。
とはいえ、彼女のマッシュルームカットの前髪は、こちらからその目を確認することが出来ないくらい長くて、顔の半分近くを覆っている。
だから、彼女の全貌を見た生徒はまだ誰もいないらしい。
友人らしい友人もいないようで、授業が終わると学校のすぐ近所にあるという自宅に即帰ってしまう。
とてつもなく、謎めいた人なのだ。
ここで屋敷の質問を無視してしまうと、さっきの国貞さんと一緒にいたことをやましく思っているということにされかねないから、きちんと説明することにした。
僕はメモ用紙を裏返しにして、こう書き込んだ。
「僕が昼食をとっていたら、たまたま国貞さんが通りがかったんだ。
それでしばらく世間話をしていたら予鈴が鳴ったので教室に戻ろうとしたら、国貞さんがめまいがするというので、倒れないように手を握って教室までお連れしたのさ。それだけ」
そして付箋をそっと屋敷のほうに戻した。
今の僕のメッセージ、ある一点だけボカして書いたことにお気づきだろうか。
そう、「どこで」昼食をとっていたかは巧妙に伏せてあるのだ。
うっかり「屋上で」なんて書くと、情報がどこへ伝わるかわからないからな。
それこそ、僕の昼休みの安寧を妨げる者が出て来るかもしれない。念には念を入れないと。
しばらく、横目で屋敷の様子をうかがう。
屋敷は僕のメモを読み終えると、新しいメモ用紙にさらさらっと書いて、またすっと僕の机の上に置いた。
「たまたま、じゃないでしょ。昼休み、放送室でトモトモと一緒に当番をしていたら、クニクニが来てホッシーの居場所を聞いていたもの」
そう書いてあった。トモトモとは仲真のこと、クニクニとは国貞のことだ。
アッチャー、完全にバレていたのか。参ったな。
そういえば、屋敷は仲真と同じ放送委員だった。われながら、うかつ過ぎる!
とりあえず、それ以外は何も後ろ暗いことはしてないと言わねば。
僕はメモ用紙の裏側に再び書いた。
「僕と国貞さんがまともに会話をしたのもきょうが初めてのことだし、手を握ったのも彼女に頼まれてのことだよ。
特に親密になったわけじゃないから、誤解しないでね」
それを再び屋敷に戻す。
今度はこんな返事が来た。
「本当でしょうね。特にクニクニと親しくなったわけじゃないのなら、いいわ。
でも、誤解を招くような行動はやめてちょうだい」
ん? これって、自分の彼氏か何かに言うようなセリフだよな?
そりゃあ屋敷とは、国貞さんみたいにこれまでまったく話をしたことがないってわけではない。
席が隣りだから。消しゴムを拾ってもらったり、教科書を見せてあげたりみたいなやり取りもないわけじゃない。
でも、せいぜい、そのレベル止まりである。
僕は屋敷から、そんな注文をつけられるほど彼女と親しいつもりじゃないんだが……。
なんとなく割り切れない気分ではあったが、これ以上やりとりを続けていても不毛な感じがしたし、そのうち岩尾先生に気付かれる恐れもあるので、僕はそのメッセージには何も返事をしないでおいた。
そして、意識を数字の授業のほうに戻した。
10分ぐらいすると、また隣りからメッセージが来た。今度はなんだ?
「ホッシー、罪滅ぼしとして、きょうはわたしと手をつないで帰るべきよ」
さすがに、これには開いた口が塞がらなかった。
なぜに屋敷とお手手つないで下校しなきゃいけないんだ? まったく理解できない。
とりあえず、無視することにした。
経つこと5分、僕の無回答に業を煮やしたかのような、怒りのメッセージがやって来た。
「まったく、シカトとか、ありえないわ。
ホッシー、そんな不誠実な人だったの。見損なったわよ」
これはさすがにヤバい。
とにかく、キ・ケ・ン!
あわてて、僕はこう返事を書いた。
「そんなに怒らないでよ、屋敷さん。
国貞さんにしたことに、他意はないから。ただ、助けを求められただけだから。
きみからもし助けを請われたら、同じようにしているよ。だから、そんなに怒らないで」
それに対する返事は、だいぶん軟化したものになっていた。
「そうなのか? じゃあ、わたしもホッシーに切にお願いすれば、頼みを聞いてくれると考えていいんだね。
きょう、わたしは『
助けてくれない?」
なんだよ、その淋しい病って。略してしまったら、やたらアブないような気がする病名は。
でもまぁ、そんなにメンタルが辛いのなら、それなりに理由があるのだろう。
家庭環境が原因かもしれないし、学業の上での悩みかもしれん。
そしてクラスメートとの人間関係から来るものかもしれない。
そこで、僕はこういう返事を書いた。
「分かった。何か辛いことがあるときは、誰かに事情を話すことで、だいぶん気持ちが楽になるとかよく言うよな。
そういうカウンセラー的な役をやってくれというのなら、引き受けないでもないが」
これに対する屋敷の返事。
「わたしの言いたいことはちょっとニュアンスが違うのだが、でもまぁいい。
ホッシーに癒されたいのだ、今のわたしは。
詳しいことは放課後に」
放課後? 放課後何を話してくれるというのだろう?
わき起こったもやもやとした感情が、しかし次の瞬間、吹っ飛んだ。
「じゃ、
岩尾先生のご指名を、受けてしまった。
もしかして、さっきからの屋敷とのこそこそとしたやり取り、とっくにバレてた?
⌘ ⌘ ⌘
しどろもどろになりながらも、その問4がたまたま先日予備校の演習で教わった問題だったので、なんとか正解を答えて、事なきを得た僕だった。
はぁー、アブない、アブない。
ほどなく数学の授業が終わり、そうだ、仲真のヤツに昼休みの「同伴出勤」の件を釈明しなきゃと思い出して、彼のいる席のほうをふり向こうとした。
「なか…」と呼びかけるより早く、ひとりの人影が僕のもとへにじり寄って来た。
「相賀くん、ちょっと話したいの。いいかしら」
声をかけて来たのは、国貞
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